ビックリするような科学の発達で、次から次へと
生活を便利・快適にする技術が生まれ、商品として
出まわり溢れかえっている。
それらの多くは壊れにくく、土などには還りにくいので、溢れすぎ、いまや地球の
あちこちで悪さをし問題を起こしている(廃プラだけでなく、原発事故で明らかに
なった多くの問題、なかでも「廃炉」に要する年月と費用・エネルギーなんかバカ
みたい)
ホント、私が子どものころの60年ほどの昔には
これほどのモノはなかった。
こういう現代社会の、人間が生きるとは?と
問わざるを得ない根源的な状況のなかで、大きくは
人間を労働者階級と資本家階級ということで二分し、
敵対関係という矛盾を、現在の資本主義から未来の
社会主義に変えることで解決するという(大雑把ないい方で
ゴメンなさい)「マルクス主義」はもはや無意味になった
のだろか?
それに、
↓
「東西冷戦終結」以前は世界中の人々に影響を与えていたマルクス主義。
マルクスが望んだ社会像とは大きく違うと私は思うけれど、ともかく社会主義の
ソ連や東欧が潰れ(潰れた原因は非民主的、人権軽視)、アメリカ・西欧・日本
などの資本主義国が「勝利」というころから昔のようには聞かれることがなくなり
ました。
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社会主義(また共産主義)国家はソ連・東欧がなくなり、いまでは中国と北朝鮮が
目だっています。
(そこで暮らしたくなるような目だち方ならすばらしいけれど…)
北朝鮮→いまも個人レベルの独裁政治が正々堂々と行われている。独裁を維持する
ために平気で(多少はとまどうのかもしれないが)暗殺、粛清をやる。
中国→形・制度の上では(個人ではなく)政党だが独裁には違いない。民主主義や
人権は制限つきのうえ、なによりも国民の驚くような生活格差をみると、こちらも
とてもマルクスが目ざした社会とは思えない。
それに忘れてはならない、キューバがありました。
「中国、北朝鮮と同じ社会主義国家?」と思うけれど、れっきとした社会主義国
(キューバといえばコートの名前にもなっているカストロが有名ですが、盟友
故チェ・ゲバラと共に独裁バティスタ政権を倒し1959年に社会主義政権を樹立。
キューバは経済的に高度な資本主義の国々のように物が豊富ではありませんが、
人々は人生を楽しんでいるようです《私が見聞きした範囲のキューバ旅行記・
滞在記はみんなそうだった》。いまは高齢となり政治からは引退している指導者
フィデル・カストロ。高潔な人格で国民の人気は絶大とのこと)
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以前にも記事を書いたことがあるけれど、また
この人は「マルクス主義者」ではない)を読み、深くうなずいた。
長い引用になりますが、わかりやすく読みやすい文章ですから、どうぞ最後まで
お読みください。
【引用】
「大人」になるために 『若者よ、マルクスを読もう』
日本におけるマルクス主義は「マルクス主義者を作り出すため」のものでは
ありませんでした。
むしろ「大人」を作り出すための知的なイニシエーションとして活用されたのだと
思います。…
若いときにマルクスを読んで「一気に、徹底的に社会を人間的なものに作り変える
べきだ」と信じた若者は、その挫折の経験を通じて、「一気に、徹底的に社会を
人間的なものに作り変え」ようとして人間が行うことは総じて
「あまり人間的ではない」ということを学習します。…
歴史が教える限り、「一気に、徹底的に社会を人間的なものに作り変え」よう
とした政治運動はほとんど例外なく粛清と強制収容所によって
それを実現しようとしたからです。…
少年青年の頃に、マルクスを学び、マルクス主義の実践運動に少しでも
かかわった人たちは「人間的で公正な社会を今ただちにここで実現するには、
人間はあまりに弱く、あまりに邪悪であり、あまりに卑劣である」ということを
身を以て学びました。これはたいせつな経験的知見です。…
彼らはそういう人間を「許す」こともまた学びました(彼ら自身が多かれ少なかれ
そういう人間だったからです)。…
久しく日本において「マルクスを読む」という営みが青年の成長階梯の必須の
一段とみなされていたのは、そのような理由によるのです。
だいぶ前にその習慣が失われました。一九八〇年代以降のことです。…
青年たちがマルクスに関心をなくした最大の理由は、経済成長の成功によって
日本が豊かになったことだからです。
私たちのまわりからは「ただちにラディカルに改革しなければならないような
非人間的収奪」を目にする機会が激減しました。…
そんな社会では、誰もマルクスを読みません。
それから三〇年経ち、人間的成熟の訓練の機会を失った日本人は恥ずかしいほど
未熟な国民になりました。
金があること、高い地位にあること、豪華な家に住んでいること、
高い服を着ていることを端的に誇らしく思い、能力のある人間が優雅に暮らし、
無能で非力な人間たちが路傍で飢えているのは自己責任なのである。
能力がある人間が高い格付けを受け、無能人間が軽んじられ、侮られるは
適切な考課の結果であり、それが社会的フェアネスなのだと広言するような人々が
オピニオン・リーダーになりました。…
私はそういう考え方は「よくない」と思っています。
共同体はそのメンバーのうちで、もっとも弱く、非力な人たちであっても、
フルメンバーとして、自尊感情をもって、それぞれの立場で責務を果たすことが
できるように制度設計されなければならないと思っているからです。
それは親族や地縁集団のような小規模の共同体でも、国民国家や国際社会のような
巨大な共同体でも変わりません。…
そう考える「大人」が必要。その「大人」は持てる資源を自己利益のためでなく、
かたわらにいる弱く、苦しむ人たちのために用いなければならないと考える。
社会問題はぎりぎり切り詰めると、実戦的には「どうやって大人を育てるか」
というところに行きつきます。
社会全体を一気に、全体として「正しいもの」にすることはできません。
でも、社会はフェアで、手触りのやさしいものでなければならないと信じ、
そのために自分の力を用いる「大人」たちの数を少しずつ増やすことは可能です。
(注:赤字太字はこちらでしました)
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マルクスは、「労働」(「仕事」との違いは?という細かな話は
置いといて。 他の生物が生き続けるために餌を確保し続けなければならないのと
同じように、生存のための基本)と「資本」(私たちの暮らしている世の中
「資本主義社会」では資本が《主》)の関係を理論的に解明し、
資本主義社会の次は社会主義の世の中が来るだろうと
予想し、ソ連や中国が出来たまではいいけれど…。
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先日、ロシアのプーチンを批判する有力野党の人が飛行機内で意識不明となる
事件がありました。
その人が機内で飲んだ紅茶に毒が盛られていたそうで、プーチンの仕業らしい。
このニュースを聞いて「さもありなん」「恐ろしい…」と思った。
プーチンの経歴をみればわかるように、旧ソ連では悪名高い国家情報局KGB局員。
こういう人物が大統領になるというのはわからないが、ソ連・東欧諸国・中国・
北朝鮮(という「社会主義国家」が)「独裁」「秘密」「暗殺」という負の
イメージだらけにしたことはよくわかる。
(北の金は自分を脅かす存在という強迫神経症的な怖れに負けて兄さんを殺したし
プーチンも政敵の人を怖れていたのでしょう。その流れで先の事件があったのかと
思います)
〈オマケ〉
くっついたり離れたりの野党の姿は本人たちは真剣でも、何度も繰りかえされる
ので私はあまり興味ないですが、「日本共産党」はかたい信念があり、その信念の
揺るぎなさゆえに「くっついたり離れたり」では仲間はずれにされています。
(それは置いといて)
いつまでその党名にこだわるのでしょう?
党名といえば「自由民主党」「公明党」も立派に聞こえます。実際は自由でもなく
民主主義でもなく公明正大でなくても、イメージはたいせつだと思うようになった
(身なりとかあまりかまわなかった私は老いて感じるようになった)。
要らんお節介ではあるが、日本共産党にもうちょっと大きくなってもらいたい
ので、前々から気になっていた党名変更を考えてほしい。
もう一つ
8月24日朝のNHKニュースで、ロシアで「兵器見本市開催」、中国が「南シナ海で
軍事演習」、ともに事実だけの短い報道がありました。
ロシアは社会主義をやめて資本主義になり、中国は部分的にでも資本主義を
取り入れたので大成長を遂げたとか言われている。
人々を殺すだけのための兵器を製造・輸出(戦争、人殺しをすすめる)して儲け、
経済的に裕福になろうとする(おカネがあれば、たいへんな能力と訓練が必要な
宇宙飛行士にならなくても、いまや「宇宙飛行」は叶いそうになりました。
金持ちに憧れるのはムリはない、ほとんどの思いつく限りの願いは叶う世の中
なのだから)。
「兵器見本市」ではロシアの売り手と、中国のバイヤーとがニコニコやっていた。
◇ 初めに書いたように、モノが溢れかえり、技術がいちばんの、グローバル社会
では、国民国家の「資本主義」や「社会主義」という分類は、個人の幸せ追求には
あまり関係がないのだろうか?
全人類の共通の敵、新型コロナウィルスの前では、(デザインはどうであれ)皆
マスクをしなければならないもんね。