③ 理想と現実
( 『14歳からの 哲学』という著作から)
幼いときは「事実」「現実」を受けいれ向きあうだけで精いっぱいだ。
14歳くらい、ちょっとばかり生意気になってくると、夢のようなことを言うなと
親にバカにされても、(じっさい夢か幻のような話であっても)「理想」みたいな
ことを思うようになる。
【引用】「それが目に見えるものとして、実際に実現するかどうかに
人は捉われてしまう。…
理想というものは、見える現実を動かす見えない力として刻々として
働いている、まさにそのことによって現実なんだという事実を忘れてしまうんだ…
君が理想をもっている、それを失うことなく、もち続けているという
そのことだけで、それは十分に現実的な力として、この世界の根底で確実に
働き続けているんだ」
「理想」は「現実」と比べられ、その差にガッカリ…
初めから理想なんか持たなければよかった…
しょせん、理想は「理想」…
と思っていたが、新たに気づかされることがあった。
「理想をもつ」という事実も現実。
「リアル」という現実世界とは異なる次元の「もう一つの現実」。
いわば仮想という「バーチャル」の一つのあり方。
しょせん、理想は「理想」。
それでいいのだと思った。
だいじなことは、それをもち続けること。
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④ どうせ死んでしまうのに
【引用】「どうせ死んでしまうのに
この半端な腹のくくり方が、いかに魂を堕落させることか」
私は、「どうせ」という言葉に引っかかった。
初めはすなおに、「どうせ死んでしまうのに」という生への意欲を削いだような、
生きるなかでのさまざまな出来事からできれば身を避けよう逃げようという姿勢が
精神、魂を堕落させると受けとった。
だから逆に、「どうせ死んでしまう」を死の覚悟にまで深め、これをバネにして
生きようと著者は述べているのだと思った。
しかし、2回3回と読みなおしているうちに思った。
「どうせ〇〇…」の〇〇はいろいろ当てはまり、「どうせ私なんか」と言うと一見
したところ自分を卑下(よくとれば謙遜とも)しているように見えるが実のところ
卑怯な言いわけにもなる 。
「どうせ」は、慎重に使わなければならないと思った