カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2020.12・1 ぐずぐず

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まだ『言葉が立ち上がる時』は終わりません

4回目は「ぐずぐず」。

 

 生きているとさまざまなことが起こり、私たちは

それら一つひとつに対応していく。

 

 時にはわずらわしい、面倒くさいと思い、投げだす

こともある。 

 また時には、ついていけなくなりパニックになる。

 

柳田さんはそういう心の状態を「心の闇」と言う。 

 

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「心の闇」

                       

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【引用】

浮かび上がる「心の闇」

生身の人間を理解するには、科学性や客観性や一般性にとらわれていたのでは

心の深みへは入っていけない。…

感覚的に反応するもの、感情の蠢き、そういったものを排除しないで、

しっかりととらえることが、現代における人間性の回復に極めて重要…

と、著者は述べ、続いて朝日新聞のコラム「折々のことば」の鷲田清一さんが

言う「ぐずぐずの権利」を紹介する。

       ↓

人間としての基礎にかかわることがらは、すぐには答えの出ぬものが多い。

人間にはついに答えられないもの、あるいは答えが出ぬままそれを問いつづける

ことに意味のあるものも少なからずある。…

ぐずぐずしながらも、逡巡の果てにやがてある決断にたどり着く、

いやたどり着くことをいやでも強いられる。

その時間を削ぐことだけはしてはならないとおもう。

その時間こそ人生そのものなのだろうから。

 

(注:赤太字はこちらでしました)

 

 なんども深くうなずいた。 

 ぐずぐずの見本のような自分が肯定されている。

子どものころから「優柔不断」だった。頭の働きは鈍く、理解がなかなかできず、

とうぜん判断も遅くなった

(ぐずぐずは頭だけのことではなく、身体運動》にも当てはまった)

 

 すぐにわからなくてもよい。

 そのうち(時間をかけて)わかればいい。

 いや、結局わからないかもしれない。

(しかし、わからないことは「わからないまま」にしておくたいせつさ→「保留」

人間は知りたい動物なので、わからない状態は不安で、耐えがたい。

《で、とりあえずの「答え」を求めようとする。わかった顔、ふりをする》

そういうことをせず、わからない状態に耐える力を「ネガティブケイパビリティ

といい、そのたいせつさを箒木蓬生さんという精神科医師兼作家の本で知った) 

 

 ぐずぐずしているのがいいのではないが、

ぐずぐずしていてもいいのだ。

 あせらなくていい。

 人生は短くて長いのだ。

 

その時間を削ぐことだけはしてはならないとおもう。

その時間こそ人生そのものなのだろうから。

 

いまだって、私はぐずぐずと生きている。

 

 

 

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                           ちりとてちん

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