こんなに監視カメラが設置されるようになったのいつごろからだろう?
街では「監視カメラ設置」に普通に出あうようになった。
「普通」は人を慣れに導く。
(「慣れ」は生きやすくなることで仕方のないことかもしれないが)
監視カメラは気分のいいものではない。
監視されて困ることはしていなくても、「監視されている」という感覚は不快だ
ときどきカメラに向かい「アッカンベー!」したくなる(が、実際はしていません)
「知らん人にお菓子をあげると言われてもついて行ったら✖!」
子どもに酷なことを言わなければならなくなったのは、大阪教育大付属池田小学校の悲惨な事件が
起きた20年前ごろからだろうか。
このごろから勤務先が児童福祉施設ということもあり、「不審者」「目撃情報」という言葉をよく聞く
ようになった。
その施設では、本物は高価なので超安いダミーの監視カメラを日曜大工店で購入し、とりつけ方を工夫し
本物を装った。
公道に面した門扉は(施設のイメージアップのためそれまでは開けっ放しだったが)常時閉門にした。
火災などの避難訓練に、防犯訓練を加わえた。
スプレー等の防犯グッズはもちろん、「刺股」(サスマタ)まで常備した。イザというとき使えないと
いけないので警察官に来てもらい「刺股使用訓練」もやった。
いまは小さな街でも、少し目を上げると監視カメラが目に入る。
(刑事ドラマの犯罪捜査の最初は防犯カメラの解析だ)
内ではスマホ(個人情報などを盗まれても気づかない)、外では監視カメラ。
私たちは四六時ちゅう管理されることによって、便利・快適・安全な生活を何者か
誰かに保障されているのだろうか。
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『テレビニュースは終わらない』 金平茂紀・著
という新書本を読んだ。
金平茂紀さんはTBSテレビ『報道特集』のキャスター(毎週土曜日夕方放送)。
今ではあまり見かけない本物のジャーナリストだと尊敬している。
『報道特集』はTBSのニュース番組なのだが、「あんなことを言って大丈夫?」
「そのうち降板、左遷されるんでは…」とこっちが心配になることを、平気で
堂々と言われる。
2001年の同時多発テロ事件が、世界的な「監視時代」の画期になったと述べる
西谷修さん、知らない間に私たちは「アーキテクチャー」や「ナッジ」を通じ
それと気づかぬよう管理支配されているのではないかという東浩紀さん。
金平さんが本の中で、両人の言葉を引いたところがとても強く印象に残った。
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①「「現在の戦争が、これまでそれと対になっていた「平和」というタームを無効にしてしまった…
代わって「安全」が戦争のキー・タームになっています。…
「安全」を守るために戦争をしなくてはいけない、ということが声高に言われ、
それをグローバル秩序が要請しているということです」」
②「「9.11以降、共産主義ならぬテロリズムの亡霊が徘徊している。
そしてその亡霊に怯えるあまり、人々はセキュリティの強化へと殺到している。…
イデオロギーなきセキュリティの暴走、価値観なき秩序維持、理念なき情報技術の暴走を
警戒しなければならない…
9.11の教訓とは、…『理念や価値観について議論するのも結構だけど、まず市民の安全を確保しないと
話にならないんじゃないの?』という身も蓋もないものである。
これは特定イデオロギーの敗北というより、…イデオロギーそのものの敗北だと捉えたほうがいい…
いかなる社会思想も、人間の生を前提とするかぎりにおいて、セキュリティの強化には原理的に
反対できない。
その無力を尻目に、私たちの社会は、環境管理型権力の網の目を着々と張り巡らしつつあるのだ」」
(注:下線、太赤字はこっちでしました)
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① 「平和」のためというより「安全」。
「安全」のために戦争する。
「平和」は普遍的な理念だが、「安全」はより個人的で身近な言葉。
一人ひとりの個人にとっては「平和のために戦う」より切実に響く。
(「安全のための戦い」は「平和のため…」より強い)
「「安全」を守るために戦争をしなくてはいけない、ということが声高に言われ、
それをグローバル秩序が要請している…」
アメリカに追随してばかりの歴代日本政府の現実(このままならいつかは必ずアメリカの
一州になるに違いない)が連想されてならなかった。
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② 「いかなる社会思想も、人間の生を前提とするかぎりにおいて、
セキュリティの強化には原理的に反対できない」
しかし、「セキュリティの強化には原理的に反対できない」けれど
「イデオロギーなきセキュリティの暴走、…」であってはならない。
むずかしいことだけれど、(「考えるのは面倒くさい…自分が安全ならそれでいい」と
思考停止に陥らず)自分の頭を使って考えなければならない。
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〈オマケ〉
1. 兵士、警官がデモをしている丸腰の民衆に銃を発砲、ほんとうに人が死ぬ。
(香港やミャンマー、中国・ウィグル自治区で起きている現実をテレビで知り、吐き気がする)
2. 東さんは、「万人が万人を相互監視し、メディアを介して情報を収集し合う
ような新たな枠組み」力を「環境管理型権力」と呼ぶ。
(先日、ドキュメンタリー『超監視社会‐70億の容疑者たち』というフランスで2019年に作られた
番組をみた。このなかで描かれていた中国が、習近平の手によって超監視社会になっていることが、
まさに東さんのいう「環境型権力」、番組制作者のいう「デジタル全体主義」だった。
背筋が震えあがったのはいうまでもない)
〈オマケのオマケ〉
ときどき『超監視社会‐70億の容疑者たち』のような、「人間であることがイヤになった」という
感想をもたざるを得ないビドキュメンタリーをみる。
世の中には知らなければならない事実がある、イヤになってもみないといけない、と思ってみるのだが
つき合う者としてはたまったものではないだろう。
もちろん「いっしょにみよう」と誘っているのではない。部屋が狭いのでみたくなくてもみてしまう。
私は「人類は他の生きものを絶滅させる前に滅びればいい」と、本気半分、冗談半分で言うけれど
こっちほど短絡的で過激ではないにしても、今ではツレも似たようなことを言うように変わった。