怒らないですむなら怒らないでいたい。
毎日を穏やかに暮らしたい。
個人的な身のまわりのことなら(努力すれば)平静でいられるけれど、
世の中、社会に目を向ければダメである。
(某議員や官僚の不祥事などを聞くにつけわざわざ抑揚をつけ、「バーカ!」と呟きたくなる。
やむにやまれずときどき実行し、そんな私も彼らと同類に見えるから「やめて!」と言われる)
社会まではムリでも、個人的なことだけでも怒らないですむ手軽な方法を
期待し、「HOW TO」だけわかればいいと思い、この本を読んだ。
『怒らないこと』 アルボムッレ・スマナサーラ・著
(著者は、スリランカの上座《昔は「南伝」とか「小乗」と呼ばれた》仏教の長老)
(グーグル画像より)
長老は傾聴すべきことを、わかりやすく親切に述べてくださった。
私にはとくに二つのことが強く胸に響いた。
というのは、これまで似たような本はけっこう読んだけれど、こういう考え方、
見方を初めて知った。
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① できることをする
② 自分は自分の名前だけで十分
【引用】
「「自分は偉い」というエゴを捨てる
自然な流れの中で、できることをやればいいのですよ。お茶くみであろうと…
何事においても、各人が能力に応じた仕事をすればいいというだけの話です。
「私が」「私が」というエゴを捨てれば、なんの問題もないのです。…
このように、すべての問題はエゴといってもいいくらいです。
だから「名前だけで十分です。名前だけにします」と決めれば、
そこですべての苦しみはサッと消えるはずです。…
たとえば私が「あなたはどなたですか」と聞いたら、「田中です」、それだけで結構です。
それだけでよい。それ以上は余分であり、いけない。…」
(注:太字はこっちでしました)
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① できることをする
自分のことを「偉い」と思うのを「エゴ」という。
周囲におだてられ、舞いあがると「自分は偉い」と思ってしまう。
自分を偉いと思わなければいいだけ、簡単なことだ。
(そんな簡単なことがむずかしい。ふだんは意識しないだけのエゴ。奥深いところに棲んでいる)
「エゴ」を捨てる。
自分にできることをする 気がついた者がする
「その時その場の自然な流れの中で」、自分にできることであっても
しようとしない。
自分のすることではないと思っている。
他の誰かが「すればいい(すべき)」と思っている。
初めに気づいた自分がすればいいだけのことなのに。
② 自分は自分の名前だけで十分
「名前だけで十分です。名前だけにします」
自分の名前を、こんなふうに重く、ていねいに捉えたことがなかった。
そうか、「エゴ」は名前だけにする、か。