前回、あんなことを書いたので、久しぶりに禅語を書こうと思った。
(禅語も本から教わったので「読書感想記事」か)
広い意味での禅語は、狭い意味の「禅の言葉」に限らず「仏語」(「フランスご」
でなく「ブツご」)はもちろん、中国の名詩からとった言葉が多い。
多いから、いちいち感動していたら追いつかないので心が自動的に選択(制御)
していたようで、これまで書いたのは選択された「好きな禅語」だけだった。
もう4回、繰りかえし読んでいるが(本はいまトイレ)、以前はそれほど感じなかった
言葉が新たに好きになった。
そういうのを、これからまたときどき、書いてゆきたい。
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壺中一壺の天
(こちゅう いっこの てん)
(『心が晴れる禅の言葉』という文庫本から。著者は赤根祥道さん《「現代禅研究所」の
理事長さん》
【引用】「どこにいても悠々とした天がある」という教えです)
人は誰もが自分自身、「壺」なのであり、「壺」でしか在りえない。
足の生えた動く「壺」というわけだ。
私、つまりある一つの「壺」にとっては、壺の外はみんな「天」。
(どこまでも続く悠々とした宇宙みたいな無限の世界)
しかし、一人ひとりの天は、みんな一つにつながっている。
(金子みすゞの「みんなちがって みんないい」の世界)