カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.6.4 壺中一壺の天

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前回、あんなことを書いたので、久しぶりに禅語を書こうと思った。

禅語も本から教わったので「読書感想記事」か)

 

広い意味での禅語は、狭い意味の「禅の言葉」に限らず「仏語」(「フランスご」

でなく「ブツご」)はもちろん、中国の名詩からとった言葉が多い。

多いから、いちいち感動していたら追いつかないので心が自動的に選択(制御)

していたようで、これまで書いたのは選択された「好きな禅語」だけだった。

 

もう4回、繰りかえし読んでいるが(本はいまトイレ以前はそれほど感じなかった

言葉が新たに好きになった 

そういうのを、これからまたときどき、書いてゆきたい。

 

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         壺中一壺の天

           (こちゅう いっこの てん) 

(『心が晴れる禅の言葉』という文庫本から。著者は赤根祥道さん《「現代禅研究所」の

理事長さん》

 【引用】「どこにいても悠々とした天がある」という教えです)

 

人は誰もが自分自身、「壺」なのであり、「壺」でしか在りえない。

足の生えた動く「壺」というわけだ。

 

私、つまりある一つの「壺」にとっては、壺の外はみんな「天」。

(どこまでも続く悠々とした宇宙みたいな無限の世界)

しかし、一人ひとりの天は、みんな一つにつながっている。

 金子みすゞの「みんなちがって みんないい」の世界)

  

 

 

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                            ちりとてちん

 

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