カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.8.6 人間も生きものの一つにすぎない(前)

(きょうは世界で初めて原子爆弾が使われた日。場所は広島。3日後には長崎で2回目が

 

そんなきょうは 『「生きもの」感覚で生きる』  中村桂子

 

 

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著者のことは何かで聞いたことがあった。

よくあるお名前ですが「けい」が「桂」なので印象的で覚えていました。 

「けいこ」という名前は古い世代にはなじみぶかい。

子どもだったとき、隣の家の子が「啓子」ちゃんで若くして病死したので忘れられない。

子ども心に「あんなに元気だったのに…いのちはわからない」とませたことを思った 

 

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この本は一般読者(とくにお母さん向けに)に向けて書かれたものだから、

とてもやさしい口調で、語りかけるように書かれています。

 

中ごろ、第3章「生命を基本にした社会をつくろう」から主に引用し、

強く感じたことを書きます。

(2回に分けます)

 

【引用】

「〈正義‐バランスのとれた公平さ

バランスが生きものという視点から見た”正しい“であり、…

人間社会でも…バランス感覚の上に立った公平さを求めることを”正しい“と考えてよい…

平等ではなく公平です。

人間が大量生産したさまざまなモノは、第一の徳である公平の視点から見て、

正しく分配されているでしょうか。

節制‐限りなくふえることの恐ろしさ

(生きものは)ふえすぎて盛り上がったりはしません。

細胞にはここで止め、というところがわかっているのです。…

自分たちのなかに調節機能が組み込まれているのです。…

この節度を失ったのが、がんです。

がん細胞は、それ自身は分裂を活発にし、老化もしません。

欲望には限りがないという価値観の社会から見たら、理想的な存在に見えます。

体の場合、細胞のなかに調節能が組み込まれ、…おのずとバランスがとれていますが、

私たち人間のなか、社会のなかにははたしてその能力が組み込まれているのか。

欲望には限りがないか

人間の場合、このような生理的欲求以外に、脳のはたらきによる欲望があるので面倒です。…

生命体としての基本には組み込まれておらず、そのときの社会の価値観によって、

とめどもなく刺激されることも起きるわけです。

現代は、その欲望が物質や金銭で代表され、欲のあり方は所有欲です。

 

(注:「」、〈〉、()、太字太字はこちらでしました)

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正義‐バランスのとれた公平さ

 

バランスが生きものという視点から見た”正しい“」であり、たいせつなことは

平等ではなく公平」だという。

そういえば、「平等」は「同じ」、「公平」は「バランスがとれている」という

イメージがしてくる。

「平等」ではなく「公平」という視点から生きものを、人間と他の生きものとの関係を、人間社会を

考えたことがなかった)

 

よく「弱肉強食」まるで自然界を貫いている理のような見方のように)いわれる

人間社会にもいわれることがある。

人間をふくめて生きもののある一面だけを取りだして「平等」に並べて比較すれば

もともとの能力の差に応じて相対的に「強い」「弱い」ということはいえよう。

しかし、それは「全体」のなかのある「部分」に限ってのこと。

(「公平」は比較できない特性をふくめ「全体」としてみる)

 

「バランス」はそもそも「全体」をみてのことなのだ。

それがとれているか乱れているは「全体」をみなければわからない。

「公平」であることが「平等」ということよりたいせつだとは気づかなかった

 

他の生きものたちとのバランスをとり、公平にのぞむことが、ひいては

自分たち人間のためにもなるという外部的なことだけではなく、

人間内部に目を向けても、バランスのとれた公平さ」が「正義」につながる。

(「外部的」とは生物多様性を重んじるということ、「内部的」とは社会、人間同士の暮らし・生活に

これほど大きい開き・格差があるのはおかしい、「正義」でないということ。

 

《グーグルで、「「平等」「公平」」と検索するといちばん上に出てくる絵がとてもわかりやすく

両者の違いを教えてくれました。よかったら、試してみてください。

基本的に本人のせいではない「生まれながら」によるハンディに配慮が必要とされる》 

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節制‐限りなくふえることの恐ろしさ

欲望には限りがないか

 

人間以外の生きものには、節度(「わきまえ」)というものがある。

(生物学的に初めから組みこまれているとのこと)

限りなくふえること」はありえないという。

 

(「節制」「節度」ということの参考に、第2章にあった次の引用文を紹介します。

【引用】先進国の人だけがエネルギーを使いたいだけ使い、二酸化炭素を放出しているのは

わきまえた生き方とはいえません。…

「生きものとして生きる」のなかには、この「わきまえて生きる」が入っています

(注:「」太字はこちらでしました) )

 

限りなくふえる」、わきまえて生きないものに「がん」があるそうだ

「先進国」に暮らす私たちの「進歩・成長」を求めて無限にふくらみ続ける

「欲望」は、「がん」と同じだそうだ。

(おのれ自身が生きものであることを「わきまえず」、「欲望」にしたがい、立ちどまって「欲望」を

疑うことなくただひたすら進む「行けゆけドンドン」が人間という生きものの本質かもしれない。

「がん」と同じように自己破滅。

いつか「人類絶滅」であろうと、仕方のないことかもしれない。

《「欲望」実現がひょっとして「第三次世界大戦」を招くかもわからない。

きょうは原爆が始めて使われてから76年目》

 

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人間には「生理的欲求以外に、脳のはたらきによる欲望」があるから面倒だと

述べられていた。

そうか!

「衣・食・住」など生理的欲求」が達成されても、達成するなかで生まれ

つちかわれた「科学技術」は脳のはたらきによる欲望」でもあるといえる。

「衣・食・住」など生理的欲求」が達成されたといっても、たとえば「食」。食えれば何でもいい

というわけにはいかず、「欲望」を放っておけば、より美味いもの、グルメ志向となるのは必然。

人間はより「便利」「快適」「楽」を目ざす)

 

身体のほうは他の生きものと同様、生命体の進化に途方もない時間がかかる。

が、脳のほうはまたたくまにそのときの社会の価値観によって、とめどもなく

刺激される

  

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おしまいに、本全体を通じての心に強く響いた言葉を紹介します。

 

■「技術的にはできるけれどやらないでおくという選択があるのもよいこと

 

■「部分的なところに目が向いてしまう見方と全体を見ていく見方という違い

考えなければなりません

 

■「自己決定権の落とし穴

(「お前が○○決めたんだろう、だったら文句言うな!」)

 

■「(バイオテクノロジーはよりよい医療のために開発。しかし)これが使われるか否かは、

専門家というよりむしろ生活する人々の選択によるという特徴をもっています

(私は「臓器移植はどうも…」と思っているけれども、ドラマで心臓移植などで子どもが助かり、

家族みんなが涙を流して喜んでいるのをみると感動してしまう

 

■「(本来は「経世済民」であるべきなのに)もはやいまの経済の動きの基本は、

生活感覚とは無縁です

NHKニュースの終わりに必ず「きょうの株価…」と数字が表示される。

株とか為替レートなど気になる国民、そんなに多いのだろうか?

 

 

 

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                           ちりとてちん

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