カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.9.3 「予測不能な多重的な学び」ということ

たまたま見つけた『ものが語る教室‐ジュゴンの骨からプラスチックへ』

とてもおもしろかった。

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著者は盛口満さんといい、現在は沖縄大学の学長。

 

世界でいちばんと尊敬するお父さんが理科、化学の先生で、生徒さんたちが理科に

興味をもってくれるようにとさまざまな創意工夫をこらした教育を実践し、何冊か

本にも著されているそうだ。

 

そのお父さんの影響がすごく大きい盛口さんの大学の教室での学生をまえにしての

だけど小中高生も理解でき、かつおもしろがる)「授業」が本の内容になっている。

 

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【引用】

皮肉なことに、科学技術の異常な発達が子どもたちから理科を学ぶ意欲を殺ぎ取ってしまったのだ。

いまの企業のシステムは、鵜の目鷹の目、ニーズを探す。

人々が気づく前にほんの小さな利便まで掘り出し、要求を先取りして企業化してしまう。

すべてが始まる前におぜん立てを終わっている。…

 

予測不能で多重的な学び

僕らは、事後的に物事の意味を発見することができるのだ。

だから、ある出来事の意味は、あとになって、いくらでも付け加えることができるのだと思う。

「これをすると、こうなる」という考え方は、まさに消費社会的に、いくらのお金を払えば、即座に、

ある商品が手元に届くというシステムの反映に過ぎない。

こんなふうに思ってしまうのも、一つの魔法をかけられている結果としての症状のようなものだろう。

しかし、物事に、たった一つの意味しか見出せないのは、それこそコスパが悪いんじゃなかろうか…

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引用の「予測不能で多重的な学び」というものが、学生を相手にした「授業」、

彼らとの具体的なやり取りのなかで生まれてくるのがとてもよく感じられた

 

本が好きで(あたり前だが)独りで読むけれど、予測不能で多重的な学び

というものは期待できない。

(ああだこうだ、ああでもないこうでもないと、自分のなかにAとかBとかC…複数のいっしょに考え

くれる仲間《複数の自分》を想定できれば別だが。それでも、やっぱり自分を超えられない。

 

予測不能で多重的な学び」。学校《でなくても、ともかく集団でいっしょに》勉強するという意義

メリットはここにこそあるのだと、強く思った

「学校」という場は、一人ひとりが違った他人という集団、複数の仲間といっしょになって学ぶ

ということに意義があることに、いまさらながら気がついた。

個性の異なった他人のなかでこそ、自分というものを「発見」する、見いだす、自覚するということ。

 

テレビをツレといっしょにみる。私の気がつかなかったことを教えてもらったり、感想などを聞くと

自分とは違ったみかたを知ることになったり、いいなと感じた本よりいいなと感じることがある)

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予測不能で多重的な学び

著者が何らかのことを教えていると、ある学生が口をはさむ。

異議であったり、関連したことなどいろいろと意見や感想をいう。

それに対し教師という教える立場にあっても盛口さんは、彼らと同じ目線にたち

ていねいに反応される。

学生たちが「授業内容」に興味・関心をもつよう、ひくよう、彼らの言葉、態度を

たいせつにされる。

 

数字だけみれば1+1は2になっても、3にも4にもなることがある。

「これをすると、こうなる」という考え方… 物事に、たった一つの意味しか見出せない…

 

「たいせつに」するとは、学生たちに応えることが(逆に)自分が「学ぶ」こと

(学ばさせてもらう)なのである。

「反応」は心地よいので、それは次から次へと連鎖を起こす。

つまり「対話」へと発展すのだ。

 

学校の授業が、先生の話・講義が一方的にただ延々とつづくだけだったら、

家で本を読めばたりる。

(私は「対話」のような授業のおもしろさを体験したことがない。そんな授業を受けていたら、

先生の声を子守歌に、手を枕に、涎で机をよごさなくてもすんだのに…)

 

ひとりで読書していたらふつうは、読んだ教えられた、知った

物事に、たった一つの意味しか見出せない」。

または自分の読みかたしかできない。自分の視点でしかみられない。

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『ものが語る教室‐ジュゴンの骨からプラスチックへ』は、子どもたちの興味・

関心をひき出してくれるかなと、盛口さんがたまたま海岸でみつけて拾った

ジュゴンの骨を教室に持ちこんで、そこからプラスチックにまで結びつく授業に

した「物語」、(といっても)ノンフィクションだった。

 

 

 

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                             ちりとてちん

 

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