③ 「川の流域」。
「川の流域」という観点がとても新鮮に感じられた。
(グーグル画像より 大阪湾にそそぐ大和川)
水なくしては生きていけないけれど、「流域」という目で川と人の暮らしをみた
ことはなかった。
(「川の流域」。近年はとくに氾濫、洪水など豪雨災害のイメージが強い)
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川のもとは「雨水」。生命あるものの根本は「水」。
水が本のいたるところで述べられていた。
【引用】
「亜熱帯モンスーン地域の「コメと魚の文明」が人類を救う
〈灌漑農耕と文明の限界〉
アメリカの大平原地帯ではミシシッピ川の支流の水を全部使っていたのが…この20年は地下水を
使い始めていますね。→(日本には「地下水灌漑」がない)
…
(日本は)流域を単位とした水田稲作農業をやってきた…
山に樹木を植えてそこから水を引いて灌漑をやっている。…
下流の海では魚を獲ってタンパク質を上流に供給する。…
流域単位で循環的な水利用をして、生態系を生かした地域経営を行っていた。…
ヨーロッパの農業には、流域という考えはありませんね。
…
〈里山と流域社会〉
(日本は)地形が平野や盆地に支配されて、視覚的にも山がはっきり区別できる…
ヨーロッパの地形は平坦で、どこが山かわからない。
はっきりいえば、人間が住んでいる所と自然のエリアぐらいしか境界ができない。
…
〈地球温暖化と農業の持続性〉
21世紀は、世界のどこがいちばん発展するかというと、…亜熱帯モンスーンだと思っています。…
水という制約条件が非常に低いからです。…
(→「コメと魚」「川の流域単位」「表流水による灌漑」)
(注:〈〉()→太字太字はこちらでしました)
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地下水を灌漑用にひくことを想像したこともなかった。
(雨が少なさそうなアメリカなどの大農業をみて、「水はどこから?」と、ちょっと想像すればわかる
だろうに、大農場と省力化のための超大型の各種農作業機械車に目をうばわれてばかりだった)
日本の農業しか知らない身には、水があるのはあたり前すぎた。
以下、「コメと魚」「川の流域単位」の二つのこと。
① 「コメと魚」
まいにち食べてきたご飯、おかずの魚介類(肉はめったに出なかった)のありがたさ
(グーグル画像より)
「となりの芝生は青くみえる」「(ないわけではないが)ないものねだり」みたいに
子どものとき、パン食や肉食をうらやましく感じたことがあった。
(初めての英語で、ドイツのハンスという少年が毎日ゆでたジャガイモ《boiled potato》を食うという
文章が教科書にあり、かの国ではそれが主食だと思い、ジャガイモ大好きな私はドイツにあこがれた)
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② 「川の流域単位」
(「山に樹木を植えて…下流の海では魚を獲ってタンパク質を…」というSDGsは、朝ドラ「モネ」
でもやったし、こんなご時世だからよく聞く)
トップに書いたように「流域」という考えは個人的には衝撃的だった。
「川の流域」という言葉はありふれている。
しかし、その意味するものが人間の生活にとってこんなにたいせつなものだとは
実感したことがなかった。
「流域単位で循環的な水利用をして、生態系を生かした地域経営を行っていた」
「流域単位」という目で日本を、地域をみると「なるほど!」と実感。
北海道やヨーロッパのような広々とした風景へのあこがれを、子どものころには
よく抱いた。
「地形が平野や盆地に支配されて、視覚的にも山がはっきり区別」した日本より、
「平坦で、どこが山かわからない」景色であってもヨーロッパがよさそうに思えた
(たぶん私だけではない。
自然や風景・文化だけではなく、遠いむかしは子どものときから欧米文明へ憧れるように仕むけられた
のではないかという気がする。
(グーグル画像より)
二十歳まえにみた映画『ソルジャーブルー』は衝撃だった。
いまは「ネイティブアメリカン」と呼ばれるアメリカ先住民の人たち。
昔のいたいけな日本少年は「インディアン」と呼び、鳥の羽をながい髪をたらした頭につけ、
馬にのった彼らが徒党を組んで白人をおそう「悪者」という話を、100%信じた。
恐ろしいことだ《「鬼畜米英」の戦前と何もかわらない》。
当時のいたいけな男の子だけの話では決してない)
「里山」(「里海」)といつごろからかよくいわれるようになっても、あたり前の
景色で、とくに感じ思う、ましてや考えるなんてことはなかった。
日本は山国だから平地よりすこしでも高い山から無数に川がうまれる。
その川=水が中心、基礎となって私たち日本人が代々生きてこられたこと、
それがまったくあたり前のことではないことが、やっと私には自覚的に理解できた
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最後に、〈畏敬の念と欲望のコントロール〉ということの引用をします。
【引用】
「古代の森の神のように、自分が森の中から自分以外の存在に見つめられているという感覚(畏れ)を
近代の人間は失ってしまった」