ウンわるく事故にあい障害の身になったけれど、「前世の祟り?」と思ったことは
一度もなかった。
(前の世で悪事をはたらいたという覚えもなく、「業」や「輪廻」らしきものも感じない)
私は仏教者だと思っているけれど、「業」とか「輪廻」は信じていない。
信じていないが、このような発想、考えかたは理解でき、納得するときさえある。
それどころか、望むこともある。
(前世は信じなくても、現世での行いは必ず「天国にいく」か「地獄に堕ちる」。
それが「自業自得」であり、「応報、むくい」なのだ。
ところが現実はといえば、宝くじ以上に当てにならない。
現実は「悪いヤツほどよく眠る…長生きする」。そういう不条理、現実のやり切れなさを晴らすため
「呪い」はあると思う。
「呪ってはならない」という理性に逆らってまで呪いたくなることがある)
『〈業〉とは何か』 平岡 聡・著という本を読んだ。
本を読んで強く感じたことを五つだけ書きます。
① 生きていくなかで避けられない理不尽さ、不合理であっても否応なく
受けいれなければ生きてはいけない
② 自分自身の人間的成長のために
③ 人はだれも「悪人」として平等
④ 「善の懺悔」
きょうは①だけ。
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① 生きていくなかで避けられない理不尽さ、不合理であっても否応なく
受けいれなければ生きてはいけない
【引用】「〈現実的要請〉
人間は意味を求める動物である。
意味不明なことには、何らかの理屈をつけなければ納得できない…
その理由づけが科学的であるかないかは、このさい問題ではない。
腹に収まるようにどう理由づけるか」
(注:「」〈〉、太字はこちらでしました)
「業」とか「輪廻」は非科学的だと信じていなくても、庶民が生きつづけてゆく
ための〈現実的要請〉としてきわめてたいせつ、有効なものだと思った。
どれほど理不尽な現実であろうとも、「腹に収ま」るように「腹に収」めるように
努めなければ、ストレスがたまり続け、いつかはパンク、爆発する。
そうならない、させないためには非科学的であろうがなかろうが、
理不尽・不合理な現実、事実に「理由づけ」をしなければならないのだ。
(神話、むかし話、説話はそうしてつくられた)
ところが、人類と世界がこれほど科学で理解できるようになった現在でも
「理不尽な現実」はなくならないので、「腹に収ま」るように理由づけ」を
しなければならなくなる。
文化・文明がこれほど進んだ現代であっても、「天国」「地獄」も「自業自得」
「応報」も切望する。
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私はブログでも執念ぶかく(「輪廻」一般は信じていなくても前世で自分は蛇だったと信ずる)
「森友事件」のAを糾弾している。
何故そこまでAのような人間に腹がたつのか「腹に収まるように」考えてみた。
(腹に「収ま」らないからこそ「たって」しかたないのだけれど)
↓
■これは国家、公的な(ということは国民みなに関係した)事件。
■世のなかには残酷な、許しがたい犯罪は山のようにある。殺人事件もある。
確かにこれは虐待、強盗、無差別殺人のような酷さはない。
国の文書が改ざんされて許されない、赤木さんが自殺で死んだのがかわいそう
と言ってしまえばそれだけ。
しかし、赤木さんという自分の仕事に誠実に取りくんでいた人が、上司Sからの
とうてい納得のできない(文書改ざん)命令に抵抗をするも聞きいれられず、
上からの命令、押しつけられ「させられている」とはいえ、実際にしているのは
自分であることに苦悩し、耐えられず、ある日、死を選んだ。
Aは上司Sの上司(副総理兼財務大臣のもう一人のA)の上司で総理という最高権力者。
Aは自分はちょくせつ手をくだしていない、あれは勝手に(秘書ではないが)部下の
Sという高級官僚がソンタクしてやったことだと切りすてた。
(そうされた元高級官僚。いまはどうしているのだろう、胸のうちはどうなんだろうか)
■Aは祖父に元総理Kをもつ。
わがままのし放題に育ったに違いない。
だから、普通の「大人」でなく「こどもオトナ」と呼ぶべき人格になった。
(二度にわたる責任なげ出しというか放りだしのような形で首相をやめた《辞めてくれてよかった》
ことといい、《あっちこっちでいわれたように》自分が莫大な国税を投入したにもかかわらず、
大不評で多くの在庫を抱えて困っていた「マスク」。その始末、処分にやっと目途をつけた現政権に
ケチをつける。
どこまでめでたい、全能感いっぱいの幼児と似ていることだろう)
■「森友事件」は最高権力者の地位にあったAとその妻の関与は否定できない。
(関与したからこそごくわずかでも自責の念があったのであり、まったくないのなら、疑われる理由が
全然ないのなら)起訴を正面から受けてたち、正々堂々と無罪を主張すればいい。
なのに、司法に手をまわした。
どこまで姑息…。
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みずからは直接手を汚すことなく、うまく他人を使って欲をはたそうとする卑怯な、ずる賢い人間が
私は大嫌い。
こういう反吐の出る話には、地獄の存在を切に願う。
私も地獄に堕ちる人間だが、そこはAよりマシな地獄だと自信をもつ。