カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.7.8 ちゃんと老人になれて

ウチには洗面所と風呂場にしかない。

顔や手を洗うときチラリ、浴室では髭もそるので注視する。

目がわるいので鏡にうつった姿はぼやけているけれど、自分だとわかる。

が、ときには一瞬、お化けが…と勘ちがいすることも

(長年つき合ってきたわがフェースのこと、まちがうはずはない。霊など信じないが存在するとしたら

背後霊」かもしれない)

 

鏡をみれば、「ほうれい線」やジリのさがった顔がうつっている。

老いれば皮膚がたるみ、垂れ、肌のツヤやハリが減るのは自然なこと。

いたしかたないことなのだ。だからそれはかまわない。

 

それらには目をつぶれるけれど、目の働きは一番、ガマンならない。

 

                       まぶたが下がる、「眼瞼下垂(がんけんかすい)」ってなんですか?

                               (グーグル画像より)

 

私には眼振」「複視」という障害があり、そのせいで視野がとても狭く不快、

うっとうしい。

それがもと(原因)で、視力が1.2もあったのに0.1以下にも落ちた。

(この障害のせいで《低視力も重なり》自分の顔もぼやけているから助かってもいるけれど、

こうしてパソコンでキーボードをうっていても、アルファベットが見さだめがたく、しょっちゅう

打ちまちがえてばかり

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                        (グーグル画像より 若い女性のもの)

二番目は(鏡ではわからないが)紙をなかなかめくられない指に唾をつける。孫がきている

ときは見られないようにする)、スーパーの買いもので生ものなどをナイロンのような

小袋(ロールになっており、引っぱって切ると取れる)に入れようとくっついたその袋の

口を指で広げよう(開けよう)としてもむずかしい、家の掃除で粒のような小さい

ゴミを見つけて指の腹にくっつけようとするがくっつかない、つまり脂分は指さき

まで減っていること。

(たぶん、指紋もわかりにくくなっているのだろう)

 

             

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上の二つをもってしても、身体はじゅうぶんに老人になったと感じているけれども

人間が「熟した」(ちゃんとした老人)という覚はすこしも持てない。

 

熟した気はまったく持てなくとも、歳をかさねてきた、長く生きてきたという

事実の重みはよく感じる。

ちょっとエラそうになっても、その感覚から、これからの人たちに伝えたいことを

これからも書いていきたい。

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きょうの記事題名は「ちゃんと老人になれて」です。

(「ちゃんと」であって、「ちゃんとした」ではありません。

《私のいう「ちゃんとした老人」「熟した老人」は、あんな風に老いたいなあと憧れる、テレビなどで

たまに見かけるお年寄り》

けれども、ちゃんとしていなくても老人になるまで生きてこれた。

この事実を〇〇に感謝し、奇跡だと受けとりたい)

 

これまで記事でなんども書いてきたように、16年前に突然の事故に遭ったとき

死んでいたかもしれなかった。

障害者になりはしたが、生き残った。

「生きのこった」ことを「よかった」と思える人生(残りすくなくないが)

過ごしたい。

 

 

 

 

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                           ちりとてちん

 

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