カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.7.26 かたつむりの佇まい

もうすぐ8月だけど今年はいまのところ、夏特有の大雨による多くの人にあたえる

酷い自然災害は聞かない

そのことがすごくありがたく思われる。

(といってもこれは日本。45°を超える熱波で森の火災が発生、たくさんの人が死亡というスペイン。

ニュースで聞き、信じられない思いにとらわれる)

 

災害、災難というものは、事件、戦争のように人間が起こすものはどうしようも

なく強い怒りがわくが、自然によるものは怒り(もっとしっかり防災対策をとれば

防げたのに)よりも、相手は自然、しかたがないというあきらめのほうが先にくる

 

自分自身はこれまでウンよく地震、大雨、台風などの被害に遭わずにきても、

先のことはわからない。

(自分が障害者となる事故は木からの落下ではあっても、その元の原因は暑くて熱中症になり

一時的に気を失い落ちたのだと思っている。まわりまわってこじつければ「自然災害」?

自己責任を問えばヘルメットもしていなかったので「注意不足」。

ともかくみなさん、熱中症にはじゅうぶん気をつけてください)

 

      

 

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近年、「地球温暖化」による(それが本当の理由かどうかはわからないようだけど、

そのことも影響して)異常気象の自然災害が世界のあっちこっちで起きている。

世界とはいわなくても日本でも、「頻度も被害度も、昔よりずっと酷くなった」

という実感は私ももっている。

 

地球の主みたいな顔した人間(G7)が、自分だけの欲望、利益をもとめた

経済活動を、ついに行きつくところ、つまり地球全体まで広げた。

広げるだけ広げたそれをいまでは「グローバル」と言っている。

(天気、気象は自然現象だからもともグローバル。元祖「グローバル」)

経済活動のグローバル化が「地球温暖化」をもたらした。

経済活動のグローバル化が必然だったから、地球温暖化」も必然だった

 

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人びとは天気などがもたらす災害、災難に遭遇するのは不運とあきらめ、

仕方ないことだと受けいれる。

 

生き続けていくには、そうせざるしかないとはいえ、瓦礫の山を片づけ、

被った災害から起きあがり、立ちなおる。

まさに「七転八起」のダルマそのもの。

 

そんな人々の姿から、ずっと前にあった「折々のことば」鷲田清一さんの朝日新聞

連載コラム)を想った。

 

【引用】

別の食物に飛びつくために、こちらの食物を残したままにしておき、

夢中になって貪(むさぼ)り食うということもなく、慌てる様子もない。

 (フランシス・ポンジュ)

     

 それに、何かを失(な)くしたままでも気にしない。

かたつむりの佇(たたず)まいをフランスの詩人はこう描く。

体は傷つきやすくても、殻に身を潜めて、やかましい連中を黙殺できるし、

蹴飛ばされてもすぐまた地面にそっと密着できる。

「確実でもの静かなこの前進の態度以上に美しいものはない」と。

散文詩集『物の味方』(阿部弘一訳)から

 

        

 

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ダルマはまたかたつむりでもあると思った。

「かたつむりの佇まい」に人々の生きかた、姿が重なった。

 

別の食物に飛びつくために、こちらの食物を残したままにしておき、

夢中になって貪(むさぼ)り食うということもなく、慌てる様子もないという。

 

(これは鷲田さんの言葉だが)蹴飛ばされてもすぐまた地面にそっと密着できる

 

そしておしまいに、フランシス・ポンジュ本人の言葉。

「確実でもの静かなこの前進の態度以上に美しいものはない」

 

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避けられようのない自然災害であれ、意図をもってするのだから避けられるはずの

戦争であれ、その災難に遭遇し、何度も、どれほどの大きな被害を受けても

起きあがる、立ちなおる人々。

 

そして何ごともなかったように淡々と日々の生活を過ごす。前へ進む。

(生き続けるにはそうするしかない前進

 

 

 

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                            ちりとてちん

 

 

 

 

 

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