カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.7.29 スマホ

(この前、芹沢俊介・著『家族という意志―よるべなき時代を生きる』からの引用をしましたが

本の一節に、携帯電話の汎用が人々の自己本位主義的志向と個人化」をうながし

「家族を壊す」という意味のことが述べられており、ふかく考えさせられました。

 

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【引用】

「〈自己本位主義的志向と個人化

携帯電話は、自己本位主義的志向がきわめて強度をおびた社会状況と呼応したアイテムである。…

携帯電話なくしては自己存在の同一性を保ちえないと感じている、

それくらい依存度を高めているひとたちが大量に出現してきているのである

「〈携帯電話の汎用

自己領域化自分の周りの他者のニードへの静かな無関心自分の世界への没入状態

周囲に生じている他者のニードに無関心な状態

 

(注:「」〈〉、→、太字太字はこちらでしました

             

 

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スマホ

いろいろなところで、多くの人が下の方ばかり見入っている。

せわしなく指を動かしている。

(こういう景色を生きているうちに見ようとは想像したことがなかった。

科学技術者も、漫画家も想像できなかったらしい。鉄腕アトム』にも出てこなかった

 

おそらく人々の日常世界を変えた、といってよいスマホ

(社会生活の歴史は「スマホ登場前」と「スマホ登場後」の二つに大分されるのではないだろうか)

手のひらサイズだから、どこでもいつでも容易にできる。

自分だけの(個室トイレみたいな完全のプライバシー)世界に没入できる

(「今ここを生きているのは確かに私」)

 

スマホはそういう「自己本位主義」と「個人化」のアイテムとしてはうってつけ。

(「携帯電話なくしては自己存在の同一性を保ちえない」。

まさしくスマホは「アイデンティティ」。

先日、フランスのテレビ局が制作した若者のスマホSNS依存の現状を伝える番組をみて、

あらためて問題の深刻さを痛感した。

《このことは何にでも当てはまるけれど》「ほどほど」がたいせつだと、これもあらためて感じた

 

スマホは、個人の行動に革命的な変化をもたらしているけれど、個人が集まって

作られる社会(集団)どんな影響を及ぼす(及ぼさない)のだろうか?

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スマホ平成の革命アイテムというなら、昭和のそれはテレビだったと思う。

(令和はなにか?)

 

小学4年生だったころ、田舎にもテレビがきた。

(まだ金持ちの家にしかなかったけれども、あたり前のように見せてもらいに行った。

子どもだったからできたのだろう)

そのころはテレビの虜になっていたので見ることしか頭になかったけれど、

数年たってわが家にもテレビがお目見えしたころ、「テレビばか」という言葉が

聞こえてきた。

(中学生になっていたのでいわれていることはわかった。テレビばかり見ているとバカになる。

そのうち「一億総白痴化」も登場した)

 

でも、テレビを見過ぎてバカになったという話は聞いたことがない。

でも、聞いたことがなくてもある(あった)のかもしれない。

なくても、テレビが空気のようになっているので、バカにはならなくても、

知らず知らずのうちにテレビの一方的な攻勢に受け身になるしかないので、

テレビのお説をかんたんに信じ、手間がかかり面倒くさい「自分で考える」を

おろそかにしがち。そっちの力は衰えているのかもしれない。

歩くことが減ると、歩くことが多かった生活をしていたときに比べると、足腰が弱くなってくる。

知らず知らずのあいだに。

 

でも、スマホはテレビにはないできることが比較ならないほどたくさんある。

たとえば「受信」に対しての「発信」。決してテレビにはできない。

他にもできることはいっぱい。それだけ選択肢が多くて選ぶのに悩むほど。

意志的、積極的な力、主体性が求められる)

 

           

 

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書名が『家族という意志』とあるように著者は、いまの時代は「家族」だいじ

するならば、意志して、つまり意図的に求める努力をしないといけない、

そうしない限り(放っておけば)壊れていくという。

 

テレビは個々人の、自分で考える力を少しは奪ったかもしれないが、それでも

家族団らんの場にあった(ある)ので、家族をつなぎ留めているアイテムにも

なりえた。

(全員そろってはいなくても)家族で一つのもの(テレビ番組)を見る。一つのものに

関心を向ける。ときには家族同士のコミュニケーションが生まれた。

 

スマホの画像の「ねぇ、見て!」からも、それが生まれる場合もあるけれど、

家族同士の接触、つながりは、やはりスマホなかったときと比べてみれば

明らかに減っている。

家族より自分を優先させる自己本位主義的志向と個人化」が家族を壊すのではと

著者は危惧するのだ。

(けれど、私はテレビのときのように杞憂におわると思う)

 

家族をだいじにし、他人に気をくばる使い方をすればいい。

しかしテレビと違い、スマホは使い方にほんとうに気をつけなければならない。

(正しい意味により近い)自己責任が問われる場合が生じる。

(「周囲に生じている他者のニードに無関心な状態」には決してならないように。

自転車や車のハンドルを握っているときの操作など論外だ。

なのに、きょうもそういうドライバーを見た。

スゴんだ顔して睨みつけてやった。ハッハッハ!)

 

 

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                           ちりとてちん

 

 

 

 

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