カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.8.23 人だけが「醜い」作る

「醜い」は、「見にくい(難い)」「見に苦い」が語源のような気がする。

(「正視しがたい」ということだろう)

 

3年前に亡くなられた橋本治という小説家ちょっとだけのファンで、好きなので

また読んだ。

 

『人はなぜ「美しい」がわかるのか』 

     

 

私は「原理主義者」ではないが、「常識」「普通」といわれていることでも、

本質(原点、根本)立ちかえって考えてみる態度、姿勢がたいせつだと、つねづね

思っている。

 

橋本治さんは想像力ゆたかな小説家らしく、理屈で構えるのはなく直感にまかせ

ひょうひょうと物事の勘どころ、本質に迫られる(ように感じる)ので惹きこまれる

 

私には想像できない視点がとても新鮮に感じられる。

(「目から鱗」ということが何度もあった)

 

      

 

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人だけが「醜い」を作る」というところだけ引用します。

          

【引用】

「(「ガマガエルに会った時」というところで著者はいう)「美しい」と「醜い」という分け方は

しません。

自然界に「危険なもの」ではあっても、「醜いもの」は存在しない

「醜い」は、人間にだけ関わるものなのです。

「存在に美醜はない」と言っても、私は、「人間の存在にだけは美醜があると思います。

なぜかと言えば、人だけが「自分の存在」を作るからです。

人間は、自分の都合を第一にして生きています。それはそれで仕方のないことですが、…

人間は「自分の都合」で美醜を決める

 

(注:「」、(黒字)、→黒字太字太字太字はこちらでしました)

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著者は夜、外を歩いていてガマガエルに出あって驚き、気もち悪いとは感じても

「醜い」とは思わない。

(ヘビでも同じだろう)

ガマガエルもヘビも自然の存在だから、気もち悪く感じても、

「危険なもの」ではあっても、「醜いもの」ではない。

(「自然現象」も自然の存在だから、台風や地震なども「危険なもの」ではあっても、

「醜いもの」ではない。

危険で醜いものの筆頭は戦争)

 

「存在に美醜はない」と言っても、私は、「人間の存在にだけは美醜がある」と

思います。… 人だけが「自分の存在」を作るから

なんと単純そぼくな真実(「真実」というのはいつも単純素朴)だろう!

 

人は多様だから、醜いことをしても平気でいられる(「醜い」「下品」とは感じない)

もいるらしい。

そうでなければ、自分が生存していくため、自分の遺伝子を残そうと必死になって

メスをめぐって死闘くりひろげるオスのような、本能レベルで他の個とつき合う

以外ない動物とはちがう人間が、かつては生き残るためには他と戦うしかなかった

という歴史段階をすぎた現代でも、いまだに他人をダマすような醜いできごと、

事件があるのだろう?

じつは、「醜い」とは感じ(られ)ない人が「ごくごく一部」、「例外的存在」

ということじゃなくて、人間そのものがそういうごくごく一部をもともとから

含んだ存在なのかもしれない。

 

2歳の孫をベッドサークルに入れて家に残し、自分たち(祖母とツレの男)はUSJ遊んでいて熱中症

死なせた事件があった(孫を残しての遊びはこれまでも何度かあったことが、取り調べで判明)。

ほかにも、悲惨きわまる虐待死などの事件をよく聞くけれど、よく聞くとはいっても「氷山の一角」に

ちがいない。

だが、人を死なせるという、絶対とり返しのつかない醜い事件でも、これは世の中の超マクロ的な、

片隅の個人的なもの。

 

個人的な事件」では絶対にすませてはならぬ、社会的政治的な、まだ終わっていない事件。

部下の佐川なる「個人」の罪をもつくり出した森友学園、他の二つを含めた「モリ・カケ・サクラ」。

疑惑の張本人が故人となり《なったことで皮肉にも霊感商法統一教会問題が忽然と登場》今じゃ、

そっちのあまりの酷さに「モリ・カケ・サクラ」が霞んでいる)

 

人間の存在にだけは美醜がある

人だけが「自分の存在」を作るから

 

 

 

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                            ちりとてちん

 

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