カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.9.16 「信じる」 「疑う」

前回の記事ともに、『貝と羊の中国人』を読みおえてもう一つ強く感じたことに

信じる」「疑う」がある。

 

政治を信じるというのと、何かの誘い(たとえば「統一教会「オレオレ」)にのる

というのは同列には扱えないけれど、「信じる」点では同じことで、結果として

ダマされた、詐欺だったということに終わることがある。

 

信じる」ことは恐ろしい。

信じたことが裏切られる、ダマされるということがある。

そういうことまで考えて、なおかつ覚悟をもてるなら、信じていいのだと思った。

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そうではあっても、

人は信じる」ことで安心し、生きる。

突きつめれば、信じなければ毎日の生活だって成りたたない。

そういう意味では、よくいわれるように人は「幻想」を生きているのだと思われる)

 

私は霊感のような「他力」で幸福になろうと思わないが、「自力」で幸せになる

自信もないので、マイ仏壇にムニャムニャつぶやくなど仏の「他力」も借りている

祈りや信仰と信じる」は、正確には違うけれど似たところが多い)

 

      

     
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共産党独裁で民主主義がない中国。

いちおうは「立憲民主制」の日本。

政治体制は違っていても国民あっての国家だから、どっちの国民もいちおうは、

自国を信じている。

だけど、

国民がいつまでも信じすぎ、疑うのが遅すぎなければいいがと心配になる。

(皮肉にも「国葬」されようとする人物をとおして統一教会」問題が明らかになったが、これほど

政界と統一教会」との癒着が騒がれても、「知らなかった」「認識していなかった」で終わり、

政治が変わる気配はほとんどない)

 

現在の日本の政治、習近平の中国の政治が続いているのは、さまざまな不平不満が

国民のあいだにうっ積していても、バブルのようにはまだはじけない、

まだガマンができるからだろう。

「ガマン」で思いだした。

危険を早く察知することのたいせつさを説く寓話、「ゆでガエル」の話を。

(「ゆでガエル」とネット検索すればすぐ出ます)

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信じる」の個人レベルでの話。

「オウム」や「統一教会などの新興宗教信じる人たちは、寄付すればするほど

壺をたくさん買えば買うほど霊感が高まり、「幸せ」になれる信じる

ある本に、日本人が人生の目的を「幸せになること」といい出したのはそれほど古くはなく、

カネでほとんどの物事が手に入れられた「バブル」がはじけ、「高度経済成長」がのぞめなくなって

からのことだと述べられていた。

身のまわりの、身の丈にあった小さな幸せを求めようという。だいじなのは「小欲知足」。

それが幸せへの確実な近道とわかっていても人間、「寄付すればするほど…霊感を高めれば…」と

幸せにも欲がでる)

 

「欲がでる」、ましてや幸せになることへの欲望は誰にでもあり、あたり前。

そこに目をつけ、疑うことが不得手な(私と真逆の)善良な人たちの信じる

逆手にとり、利用し、ダマす犯罪者。

すなおに信じてダマされるほうが悪い、バカだとうそぶく)

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国葬」をごり押しする政治も、「統一教会」「オレオレ」などの詐欺も、

本質は同じ(だと私は信じている)

(記事の最初に書いたように人は「幻想」を生きている。「信じる」ことを広くとらえれば

人はたとえそれが「幻想」に見えても、「自分の世界を信じ生きている。     

 

たまたま生まれた国の宗教が《あれを宗教とは思わないが》「統一教会だったら…と想像すると

ゾッとする。そんなバカなことあり得ないと想ったら大間違い。

戦前までの日本では天皇が神さまだった。信じる」のは簡単なことなのだ。

考なければいいだけ。

「長いものにはまかれ」、

お上がカラスは白いと言えば、実際は黒くても「はぁ、白いですね」とソンタクすればいい。

 

盆のころ、テレビの地域局が「終戦記念日特集」で、その悲惨・悲劇があまりに凄まじいので、

戦争が終わっても長いあいだ秘密にされてきた戦争の遺跡、慰霊碑を紹介していた。

番組のさいご、インタビューを受けた小学生が人と人が殺しあうことなんて「あり得ない」

信じられないこたえていたのが強く胸にひびいた

 

 

〈オマケ〉

とてもおもしろい。ぜひお聴きください。

クリックして1分55秒までは対談で、そこからが歌です。

 

www.youtube.com

 

 

 

 

                             ちりとてちん

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