きょうは④から終わりの⑥まで。
④「人間の幸福と不幸…それは人間が思うほど大きなひらきがあるわけじゃない…
それは今の日本が安全で恵まれた状況にあるからだ。
戦争とか、飢饉とか、疫病とかで、大量の死が発生すると、印象も変わる。
そんなことはないと言い張る人もいるだろうが、
人間はどんなことにも慣れるものだ」
平和な日常。
心配や不安のない(なかった)一日のありがたさ。
その「ありがたい」ことに気づくと幸せになる。
幸せは、「タイクツだ」「ヒマだ」…と思うときにも潜み、隠れているのだ。
(「タイクツだ」「ヒマだ」…と思えることも幸せになる)
ただ、掘りおこしてやらなければ見つからない。
(幸も不幸も、平和なときは「人間が思うほど大きなひらきがあるわけじゃない」。
しかし、「戦争とか、飢饉とか、疫病とかで、大量の死が発生すると、印象も変わる」。
ほんとうにそうだと思う。
しかし、「戦争とか、飢饉とか、疫病とかで…」としても、「人間はどんなことにも慣れるものだ」
《逆にいえば「慣れる」からこそ生きていける》から、悲惨な現実にも慣れその現実のなかで
自分の幸せを探そうとする。悲しい存在。
客観的には悲惨な現実であろうと、自分だけの小さな幸せだとしても、それは生きる灯となる)
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⑤「成功者の多くは、その成功を自らの努力と才能の結果だと信じ、
大スターは自分に力があると思っている。
しかし、彼らは単に運がよかったにすぎない」
「成功者」でない私がいえばウソか負け惜しみとられてもしかたないけれど、
水木しげるがいうのだから深くうなずかされる。
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⑥「だけど文化が あまり河童を幸福にしないことがわかったので
河童は自然に帰ったのだ。…
文化は人間を幸せにするために発展する。ある程度まではそうだろう。
だが、適度な発展を超えてしまうと、文化も文明も、
得てして本来の目的を見失ってしまう」
「ある程度」は、言いかえれば「適度」、「度を越してはならぬ」「いい加減」
「ほどほど」だろう。
この河童の話をきき、とてもだいじなことだと改めて感じた。
自動車など乗りものの速度も「適度」を越してはいけない。
(交通事故につながるだけでなく、風景も楽しめなくなる。
「リニア新幹線」の必要性は、いくら考えてもわからないのであきらめ、「絶対、乗るもんか!」と
今は思っているけれど、新幹線もけっきょく乗っている。
しかし、「新幹線の速度」までが「文化」だとj実感する)
そうなら、河童もいてくれただろうに。
(お化けも幽霊も、鬼も妖怪たちも。
著者は医者でもあるので「進みすぎてあまり人間を幸福にしていないのは、医療も同じだ」と
いっていた)