カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.10.11 冴えてる一言 (2-2)

きょうは④から終わりの⑥まで。

 

④「人間の幸福不幸…それは人間が思うほど大きなひらきがあるわけじゃない

それは今の日本が安全で恵まれた状況にあるからだ。

戦争とか、飢饉とか、疫病とかで、大量の死が発生すると、印象も変わる。

そんなことはないと言い張る人もいるだろうが、

人間はどんなことにも慣れるものだ

 

平和な日常。

心配や不安のない(なかった)一日のありがたさ。

その「ありがたい」ことに気づくと幸せになる。

 

幸せは、「タイクツだ」「ヒマだ」…と思うときにも潜み、隠れているのだ。

(「タイクツだ」「ヒマだ」…と思えることも幸せになる)

ただ、掘りおこしてやらなければ見つからない。

不幸も、平和なときは「人間が思うほど大きなひらきがあるわけじゃない」。

しかし、「戦争とか、飢饉とか、疫病とかで、大量の死が発生すると、印象も変わる」。

ほんとうにそうだと思う。

しかし、「戦争とか、飢饉とか、疫病とかで…」としても、「人間はどんなことにも慣れるものだ

逆にいえば「慣れる」からこそ生きていける》から、悲惨な現実にも慣れその現実のなかで

自分の幸せを探そうとする。悲しい存在。

客観的には悲惨な現実であろうと、自分だけの小さな幸せだとしても、それは生きる灯となる)

 

       


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⑤「成功者の多くは、その成功を自らの努力と才能の結果だと信じ、

大スターは自分に力があると思っている。

しかし、彼らは単にがよかったにすぎない

 

成功者」でない私がいえばウソか負け惜しみとられてもしかたないけれど、

水木しげるがいうのだから深くうなずかされる。

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⑥「だけど文化が あまり河童を幸福にしないことがわかったので

河童は自然に帰ったのだ。

文化は人間を幸せにするために発展する。ある程度まではそうだろう。

だが、適度な発展を超えてしまうと、文化も文明も、

得てして本来の目的を見失ってしまう

 

         


ある程度」は、言いかえれば「適度」、
「度を越してはならぬ」「いい加減」

「ほどほど」だろう

この河童の話をきき、とてもだいじなことだと改めて感じた。

 

自動車など乗りものの速度も「適度」を越してはいけない。

(交通事故につながるだけでなく、風景も楽しめなくなる。

リニア新幹線」の必要性は、いくら考えてもわからないのであきらめ、「絶対、乗るもんか!」と

今は思っているけれど、新幹線もけっきょく乗っている。

しかし、「新幹線の速度」までが「文化」だとj実感する)

 

そうなら、河童もいてくれただろうに。

(お化けも幽霊も、鬼も妖怪たちも。

著者は医者でもあるので「進みすぎてあまり人間を幸福にしていないのは、医療も同じだ」と

いっていた

 

 

 

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                          ちりとてちん

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