カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2022.11.8 知る、伝える(情報)から、「自由」の話へ

③知る、伝える(情報)

 

著者によれば「はこぶ【交通・運輸】は、

ヒトを運ぶのが交通、モノを運ぶのが運輸、情報を運ぶのが通信」の三つがあり

きょうは三つ目の「情報を運ぶのが通信」の話です

 

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【引用】

「〈利便」に捕らわれる(現在)

(交通の発達によって便利快適になった現代社会。

だが、それに引きかえられ失われたものごとにも目を向けなければならない。

中間をカットした交通形態」ということに、著者は高取正男という人の言葉を引用)

自動車に乗るということは、一見して自由な選択のようでありながら

結果的には近代の機械文明の一環に、より強く繋がれることをも意味している

ネットで情報提供する現在の風潮は、それを自由に使いこなせる人たちだけ

 

       


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情報」「通信」の「利便」の話からはとぶけど、

自由について考えさせられた。

            

現代は複雑な社会だから、一見、「自由」はあると思いがち。

 

だれの目からも明らかな客観的に「自由」のない状態、状況にあれば、

自由」とは「差別、拘束、強制という不自由からの解放」わかりやすいが、

形として(直感的)は「自由」があるように見えても、より大きなところに立って

みれば拘束され、支配され、差別されていたりするかもしれない。

ホント、わけがわからなくなる。

(自分で自由に決めた判断したと思いこんでいても、当の自分が気がつかなかっただけで、

じつは何か《誰か》にさせられていた、操られていた、仕むけられていたのかもしれない。

 

いちばんの「支配」「差別」の方法は、そうされていると当人が感じないやり方。

そのためには、なるべく「選択肢」を増やすのが効果がありそう。

「選択肢」がたくさんあれば自由」が多いと思ったりしそう)

            ⇩

しかし、「自由」はそれがいわれている文脈、条件、状況、環境の全体のなかで

さまざま変わってくる。

自由だけ独立して、他との関連をぬきに取りだし、とやかくいっても仕方ない

(たとえば、引用の自動車に乗るということは、一見して自由な選択のようでありながら

結果的には近代の機械文明の一環に、より強く繋がれることをも意味している」。

そうはいっても、自動車に乗るためには運転免許を取らねばならず、運転にはエネルギーを

使わなければならず、そういう「不自由」をガマンしなければならない。

そして、乗るという「自由な選択」が可能になる。

結果的には近代の機械文明の一環に、より強く繋がれること」になっても、その「利便

《広くは「欲望」》「恩恵」によくそうとするなら仕方ない)

             ⇩

近代の機械文明」を生みだした科学技術は、当初は万々歳で迎えられたけれど、

いまでは、その「使いかた」のたいせつさがよくいわれる。

(歴史から学ぼうとしない人間が《形のうえでは「民主主義」をへて》権力をにぎっている現状に

人間の「愚かさ」を痛感するけれど、「感じる」だけではすまされない。

彼らが「使いかた」を間ちがえ、昔だったら科学技術のおよぶ範囲はごく一部だったけれど、

これほど地球規模、グローバルになれば自分だけ逃げる、隠れるわけにはいかなくなった。

彼らだけの「自業自得」ならいいけれど、私たちも巻き添えにされること必至)

              ⇩

科学技術は現在、ここまで発達し、「これからどうなっていくんだろ?」と

自分たち、人間自身が不安がっている。

 

ここまで人間はいい加減、危うい、頼りにはならない。

いつまで人間が科学技術を管理・コントロールできるのかわからない。

(だから、社会のあり方を技術の進化にゆだねる「技術決定論」は絶対いけない)

              ⇩

で、私自身は一見して自由な選択のようでありながら、…近代の機械文明…に

より強く繋がれる」ことを自覚していなければならないと思う。

 

結果としては同じことでも、そのことを覚めた眼で見つめているかどうかは

大きくちがう気がする。

(私は「近代の機械文明の一環に、より強く繋がれ」ていたので、障害者になる前には、

みじかい通勤距離でもバイクに乗っていた。

おかげで《タバコをやめたこともあり》54㎏の体重は60㎏まで増え、飲まないのにメタボにもなり

ジョギングしたこともあった。

覚めた眼をもっていれば、「自由な選択」として機械に乗らないで歩くことも考えただろう。

そういう体重の話はどうでもいいが、私は障害者になっていなかったら間違いなく大きな確率で

運転ちゅう交通事故をおこし、加害者になるか、ひとり相撲で自滅したと真剣に想う)

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最後の「ネットで情報提供する現在の風潮は、それを自由に使いこなせる

人たちだけにも、深くうなずいた。

 

私の場合、パソコンはブログするのがいちばんで、二番目はデジタル写真の

取りこみと見ること、ためること。他にはものごとの検索。

パソコンだけでもさまざまな使いかたがあり、スマホには便利アプリがいろいろ

と聞くけれど、使いたいとはあまり思わない。

(と書いたけれど、ホントは使いかたを知り、使いこなせるようになるのが面倒くさいだけだと

わかっている。使いこなせるようにならなければ「自由」ではない)

 

〈オマケ〉

愛読しているクミオさんのブログです。

ビックリしました。

下の記事でカメのアイコン像を変えてくださったのが載っています。

www.boardgamepark.com

 

こんなふうにステキに大変身!

 

              https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bg4kids/20220915/20220915230620.png

 

                           

                            ちりとてちん

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