カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.1.20 生活を支えるトラック

子どものころ、近くには一軒の食料品が主のごく小さな雑貨店しかなかった。

衣類や文房具などがいるときは、7㎞ほど離れた田舎町の中心部に出かけなければ

ならなかった。

(当時はこれがふつうで、こういう状態しか知らなかったので、「不便」と感じたことはなかった

ーーーーー

動物は、たえず食べ物、獲物をさがし、狙っている。

(「生きる」ことは「食べる」ことなのだ)

「食」は人間にも、過去とか現代、未来をこえて絶対的。

豊富でなくても「食べる」ことは欠かせない。

(食料品を中心にさまざまな生活必需品がいつでもおかれているスーパーやコンビニなどは

安心して生きてゆくためになくてはならない

いまは必要なものがそこで見つからなければネットで探し、注文し、宅配してもらうという

新たな求めかた、買いかたが出現し、そのサービス、恩恵に多くの人があずかっている

ーーーーー

いまの日本ではたいていのところが、少し行けばあたり前のようにスーパーや

コンビニなどがある。

それら店舗に商品をはこび、おろしているトラック、また機敏な動作で家々に

せっせと注文品を届けている宅配の人を見ないときはない。

 

『物流危機は終わらない-暮らしをささえる労働のゆくえ』  首藤若菜・著

を読んだ。

 

ーーーーーーーーーー

本に、「スーパーで野菜を手に取るとき、商品の生産地を確認したり、

パッケージに映る生産者の写真をみて、農家に思いを馳せたりすることはあっても

それを運搬してきたドライバーの姿を思い浮かべることは、まずない」とあった。

 

野菜を手に取ることはあまりないが、100円ショップでステキなものを見つけると

これが100円?!と称賛するとき、その商品をつくっている人、メーカーを想う

けれど、運搬してきたドライバー姿を思い浮かべることは、まずない

 

ハンドルを握っていたときは、高速道路をはしることもよくあった。

夜おそくはしっていると、いろいろなトラックを見た。

運転手している人もさまざま。「トラック野郎」みたいなピチピチも、私のような

くたびれかけたオッサンも。

遊び、レクレーションが目的のたまの高速道路の運転ではない。

「運送」「運搬」という日常の仕事。

命がけ、緊張をともなうたいへんな仕事だ。

 

         


暮らしを運ぶトラック-農家の野菜がスーパーに届くまで」という項目が
あり、

物流の九割を占める日本経済の黒衣

今日、トラック輸送は、日本の物流の主軸」と述べられてあった。

 

なんと物流(鉄道便、海運、空便などすべて)の91%がトラック便とのこと。

ーーーーー

副題が『暮らしをささえる労働のゆくえ』とあるように、物流という私たちの生活

暮らしを根幹において支えながらも、その仕事がかえりみられにくく、

感謝されにくいトラック運転手の現場労働の辛さ、苛酷さの軽減克服が

「国民的課題」になるようにさまざまな問題が提起されていた。

 

とくに終わりごろの「消費者と労働者のつながり」のなかの次の言葉、

トラック運転手の)長時間労働や過労死などの労働問題は、

消費者である私たちも関わり、加担して、生み出されている」と、

あとがきの

私たちが得ている「安さ」や「早さ」が働く者の長時間労働や過労死と

引き換えに存在するならば、それは果たして社会的公正に適うのか

が、強く印象に残った。

 

〈オマケのはなし〉

100円ショップにもネジを使った商品が多くある。

100円商品からいまの朝ドラを連想した。

物語のいまは、町の小さなネジ工場が、経営者だった主人公の父が亡くなり、危機に陥ったところ。

ドラマだからそこからの脱出、立ちなおりがこれからの物語の行方なのだろうが、町工場、中小企業の

実態《虚構もまじっているに違いないけれども》に触れられており、そのうえ「ネジ」自体の話も出て

とてもおもしろい。

私なんか、このドラマがはじまってのこれまでの話、主人公が飛行機のパイロットを目ざしてよりも

真剣にみている)

 

                           

                           ちりとてちん

 

<