前回のはじめに「人間はもともと孤独」と書いたけれど、独りであっても
人は社会の中でしか生きられないから、社会のことは気になり、知りたい。
どうしたらいいのかわからなくても、そういう問題があるという事実だけでも
知りたい。
人が生きるということは、実際は個人が自分自身を生きることだから個人の数だけ
さまざまな世界、事情があるけれど、何らかの社会問題にぶち当たることがある。
しかし、そのぶち当たる物事や障害を、「問題」とするかどうかは人によって違う
(たとえば「非正規雇用」。
日本は資本主義社会だからあって当然、という人には問題とされるどころか意識にものぼらない)
先日の、悲惨きわまるトルコ・シリア国境の大地震。
自然は、一度に大勢の人に、しかも差別することなく一様に、害、大災害を
及ぼしているかに見える。
しかし、被災した人々とそうではなかった人々、被災程度が軽かった人々と
重かった人々人の差、違いの発生を想うと、日本での自然災害もそうであるように
単純に運・不運の問題に片づけられるものではない。
その自然現象(いまは地震)を災害にするかしないかの運・不運に、大きな影響を
及ぼしている人間、社会の問題もあるのではないだろうか。
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「水が砂にしみ込むように」という表現があるけれど、次の本を読んで
自分が砂になったような気もちだった。
『「人新世」の資本論』 斎藤幸平・著という本を読んだ。
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東西冷戦の終結、ソ連などが潰れるまでは、進んだり下がったり、いろいろ曲折
しても、究極的には資本主義の次は社会主義、と私は信じていた。
(社会主義は、国民すべてが平等、生活に経済的格差がない、つまり貧乏も金持ちもない。
そういう生活の基礎・土台が確固と保障されたうえに各自の特性、個性が花ひらく世界。
私にはそれが社会主義《能力に応じて働き、働きに応じて受けとる》・共産主義《能力に応じて働き
必要に応じて受けとる》だった)
が現在、潰れなかったとはいっても中国や北朝鮮は「社会主義」国とはいっても
実態はあのとおりで、太陽が西からのぼらぬかぎり、ああはなりたくない。
(先日こんなニュースがあった。自国領空に小さな気球状の物体が浮かんでいるのに不審を抱いた
アメリカはそれを撃ち落し、後に残骸を調べたら中国からだったと発表。それに対して中国は自分は
やっていない、アメリカこそ中国領空に…と反論。どっちの言うことが事実かわからないけれど
バカみたい。
こういうバカをきっけに両国が国益を損なうようなバカはしないだろうが、中国は「アメリカこそ…」
というのは子どもみたいで恥ずかしいとは感じないのだろうか。
それより先に、気球、バルーンのような謎の物体が浮遊…と聞いたときいちばんに思ったのは、
大学生が何かの実験で飛ばしていたのが、紐が切れたか電波が届かなくなってコントロール不可能…
だった。
アナログな話でいい気分だったのに、アメリカが撃ち落したという生臭い続報を聞いて悪くなった)
資本主義が社会主義に対して勝利したかのよう、永遠に続くかのように見えるが
ほんとうにそうだろうか?
そうではない可能性を、希望をこの本は感じさせてくれた。
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この本はひと口でいえば、
飽くことなき無限の「利潤追求」、そのための労働者からの搾取、(ブログの最中、
宣伝・広告が出ないことはない)人々の消費欲望の喚起、地球自然の掠奪という
資本主義の本質を考えるならば、資本主義のまま、資本主義体制を残したまま、
貧困をはじめとするさまざまな人間社会の問題、地球規模の自然、すなわち資源
(エネルギー、原材料)・環境問題を絶対に克服、解決できない。
そして、人類がほかの生きものたちと共に地球に生き残ろうとするのならば、
根源的な「生産」(突きつめれば「食」=農業)を「資本」という形でのごくごくごく
一握りの資本家(とその寄生的なつながりの連中)の私的所有にまかせるのではなく、
日本でいえば農林漁業の「入会権」(ヨーロッパでも同じようなもの《たとえばイギリスの
「コモン」》がある)のような今も残っている共同体的なしくみを利用したり、
各種の協同組合的なあり方を参考に共同化、社会化していかなければならない
と説く。
資本主義社会を変えるなら、人類は滅亡せずにすむと著者はいう。
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いまのまま、このままでは、現代に生きる私たちは心配、不安なことはみんな
将来の人、子孫たちに押しつければすむ。
それが先行世代の特権というもの。
「後は野となれ山となれ」だ。
(何代にもわたれば、その子孫たちと現代の私たちとを結びつける血縁などの関係は辿れない。
かくして、私たち現代を生きる者は無責任になれる)
現代の私たちが生きている間は何とかなっても、子どもや孫たち、その先の世代の
日本はどうなっているだろう?
現在は「10年」「100年」に1回の大災害が毎年発生し、「10年」「100年」の
表現は無意味になってきた。
今後、世界も日本も貧富の格差はますます開き、人間はもっともっと不平等になる
いまはちゃんとわかる子どもや孫だけではなく、その孫の子ども、またその子ども
…
地球は大丈夫だろうか?
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「人新世」という言葉を私はこの本ではじめて知った。
地球の表面に積もり積もった土の特質、地質の違いから区別し、その地質ごとの
歴史としてあらわした「先カンブリア」「古生代」「中生代」、7千万年前から
現代までの「新生代」。
その「新生代」のうち、人類が誕生してからほんの20万年しか経たないのに
人類の生存活動のすさまじさは「温暖化」という「気候危機の時代」を生みだした
「人新世」とは、「ウィキペディア」によれば
「人類が地球の地質や生態系に与えた影響に注目して提案されている地質時代における現代を含む区分
である。人新世の特徴は、地球温暖化などの気候変動(気候危機)、大量絶滅による生物多様性の喪失
人工物質の増大、化石燃料の燃焼や核実験による堆積物の変化などがあり、人類の活動が原因…」
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「資本論」という言葉は、知っていた。
『資本論』でマルクスがはじめて資本主義のしくみ、システムを科学的に
(ということは、誰もが納得するように)解明し、その根本的な矛盾から社会が
社会主義・共産主義の世の中へと変わるのは「歴史の必然」だとした。
(若いころは「高度経済成長」の恩恵にあずかったし、いまは中国、北朝鮮があれほど不評。
これじゃ「社会主義革命」はムリだといまは思っている)
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人は生まれたかぎりは、少しでも「幸福」になりたい。
「幸せ」を感じていきたい。
「世界がぜんたいが幸福にならなうちは個人の幸福はあり得ない」
という宮沢賢治の言葉は、おそらく夢にちかい理想にすぎないかもしれない。
(たとえ、大多数の人が満足できるような、客観的に理想と思えるような社会ができたとしても、
「人間は個性的存在」「人それぞれ」だから当然、満足できない人もでる)
賢治の言葉は永遠に叶えられるわけないと思うけれど、「あんたかてアホや…」
の記事で書いたように、夢や理想は、持ちつづけることがいい生き方につながる。