カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.3.3 遺伝

若いころ、自分は「人間」であって、「生きもの」「生物」とは思わなかった。

(あたり前すぎて意識しなかった)

 

今はまったく違う。

これは「老化」現象のひとつかもしれないが、人間であることを通りこし、

しばしば生物、動物としての自分を感じ、思うようになった。

社会で生きる虚飾をはぎ落し、シンプル、身軽になったということ。

生物、動物としての血なまぐささ、脂ぎった活動的な部分は残すところ数%くらいか

こうなったのは老化と、仕事社会からの撤退のせいだけだろうか。

 

ただの生きものに過ぎないと強く思うようになったのは、あらゆる生命現象の源、

DNAが解明され、さまざまな場において、遺伝子の存在が大きく取りざたされる

ようになったこともある気がする。

(遺伝子レベルでは、人間もほかの生物もたいして変わらないという)

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愛読している爽風上々さんのブログで読みたくなる本をいっぱい見つけ、

これまでも自分なりの記事を書いてきたが、今度はこれを。

(いつものように、爽風上々さんの記事がとてもわかりやすく書かれてあるのでリンクさせて

いただきました。是非、お読みください)

              ↓

sohujojo.hatenablog.com

 

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私として強く感じたことは、「遺伝」と「生物多様性」ということ。

(この二つのことだけ書きます。きょうは「遺伝」です。

便宜的に三つに分けました)

 

■ 遺伝

①「人間の遺伝子には無限の可能性があり、一元的な価値観だけで遺伝子を評価することは

 人間の可能性の幅を縮めることになる

 …

②「〈ips細胞が可能にする夢の再生医療

 生態学はあくまでも自然の流れに沿った生命現象を対象に研究する学問です。

 ips細胞のような遺伝子工学は自然の流れに相反するともいえる技術なので、

 生態学者は遺伝子工学をよくは思わない傾向が強いと思います

 …

③「〈遺伝子優生論

 人間からしてみれば、まさに隕石さまさまです。

 隕石の衝突がなければ永遠に恐竜の時代が続いていたかもしれず…

 優生学を人間社会に当てはめてはいけない…

 人間は自然淘汰に逆らい、助け合うことで生き残った

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① 「遺伝子は最強」とよくいわれる。

生物、動物レベルでは当てはまるかもしれないが、人間、なかんずく

「主体的に生きる」という根本レベルでは、問題にならないと思う。

なぜなら、主体的に生きていれば遺伝なんか眼中にないだろうから。

(主体的に生きていれば、何ごとかを成そうとした結果、うまくいかなくてもその原因を、

親からの遺伝をはじめ他人の何かのせいにすることはないだろう)

 

       

             (グーグル画像より)


本能、遺伝子という
ヒトのレベルでは当てはまりの影響から免れること

できないが、「人生」というものを持つ人間(個人、一人ひとりが社会集団のなかを

生き抜き、さまざまな自分だけの「人生」という物語をつくる)に目を向ければ遺伝子

最強でも何でもないと強く思う。

(「遺伝子、クソくらえ」。しかし、

それなりに努力しても出来ない、上達しないことがあると、

「たぶんこれはそういう遺伝子不足のせいかな」とため息がでる。しかし、

私としては珍しく「努力」したつもりでも、努力不足だったのかもしれない。

《細かくいえば、「がんばる遺伝子」不足、「あきらめ遺伝子」過剰なのかもしれない。

いずれにしろ、こんな勝手を言えば遺伝子がかわいそう》)

 

親からさずかった遺伝子は、突然(ということは偶然に)変異でも起きない限り、

そのまま伝わるけれど、私は自分の意志、力で、自分の「人生」を

一元的な価値観だけで遺伝子を評価」しないことはできるのだ。

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② ips細胞のことを初めて聞いたときは、完治することがむずかしいといわれる

病気、ケガ、障害に光がさしたように感じ、とても嬉しかった。

が、のちにips細胞のような遺伝子工学自然の流れに相反するともいえる技術

であることを知り、この技術の使い方に私たち人間は悩まなければならないのだと

強く感じた

(ガン治療の最先端では、その患者さんの遺伝情報に基づいて、その方のガン遺伝子だけを狙い撃ち

標的にするという治療法が登場してきた。

その医療技術は、現状では高価すぎて富裕層しか使えないが、そのうち多くの人々も使えるようになり

ガンが克服されるのもそれほど先のことではないのかもしれない。けれども、

ガンなど身体の内部の異常が原因の病気は克服されても、新型コロナや鳥インフルエンザのような

感染症人間の外部、自然界からの細菌、ウィルスなどヒトと同じく生物が原因だから別。

彼らは自らの遺伝子を変異させながら永遠にヒトを襲うから対策はやっかい。けれども、

ヒトも負けてはいない。新たなワクチン開発で対抗、永遠なるくり返し、「いたちごっこ」に終始。

それでも、死ぬという「自然の流れに相反」しても人間は長生きしたがる。

             

          

             (グーグル画像より)


私はips技術は難病など治療がむずかしい病気だけに利用を限り、

「エンハンスメント」などには絶対利用してはならないと思う。けれど、

ips技術の利用・発展はお金と必ず結びつく。結びついたらスポーツが本来のスポーツでなくなり、

カネまみれのオリンピックなどは、いつかなくなる日がきっとやって来る。

《代わりにエンハンスメント力を競う「人造肉体大会」みたいなものが隆盛するかもしれない》)

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② 「隕石さまさま」。

私が読んだ本では、隕石落下他の原因であろうと恐竜が滅びなかったら、

人類は登場していなかったとあった。

人類が地球に存在し、他の多くの生きものたちと共に生きてきた、生きているのは

ただの偶然でしかないと。

 

            

                (グーグル画像より)


(もしも隕石が地球に衝突しなかったら、ずっと恐竜が地球の王者として自由に闊歩し、

わが世の春を謳歌《それはあり得ず、恐竜そのものがいまの爬虫類、両生類、鳥類などに進化》

したりして…。

「ただの偶然」ということは、それだけみればほんとうに素朴で単純だ。

自分が生まれたのも、ヒトである母親の卵とヒトである父親からの精子がたまたま出あって結ばれた

形ある現れ、結果にすぎない)

 

長くなったので、「生物多様性」は次にします。

 

 

 

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                         ちりとてちん

 

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