カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.3.14 「不在の認知の困難」

『絶滅の地球誌』  澤野雅樹著 という本を読んだ。

 

(グーグル画像より)

 

ちょっと難しかったので飛ばすところが多く、四分の一くらいしか読まなかった

けれど、二つ、強く感じることがあった。

①「不在の認知の困難」ということと、②「反・目的論」ということ

きょうは①です)

 

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①「不在の認知の困難

不在(ない)ことを証明することの難しさ。

 

客観的に存在しない物事を「無」「ない」というが、人間は頭や心を自由に駆使し

想像する。

「想像」は「幻想」にもなり、客観的な有・無とは切りはなされることもある。

文化、芸術はそれでいいけれど、

科学技術、犯罪認定のように事実が問われるものはそうはいかない。

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絶滅したが、かつてはその生きものが地球に生きていたということは、

地層や化石を調べるしかない。

いまは「不在」ではあるが、かつては存在していた。

 

絶滅したとされる生きものが「かつては存在していた」ということを証明する。

証明されてやっと認知される。

 

                     

              (グーグル画像より)


生物の場合は自然な存在だから逃げてはいかない。

世界中の自然科学のありったけの人材・知識と手間ひま・お金をかけ、

遠い先ではあってもいつかは真実を明らかにできるけれど、

「絶滅」ではなく「冤罪を晴らす、「やったとされる」罪を「やっていない」と

証明する、立証することはどれほど難しいことだろう。 

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立証責任(「証明責任」)

「やっていない」「無」「ない」を証明しなくてはならないのだ。

 

先なる前提として「やった(犯罪をおかした)」とされ、犯罪者にされた事実があり

後からこれを否定、崩さなくてはならないのだ。

 

先に、すでに「ある(在る)」ことは(以前にはなく、新しく存在することもあるけれど)

具体的に目に見えたり、耳で聞いたり感じることが多く、

存在の事実が肌で認識されやすく、(イヤであろうと)なじみとなりやすい。

(社会の世論づくり、キャンペーンのような大事ではなく、たとえ個人的な事件や犯罪でも、

テレビ・新聞《いまはそれら以上にSNSなどネット》などのメディア媒体、広告・宣伝機関

くり返しさらされれば、「そうだろう」「そうに違いない」となりやすい

 

         日野町事件 大阪高裁が再審開始認める(BBCびわ湖放送) - Yahoo!ニュース

              (グーグル画像より)

先日、「日野町事件」被告《本人、阪原弘さんは死亡》に代わっていまは長男が再審請求の

裁判を引き継いでおられる)の大阪高裁が出た。

5年前の大津地裁に続いて再審を認めた。

(が、そのときの喜びは数日後、激怒に変わった。こともあろうに大阪高検はこの判決を不服とし

最高裁に上告

 

きのう13日は、静岡の「袴田事件」の再審を認めるかどうかの東京高裁判決

ほんとうによかった!

 

 

 

 

 

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                            ちりとてちん

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