カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.4.28 こんなことがあった③(お終い)

医者にかかり、即、入院した。

(「入院した」というより、私には「入院してくれた」という言いかたの方がピンとくる。

ついに、こっちに折れてくれたという感じだった。

 

《唐突だけど》偶然とは恐ろしいものだと思う。

①ずっと前に私は脳外傷、こんどはツレが脳梗塞と、ともに頭、脳がやられたこと。

内と外。「見事」と言いたくはないけれど実に見事な偶然の一致のような出来事に、泣きたいほど

笑いたくなった。

②こっちはどうでもいいような無理やり「偶然」とこじつけた話。

冷蔵庫の買い替えは10何年に1回くらいの、滅多にしかしないきわめて稀なことだ。

それを脳梗塞発症前日にしていた。配送は旅から帰って数日後にされる予定だったので、

その用をすませてからでないと安心して医者にかかれないとツレはのたまう。

冷蔵庫なんかどうでもいい。こっちは一刻も早く医者にかかって欲しいと気が気でないのに、本人は

「安心」が聞いて呆れるようなことを言う。

《けれど胸の内では、宅配の受け取り、つまりお礼を言ってハンコを押すかサインするだけのことを

私に任せるというほど、今の自分を頼りなく感じる不安があったのだろう》

 

           


旅の終わり、子どもから「お帰りメール」があった。いつも母《ツレ》からすぐに返信があるはず

なのに、父である私が代わりのメールを返したのを不審に感じたらしく後から電話があり、

子どもたちの知るところとなった。

もちろん、子どもに泣きつかれ、しぶしぶ医者にかかり、そのまま入院となったのだ。

《もちろん、あの日の朝、すぐ病院にいくよう、子どもたちから言ってもらおうとしたが、

心配させてしまうし、気も進まないやり方なのでやめた》

ーーーーー

いまは退院している。

担当医はもっと長く入院させておきたかったのかもしれないが、本人は早い退院を

強く願うし、私も(退院できないのならその理由を納得するよう説明してほしい強く望む

ので10日後に退院した。

 

脳梗塞でおかされた脳神経細胞(担当医にCT画像を見せつけられ、その部分が白いのを直接

自分の目で確認し、自覚せざるを得なかったようだ)は、決して元に戻ることはない。

症状は個人ごとにさまざまで、ウチ(ツレ)の場合はどうやら(医者でもはっきりとは

わからないらしい)高次脳機能障害」があるかもしれないとのこと。

適切なリハビリ訓練により代替神経ができたりするなどして、期間の長短はあれ、

ともかくある程度回復する機能もあるとのこと。

(「回復」しなくても、「慣れる」)

 

退院後に入院中やっていたリハビリ訓練をどうするかの話もあったけど、リハビリ

効果は疑わないが、日常生活にひどい支障は起こりそうではないので、老人には

「これでいいのダ!」と思い、やめた。

リハビリ専門家によらなくとも、家での生活自体がリハビリだと思っている。

(私が脳外傷で障害者になったときもリハビリ訓練を受けていたけれど、医療制度が改悪されたため

3か月以上の入院はできなくなり《それまではできた》退院せざるを得なかった。

しかし、リハビリ訓練継続の必要はあり、リハビリ専門病院や訓練施設への転院など奨められたけれど

私がみます!」とツレは言った。

退院も病院での移動と同じく車イスだったが、家で暮らすうち、しばらくして手ばなした)

ーーーーー

退院してもうすぐ3週間。

 

入院中はさまざまな心配、不安があったのだと思う。

何度もなんどもショートメールが送られてきた。

言葉が思うように出てこないので、きわめて簡単な短文、一言、二言ばかり

(それも言葉の間違い、誤字脱字が多い)

ときには「…」だけだった。

 

私の思ういちばん大事なことは、つき詰めれば「穏やかな気もちで毎日を過ごす」

こと。

で、ショートメールの返信は安心して退院し、退院後のことは何も心配すること

ない、という意味のことを本気で書いた(打った)。

 

が、退院した日、料理ができなくなった自分を意識した(料理は手さばきだけでなく

高度な脳の働きが求められる。冷蔵庫にある食材を使ってできるメニューを記憶の引き出しから選択、

イメージし、手順にしたがって作業を遂行しなければならない)ツレは、夕食をどうするか

まで考えていない私に肩の力が一気に抜けるくらいがっかりした。

私のショートメール返信の内容をウソとまでは思わないにしても、「調子いいこと

ばかり言って…」と、少し涙をこぼした。

 

「調子のいいことばかり」で非現実的かもしれないが、私は本気だった。

もちろんいまも。

しかし、「勘というかコツというか、これまでの脳の高度な情報処理以前の身体になじみ

しみついているものが戻りつつあるのか、いまの脳の働きに慣れつつあるのかわからないけれど、

苦労しつつも料理できるようになった」と見る私はやっぱり「調子のいい」「ご都合主義」の人間。

私のそういうところはずっと昔にあきらめているのだと思う。

だからか、退院当日のような涙はいまはない)

 

 

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                           ちりとてちん

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