カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2023.5.5 ロックとルソー

『資本主義に出口はあるか』 荒谷大輔・著

 

 

私たちが生活している現代の日本は「資本主義」社会といわれている。

が、「社会主義」社会といわれる現代の中国も、旧ソ連だったロシアなども、

生きるための土台、経済は「資本主義」化、よく似てきた感じがする。

 

それに、長く続いているから「人類にはこれしかない」「これは普遍、絶対」と

思われてきているような「資本主義」は、ひと口に「資本主義」といっても、

現代と昔とでは大きく違っているのじゃないかと思う。

(もちろん「資本主義」である限り、基本、土台の仕組み、システムは変わらない)

 

私が子ども、若者だったときは社会に労働組合は普通にあり、労働争議は普通に

起きていた。

しばしば、労働争議は社会の民主化と結びついていた。

(小学3年生だった頃、ラジオから聞こえてきた「アンポ」が、阿呆の「アンポンタン」と聞こえ、

老いたいまも忘れられない。

「革新」が生きていた。

当時の社会党が分裂し、消え入りそうでも「社民党」という名で残ったのには救われるが、

分かれた大きい方、「民主党」が分裂を繰り返し、こんな骨抜きになるとは思わなかった。

政治が骨抜きとされ、日本全国、国民を一応は平等に運んでくれた「国鉄」がなくなった。

他にもいっぱい)

 

いまの日本社会を「普通」として昔を見れば、逆に、「高度経済成長期」にあった

昔、過去のほうが「異常」だったのかもしれない。

ーーーーー

けれど、時代が進もうと、新しくなろうと、生きる上でたいせつにしたいと思う

物事がある。

 

それを、本書は強く考えさせてくれた。

かたそうな書名だけど、すこしも難しくなかった。

読み終えて、この本に出あったことを「幸運」と感じざるを得なかった。

 

とても新鮮な視点から、いま私たち日本人が生き、生活し、暮らしている社会、

「資本主義社会」といわれるものが何かを、どこに出口(資本主義社会で「当然」と

いわれている物事が当たり前ではなく、その「桎梏」から脱出するための方法)があるかを

多くの人が納得できるよう、わかりやすく述べられていた。

 

二つのことを書こうと思います。

(本の帯にあるように、社会を見るとき、従来は大きく「右」・「左」、「保守」・「革新」、

「リベラル」かどうかなどと対立的に分けてきたが、著者は歴史上の二人の偉大な人物、「ロック」と

「ルソー」を、「右」・「左」に替えてみようと言う。

今日はそのことを、次回はこの本でいう「マトリックス」ということ)

 

ーーーーーーーーーー

社会って、こういうもの?-ゼロから社会を見直すこと

(現在の社会を)仕方なく受け入れている人がいたとすれば、「まったくそんなことはない」と

その人に伝える必要がある。

当たり前(と思っている物事は)歴史の中で作られたもの(その根拠は)実はほとんど

存在しない

 

この社会はどんな社会なのか-「右/左」の対立の本質〉

「右/左」に代えて「ロック/ルソー」という新しい対立軸を使うことで、

今日に至る近代社会の構造を一望できるようになります。

 

社会契約論」とは何か

重要なのは、そのよく分からない理屈で語られる「人間なるもの」の設定の上に、

この社会」で誰もが疑わない「当たり前」が成立しているということです。

(基本的な例として、ロックの「社会契約論」における私的所有の権利

ここでは「囲い込み」が正当化される。

しかし、ロックの時代においては、現代のようにお金さえ出せば何でも自分の所有物にできる

というものではなかった。

人が私的所有できる範囲は、…人間がその自然的本性に則って使用できるものにとどまる

と考えられていた」)

 

交換を介した他者の生産物の私的所有

しかしロックは私的所有の原理を、当人の生産物だけではなく、他者の生産物にも及ぶもの

と考えました。…

この私的所有原理の拡張によって人は、間接的にではありますが、他人の身体に関わること

ができるようになっているからです。

(「他人の身体に関わることができる」というのは「自分の身体を使ってできる範囲を超えたものを

所有できること」で、例えば一個人としての自分の食べる量はだいたい茶碗3杯のご飯、米である

にもかかわらず、釜いっぱいの《いや米蔵を満たす》量の米を所有できるということ)

 

ルソーの社会契約論

(ロックとルソーの大きな、というより決定的な違いは、平等」に対するとらえ方にある。

ロックの「平等」は、ロックの考えの源流ともいえるホッブズの「人間の能力なんてたかが知れている

という意味で、「人間はイコール(=)平等」」にあった。つまり)

ロックの「平等」には「結果の平等」は含まれていないのでした。

それに対してルソーの「平等」には、必要に応じて結果の不平等を調整すべきという考え方が

含まれています。

フランス革命のときのロベスピエールのルソー主義は、「生存権を脅かすような「商業投機」は

「私的所有権」に根ざしたものであっても認められない」として、富の再配分を求めるものだった)

 

          


ーーーーー

いちばん初め、「序」において、

私たちが生きているこの社会、この世は、自分が生まれたときにはすでに存在

している、自分より先に与えられたものとしてあるから、その中でしか、

内でしか生活できない、生きてはいけない、

そうなのだけど、それが「絶対」ではない、「当たり前(と思っている物事は)

歴史の中で作られたもの(その根拠は)実はほとんど存在しない」、

だから、「社会って、こういうもの」と諦めるのではなく、

ゼロから社会を見直」してみる必要が述べられている。

 

そして次に、「この社会はどんな社会なのか」と問い、

「右/左」に代えて「ロック/ルソー」という新しい対立軸を使うこと」で

今日に至る近代社会の構造を一望できる」と言う。

この歳でロックやルソーの人生や社会への考えを学ぶことになろうとは

思わなかったが、「なるほど…」と深くうなずけた。

ーーーーー

先日あった選挙。私ごとでたいへんなことがあり、選挙どころではなかったが、

実は、そういうまったく個人的な心配事がなくとも、私はいま政治に強く失望し

どうでもいいとなりつつある。

 

そんな折、ロックやルソーの話は身に沁みこむほどおもしろかった。

 

 

 

 

                              f:id:kame710:20171029114701j:plain

                              ちりとてちん

<