『資本主義に出口はあるか』 荒谷大輔・著
私たちが生活している現代の日本は「資本主義」社会といわれている。
が、「社会主義」社会といわれる現代の中国も、旧ソ連だったロシアなども、
生きるための土台、経済は「資本主義」化、よく似てきた感じがする。
それに、長く続いているから「人類にはこれしかない」「これは普遍、絶対」と
思われてきているような「資本主義」は、ひと口に「資本主義」といっても、
現代と昔とでは大きく違っているのじゃないかと思う。
(もちろん「資本主義」である限り、基本、土台の仕組み、システムは変わらない)
私が子ども、若者だったときは社会に労働組合は普通にあり、労働争議は普通に
起きていた。
(小学3年生だった頃、ラジオから聞こえてきた「アンポ」が、阿呆の「アンポンタン」と聞こえ、
老いたいまも忘れられない。
「革新」が生きていた。
当時の社会党が分裂し、消え入りそうでも「社民党」という名で残ったのには救われるが、
分かれた大きい方、「民主党」が分裂を繰り返し、こんな骨抜きになるとは思わなかった。
政治が骨抜きとされ、日本全国、国民を一応は平等に運んでくれた「国鉄」がなくなった。
他にもいっぱい)
いまの日本社会を「普通」として昔を見れば、逆に、「高度経済成長期」にあった
昔、過去のほうが「異常」だったのかもしれない。
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けれど、時代が進もうと、新しくなろうと、生きる上でたいせつにしたいと思う
物事がある。
それを、本書は強く考えさせてくれた。
かたそうな書名だけど、すこしも難しくなかった。
読み終えて、この本に出あったことを「幸運」と感じざるを得なかった。
とても新鮮な視点から、いま私たち日本人が生き、生活し、暮らしている社会、
「資本主義社会」といわれるものが何かを、どこに出口(資本主義社会で「当然」と
いわれている物事が当たり前ではなく、その「桎梏」から脱出するための方法)があるかを
多くの人が納得できるよう、わかりやすく述べられていた。
二つのことを書こうと思います。
(本の帯にあるように、社会を見るとき、従来は大きく「右」・「左」、「保守」・「革新」、
「リベラル」かどうかなどと対立的に分けてきたが、著者は歴史上の二人の偉大な人物、「ロック」と
「ルソー」を、「右」・「左」に替えてみようと言う。
今日はそのことを、次回はこの本でいう「マトリックス」ということ)
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「〈社会って、こういうもの?-ゼロから社会を見直すこと〉
(現在の社会を)仕方なく受け入れている人がいたとすれば、「まったくそんなことはない」と
その人に伝える必要がある。
「当たり前」(と思っている物事は)歴史の中で作られたもの…(その根拠は)実はほとんど
存在しない
〈この社会はどんな社会なのか-「右/左」の対立の本質〉
「右/左」に代えて「ロック/ルソー」という新しい対立軸を使うことで、
今日に至る近代社会の構造を一望できるようになります。
〈「社会契約論」とは何か〉
重要なのは、そのよく分からない理屈で語られる「人間なるもの」の設定の上に、
「この社会」で誰もが疑わない「当たり前」が成立しているということです。
(基本的な例として、ロックの「社会契約論」における「私的所有」の権利。
ここでは「囲い込み」が正当化される。
しかし、ロックの時代においては、現代のようにお金さえ出せば何でも自分の所有物にできる
というものではなかった。
「人が私的所有できる範囲は、…人間がその自然的本性に則って使用できるものにとどまる
と考えられていた」)
〈交換を介した他者の生産物の私的所有〉
しかしロックは私的所有の原理を、当人の生産物だけではなく、他者の生産物にも及ぶもの
と考えました。…
この私的所有原理の拡張によって人は、間接的にではありますが、他人の身体に関わること
ができるようになっているからです。
(「他人の身体に関わることができる」というのは「自分の身体を使ってできる範囲を超えたものを
所有できること」で、例えば一個人としての自分の食べる量はだいたい茶碗3杯のご飯、米である
にもかかわらず、釜いっぱいの《いや米蔵を満たす》量の米を所有できるということ)
〈ルソーの社会契約論〉
(ロックとルソーの大きな、というより決定的な違いは、「平等」に対するとらえ方にある。
ロックの「平等」は、ロックの考えの源流ともいえるホッブズの「人間の能力なんてたかが知れている
という意味で、「人間はイコール(=)平等」」にあった。つまり)
ロックの「平等」には「結果の平等」は含まれていないのでした。
それに対してルソーの「平等」には、必要に応じて結果の不平等を調整すべきという考え方が
含まれています。
(フランス革命のときのロベスピエールのルソー主義は、「生存権を脅かすような「商業投機」は
「私的所有権」に根ざしたものであっても認められない」として、富の再配分を求めるものだった)
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いちばん初め、「序」において、
私たちが生きているこの社会、この世は、自分が生まれたときにはすでに存在
している、自分より先に与えられたものとしてあるから、その中でしか、
内でしか生活できない、生きてはいけない、
そうなのだけど、それが「絶対」ではない、「「当たり前」(と思っている物事は)
歴史の中で作られたもの…(その根拠は)実はほとんど存在しない」、
だから、「社会って、こういうもの」と諦めるのではなく、
「ゼロから社会を見直」してみる必要が述べられている。
そして次に、「この社会はどんな社会なのか」と問い、
「「右/左」に代えて「ロック/ルソー」という新しい対立軸を使うこと」で
「今日に至る近代社会の構造を一望できる」と言う。
この歳でロックやルソーの人生や社会への考えを学ぶことになろうとは
思わなかったが、「なるほど…」と深くうなずけた。
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先日あった選挙。私ごとでたいへんなことがあり、選挙どころではなかったが、
実は、そういうまったく個人的な心配事がなくとも、私はいま政治に強く失望し
どうでもいいとなりつつある。
そんな折、ロックやルソーの話は身に沁みこむほどおもしろかった。