あっという間にひと月が経ち、もうじき二か月だ。
これだけの期間でもたしかに良くなった。
が、私はまだまだ良くなると、ひそかに思っている。
(別に「ひそかに」でなくてもよいのだが、本人は病気のことを気にしており、私が「気にしない」
「元気を出して」という意味のことを能天気な口調でしつこく、うるさく言うのでウンザリしている。
で、自分の心の内でひそかに思うだけにした)
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「元気がない、力がない」という感じが2週間くらいは大きかった。
もちろん、単に「元気がない、力がない」のではない。
障害のあらわれは個人によりいろいろあるらしく、本に述べられていた中に
「ああっ、これこれ…」という当てはまるものを伴ってのこと。
就寝は、いまは私と同じくらい10時ころまで起きておれるようになったが、
退院後しばらくは9時には寝た。
朝まで一度も起きず、寝返りもせず眠っていたので心配になり、寝息を確かめた
こともある。
昼寝も1時間以上(いまは30分くらいになった)していた。
前に書いたように、家での生活が可能ならば、そうすることがいちばんのリハビリ
だと思う。
(家で生活する中で何ができて何ができないか、できないことでも努力すればできるようになるのか
《専門的なリハビリ訓練を受ければよくなる気がするならそうすればいい》、努力では解決しない
ものなのか、そうだとしても長い間には脳のどこかの部分が代替機能を果たしてくれるようになるか
わからない。そういうことがが実感をともなってわかってくる。
「慣れ(馴れ)」も大事だ。「できないこと」「不自由」に慣れ、また慣れなくても、これまで
「できていたこと」の意味を問い、「できなくてもいいのでは」と価値観が変わることも起きる。
私は起きた)
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いちばん強く変わった(「できなくなった」、もしくは「難しくなった)ことは、
二つある。
①同時に二つか三つのことを行うということ。
②脳にある知識、記憶など関連した複数のことを引っぱり出し、相互に結びつけ
統合して考える、または逆に一つの物事を分解、分析して考える、そんな抽象的な
思考が苦手、困難になったこと。
以前は夜、テレビを見ながら必ず編み物をしていたけれど、いまはひたすら画面を
注視しているという感じ。
たとえばドラマ。「注視」=集中していないとスジがわからなくなる。
(○○をしながら△△するということはできなくなった)
脳が一度に複数の物事を処理することはできなくなったのだ。
一度に○○と△△は脳の中に同居できないので、本人が○○をしていたら
○○しか頭にはない(○○に集中している)。
そういうときは、外部から△△という刺激を与えてはならない、話しかけては
いけないのだ。
(忘れて声をかけると「わけがわからなくなった…」「私は何をしていたんだろう?」と混乱する。
いまではマシになったけれど、退院してしばらくは「わけがわからん…」と叫ぶくらいだった)
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ゴチャゴチャ述べるより、日記から抜粋します。
11日
(入院中、冷蔵庫が新しいものに換わった。退院したその日に冷蔵庫の中身を点検、整理)
片付けに集中しているから、「話かけんといて!」と言う。…
たくさん洗濯したので(私が)干すと言ったが、自分の思い(干し方など)がある
ので「いい!」と拒否。
ともかく、本人の気持ちが一番なのだ。…
何かをしているとき、(それが何であれ)危険なこと以外は絶対、話かけては
いけない。…
生協のチラシを見ている。「頭に入るの?」と聞いたら首を横に振る。
でも、ページをめくりよく見ている。分かることもあるのだろうか?
急に横から話しかけたりの邪魔が入ると分からなくなる。
12日
(二日ごとにパジャマ、トイレと台所のタオル、枕カバーを洗濯している)干すとき、
ハンガーを見て首を傾げていた。枕カバーを忘れていたのだった。…
(いまも時々わすれるが、確実に減った)
19日
「私の通帳(銀行の)知らない?」と言う。
(「知らないよ」と答え、「どうした?」と続ければよかったのに、そのときは関係ないのに
「僕の通帳は…」と要らんことを言ったことが)頭を混乱させたようで、
「私をわざと混乱させて…」と怒り、泣いた。
(もちろん謝るより他なかった。
考えなしにしゃべった軽率な言葉、よかれと思ったことも、横から口出しするような言葉は
混乱させてしまうようで、気をつけなければならないとつくづく反省した)
さっきからパソコンやっている。いつも見ているヤフーニュースの内容が
頭に入ってこないというようなことを言う。
画面の金融のことが書いてある項目を示したが、ちょっと抽象的な事柄は
いろいろな情報、認識が相互に頭の中でつながって理解や判断になるけれど
(一度に言われても混乱するのと同じように)整理してつなぐことが出来にくいようだ。
この前から何度もテレビのニュースで報じられている岸田総理を狙った爆発事件
などはわかるとのこと。
21日
(お金を引き出す用があり、近くの銀行まで行ったときのこと)ATMの操作のとき、金額を
声にしたのと実際に操作する額の単位が異なるので、「それは違う!」と言っても
聞かず、操作を続けた。…
帰り途、やさしく「間違っているよ!」と言えばいいのに、怒ったように言われる
から混乱したとのこと。悪かった。ゴメン!
23日
いい天気だから後で散歩に行こうか、と言うと頭がゴチャゴチャすると言い、
黙ってほしがる。
(それまで、いつもの決まった日課以外の用があったのだ)。
ちょっと他の用が加わっただけでも、その分、脳を使わねばならない。
疲れたのだろう。一つひとつのことを順番にゆっくりとしか処理できないのだ。
26日
(子どもたちによくしてもらうことはとっても嬉しいしありがたい。
しかし、私が気がつかない思わないところで、気をつかい思っているようで、その分、脳のどこかが
働き、酸素とエネルギーを消費しているに違いない。
なぜかと言うと子どもが心配して来てくれているときは、夜も早く床に就き、昼寝もよくする)
二人だけの昨日なんか、ほとんど昼間は寝なかった。
28日
(料理には変わらず苦戦している。けれども、「うまくいかなかった」と言いながらも、
いろいろ作ってくれる)今夜のおかず、フライパンでゴボウやジャガイモ、人参を
かきまぜている。「きんぴらごぼう」を調理しているのだ。
すぐ隣のまな板の上にはなすび2個ときれいにした玉ねぎ1個が置かれている。
作っている最中、子どもからライン…パニック。
(本人はラインに気づかなかった。返事がないので子どもは心配になり、こんどは電話。
それには気づき出ようとするがうまくつながらずすぐ切れたことも重なり頭が混乱、
「心臓がパクパクしている」と言う)
僕が「なすび、玉ねぎは明日の夕食にして…」と言うと素直にうなずき、
パックに入れて冷蔵庫にしまった。
5月4日
夕べ、こんどのことですごく心配していた義姉からショートメールがあり、
明日行ってもいいか?とのことだったが、本人はイヤと言う。
いまは会いたくない気持ち、よくわかる。
6日
今日は僕だけで図書館に行く。出かける前、図書カード(借りるとき必要)のあり処を
めぐって「ひと悶着」。
彼女はこっちが持っているはずだと言い、僕はそっちが持っていると言う。
結局、彼女の「負け」となった。やっぱり忘れていたのだった。
しかし自分としては反省した。言い方がよくなかった。
「(そっちが)持っているはず…」と強く言った気がする。
相手が忘れているという確信があっても、「持っているんじゃないかな」と、
やさしく言わなくてはならなかった。
まだまだ、彼女はいまの状態をすなおには受け入れられていない。
「私をバカにしている」と泣いて言う場面もあった。
覚えていない自分を認めたくないのだ。