カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2024.8.16 『生きなおすのにもってこいの日』(後)

今日は残り二つの話です。

(ちょっとおどろおどろしい感じ)

 

死体をバラす理由

現代人は精神的ストレスが過剰に大きい…石器時代の人々と…質は違うがどちらもストレスであり、…

ストレスによって肉体、あるいは精神に起こる変化は共通している。

獣への恐怖であれ、上司への憎悪であれ、強いストレスによって相手を殺そうとする衝動が発動する。

殺さなければ死ぬという条件反射は、人間が科学文明をもたずに生きてきた長い歴史のなかで

脳にインプットされている。

動物の屠殺…バラバラ殺人はいつの時代にもあり、それは「死体を隠すため」とか「運ぶため」という

理由をつけられてきたが、殺して解体するのは、それを食うための当然の手順と言っていいような

気がする。…

「食人」の習慣に見られるように、「本能は簡単に発動する」…

「ストーカーは獲物が動物から人間に移行しているだけ」)

 

火の神様の仕事

悪意は火となって自分の外で動き出した。だから放火魔は悪いことをしたという実感がない。

悪意は炎に委託され、本人の代わりとなって

感情は自然現象なので力でコントロールすることができない。

理性と知性だけで世界に対処できると考えている人たちが一番怖いのは、実は自分の感情なのだ。

私たちは心のどこかで、火の神が私たちの願いを神さまに届けてくれることを覚えている。…

どうしようもない悲しみや、怒り、やりきれなさ、…こみあげてくるとき、火を放ちたくなる。…

もう祈りの方法も、火の扱い方も知らないから、ただ、衝動のままに火を放つしかない。

 

     


ーーーーーーーーーー

〈死体をバラす理由〉

 

〈死体をバラす理由〉という題名から「バラバラ殺人」を想い、否応なくその現場が想像されて

不快になった。そういうわけで、ここは読まないといったん思ったが、「怖いもの見たさ」に負け

読んでしまった《首をかしげるところもあったけど、だいたいうなずいた》。

 

「バラバラ殺人」をおぞましく感じるのは、私たちが現代の文明社会の価値観に染まっているからに

違いない。その文明社会というのは長い人類の歴史を想うと取るに足らない長さ。

(正確には動物的)本能は簡単に発動するには深くうなずいた。

 

戦争を考えてみた。

多くの人は殺したくはないけど「殺さなければ死ぬという条件反射」で相手、敵を殺し、

多くの人は殺したことで《程度の差はあれ》心を病む。

「生きる」「生存」という本能が、「愛したい」「殺したくはない」という本能と、相手、敵を

殺さなければ(自分が)死ぬ」という戦争という極限状態においてはぶつかり合う。

本能と本能の対立、衝突、矛盾…。

《「本能」のような生物、人の本質に関わることだから戦争はこの世から消えないのだろうと思った

けど、「理性」とか「知性」、「人間性」と呼ばれるものも広い意味では「本能」と私は思うので、

こっちの「本能」が強くなれば、本能同士の争い、対立である戦争という極限状態そのものをなくせる

と信じる》)

ーーーーー

火の神様の仕事

 

(私が子どものころ、どこの家でも竈があるところ、台所のような場所には必ず火の神様」を

祀った白い紙の御神礼《おふだ》が壁や柱に貼ってあった

     


幸いなことに、いまもこれまでも
火を放ちたくな」ったことはない。

 

しかし、何者か、何事かに強烈な「悪意」を抱くことも、どうしようもない

悲しみや、怒り、やりきれなさ、…」を抱えることはあるし、あった。

(けれど、火を放」って、燃やして解決する物事は何もない。

普段はそのことがわかっていても、やってしまう。自殺も人殺しもそうなんだ。

そうさせてしまう感情

ここでは感情という力の絶大さを、つくづく感じた)

 

感情は自然現象なので力でコントロールすることができない

自分の問題としてよくよく胸に刻んでおかなければならないと強く思った。

(前回記事の「感情に振り回されることと、感情をじっと感じることは違う」を思い出す)

 

 

                      f:id:kame710:20171029114701j:plain

                          ちりとてちん

子がねむる 重さ花火の 夜がつづく  橋本多佳子

<