『だからあれほど言ったのに』 内田 樹・著 という本を読んだ。
(グーグル画像より)
ものごとの肝心かなめを見極めようとされる内田樹さん。
著者の視点を強く感じ、考えさせることが多かった。
(本にはいろいろな話があったが、強く印象に残った五つだけ書きます。
3回に分け、今日は二つです。次回一つ。残りの二つは最終回)
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①「〈「貧乏」と「貧乏くささ」の違い〉
(初めに「1950…60年代の日本人は「貧乏」だったけれど、「『貧乏くさく』」はなかった」ことを
指して作家の関川夏央さんが「共和的な貧しさ」と呼んだことが紹介される)…
皮肉なことだが、1964年の東京オリンピックの頃から庶民の生活が豊かになるにつれて、
人々はしだいに「貧乏くさく」なった。
…
小銭ができると人は「貧乏くさく」なり、相互扶助的なマインドが消え去り、共同体は空洞化する
…
「公務員の既得権益を剥がせ」とか、「生活保護のフリーライダーを許すな」とか、
「生産性のない人間は去れ」とかいう言葉づかいは、私の記憶する限り
この時期にはじめて登場した
…
(終りに、日本という国が国際的に見たとき、いかに「『貧しく、不自由で、生きづらい国』」
であるかを客観的な国際調査資料を用いて示される)→
平均給与はOECD38国中22位、ジェンダーギャップ指数は146か国中116位、
報道の自由度ランキングは180か国中71位」
②「〈国際社会の「暴力」について〉
「暴力の行使を抑制するあらゆる試みは無駄だ」という結論に一気に飛びつくのは「子ども」だ。
暴力を根絶することはできないが、抑制することはできる。
だったら、一人でも死傷者を減らす工夫をするが「大人」である。
…
暴力の抑制は「原理の問題」ではなく、「程度の問題」である。それは真偽や正否のレベルにはない
→「五十歩百歩」の違いの五十歩の差の蓄積の重さ…
(「五十歩百歩」の違いの軽視が、限度を超えることにつながる)→後になって、「限度を超えた」
ということがわかる。限度はつねに事後的に開示されるものだから。
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①「〈「貧乏」と「貧乏くささ」の違い〉
私は「貧乏」と「貧乏くささ」の違いに気がつかなかった。
(著者に指摘されて深くうなずいた。
小学生だったとき先生に、身につけているものが粗末でも、ボタンが引きちぎれていたり
服が破れたままになっていないか、汚れたままになっていないか気をつけようという意味のことを
言われたことが残っているけれども、これも「貧乏」と「貧乏くささ」の違いに違いない)
私は著者や関川さんと同じ世代だから「共和的な貧しさ」が実感できる。
(戦後しばらくの間は「みんな平等に貧乏」という感じ、雰囲気があったのだろう。
朝ドラ『虎に翼』にみるように、それなりに裕福な暮らしだった人たちも、戦争によりきれいさっぱり
モノを失い、貧乏になった《戦争に負けるということはそういうことだった》。
それに戦後の民主化で、華族・士族・平民という身分制度の解体、農地解放などの大事なことも重なり
国民の多くが平等に貧乏になったという事実も重なり、貧乏くさいという感じをさせなかったのだろう
《それにしても「共和的な貧しさ」という表現は見事だと思った。私には忘れられない言葉》
時たま旅行のダイレクトメールが送られてくるけれど、料金が高いのと《それにスケジュールが
せかせかしており、健常者にはついていけないので》申し込んだことはない。
が、そのたび貧乏を再認識させられ、ちょい腹が立つけれど、貧乏くさくはなるまいと思う)
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②〈国際社会の「暴力」〉
「暴力の抑制は「原理の問題」ではなく、「程度の問題」」であり、
「真偽や正否のレベルにはない」。
もちろん、暴力(戦争)は始まったときには程度は(後と比べれば)小さくても
すでに出ているのであって、「しない」という 原理の問題が、
絶対に大事なことに変わりはない。
しかし、「既成の事実」(戦後、多くの国民の反対をごり押しし、創設した自衛隊《初めは
「警察予備隊」と呼ばれていた》を想う。何でもどんなことでも、反対の声を押し切ってでも
「事実」を先に作ってしまう側が勝ち。「既成の事実」となる)として暴力(戦争)がある
のなら、(また自衛隊を出してすみません。→「自衛隊」と名乗るなら「専守防衛」に徹するのが
スジ。「攻撃こそ最大の防御」と《勝敗型の競技》スポーツ選手が言いそうな屁理屈は言わず)
程度の問題、つまり被害の程度がより小さくすむようにしなければならない。
しかし、暴力(戦争)は「過程」なので「後になって」みないとわからない。
何と恐ろしいことだろう。
(「殺すつもりはなかった」「脅しで手を挙げただけ」と弁解しても、事実、人が死ぬときがある。
核戦争で人類が滅ぶといわれても、滅ぶかどうかは「後になって」みないとわからない。
たぶん、戦争したがっている連中は、核兵器は脅しのためにだけ有効であり、使われることはない、
あっても人類滅亡はあり得ないと、少なくとも自分は死なないと、「お花畑」になっているのだろう。
核戦争のような大事でなくとも、わが身のようなことでも「限度はつねに事後的に開示される」。
私が障害者になったようなまったく個人的なことでも。
障害の原因は3mくらいの高さの木の剪定をしていたとき落下したことだがそのときは夏の暑い盛り。
おそらく私は熱中症で意識がなくなって落ちたのだろうと、後になってから気づいた。
あの暑さはその時の自分には「限度」だったのだろう。
「限度」《「限界」》は、そのことが起きた「事後」にならないとわからないのだ)
夏布団 ふわりとかかる 骨の上 日野草城