カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2024.10.15 ② 命を救うヤギミルク

2回目の今日は、②「命を救うヤギミルク」です。

 

ーーーーーーーーーー

② 「命を救うヤギミルク

医学研究の枠を広げて人間の命も救えるファーミング(薬学を意味する言葉と農業のそれとを

組合せた造語)用動物が登場した(その遺伝子組み換えヤギもそうで、そのヤギから出るミルクが

人の命を救う)

各家庭がふつうのヤギの…代わりに遺伝子組み換えヤギを育てれれば、そのヤギのミルクを飲む者は

誰でも、増強されたリゾチームの恩恵を受けることになるだろう。

(ところが)命を救うことは異論のない取り組みのように思えるのに、

そのために遺伝子組み換え技術を利用すると聞くと、多くの人は落ち着かなくなってしまう。…

(何故そうなのか?

動物の権利と福祉を心配する立場のものから、「《人間と動物との》種の境界を破ることは神の、

自然界の、あるいはその両方の法則に反するという不安を抱いているというものまである。

 

現実は、「動物を食品、繊維、薬品などに用いる際には、それを「道具的価値」にまで引き下げ…

バイオテクノロジーはさらに動物を便利な道具《異種間の臓器移植までも》へ変えようとしている

 

そんな現実とバランスをとるために《つまり「不安と嫌悪を取り除くために》ある哲学者は

福祉の保護」という単純な倫理観を用いることを提唱」している。

つまり「一連の動物を改変しようとしているなら、その結果としてできた動物が福祉の面で前より悪く

なっていてはならず、できればよりよくなっているべき」というもの)

 

    


ーーーーー

② 「命を救うヤギミルク

 

たまたま最近、『魚たちの愛すべき知的生活-何を感じ、何を考え、どう行動するか

という本を読んだ。

(本は書名から察するとおり、魚たちが知覚を持ち「知的生活」を送っていることが世界各地の

研究結果から明らかになってきたことが、説得力を持って述べられていた)

この本を読むまで魚の知覚など真面目に考え、想像したことはなかった。

(旅の宿でたまに頭つきの丸ごと一匹の魚が出ることがある。、即、ツレは目を背け寄こす。

魚の目玉は目のまん中なのに、睨まれていると感じる。食べるどころではなさそう。

子どものとき釣りをした。「達人」のような近所の子の足元にも及ばなかったけれど、鈍い私でも

川に入って魚をつかんだこともある。生きた魚は身体を右左交互にくねらせ、はねた。

身の危険を感じ、身を挺した抵抗をした。

 

1995年の阪神淡路大震災のとき、CMの代わりに何度もくり返し流されたACの公共広告で私は初めて

金子みすゞという詩人と彼女の詩を知り、その想像力に驚いた。

大漁

朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮の
大漁だ。

浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう。

金子みすゞ 童謡全集」(JULA 出版局)

 

本には、想像ではなく事実として魚は楽しいことも痛みも感じると述べてあった

 

    

    


ーーーーー

すべて生きものは(ヒトのために存在するわけではないけれど)ヒトの「道具的価値

にまで引き下げ」られる。

(家畜動物は、もともとは野生だったウシやウマ、ブタ、ヒツジなどをヒトが生きるために、

自分の都合のいいように食べるなどの用途に応じて品種改良《選別》を、幾世代にも渡り試行錯誤を

続けて「家畜」にした)

 

ウシやブタなどの家畜動物(イヌやネコなどのペットももちろん)、つまり哺乳類は

魚類より(進化的に後に登場したから)「高等」で、より知覚が複雑で発達しており

感じやすいヒトは思い進化もしたので)現代では「動物福祉」「動物の保護」が

いわれるようになった。

 

植物を含めたすべての生きものがヒトにとって「道具的価値」として利用される

ことは仕方のないことだと、いまの私は思っている。

他の生きものの命をいただいて私たち人間は生きていけるという事実を自覚し

感謝(してもどうなるわけでもないが)することが人としての最低限できること。

だから、「動物福祉」「動物の保護」ということが(結局はヒトのため、自分のため

とはいえ 仏教の《自即他》《他即自》)いわれてきたのはすばらしいと思う。

〈オマケの話〉

子どもの頃、貧乏でも安かったのでクジラ肉をよく食べた思い出がある。

いまでは捕鯨シーズンになると、欧米人が主体らしい「シー・シェパード」などの反捕鯨団体の過激な

行動がニュースになる。

同じ高等な哺乳動物でも、ウシやブタ、ヒツジ《「子羊の○○煮」というものも聞く》などは食べて

構わないが、クジラは「家畜」ではないので食ってはいけないという論理・理屈は、欧米文化にとって

都合のいい理由、長い歴史的な食文化という背景があるのだろう。

しかし、日本の食文化で育った私はウシブタ…はよくてクジラは駄目というのは納得できない)

 

 

                      f:id:kame710:20171029114701j:plain

                          ちりとてちん

こほろぎの この一徹の 貌を見よ  山口青邨

 

 

<