最後の今日は
⑦ ロボット革命
⑧ 人と動物の未来
です。
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「⑦ ロボット革命
〈サイボーグ昆虫の誕生〉
動物のサイボーグ化は倫理的に許されるのか?…
動物たちの脳は人質にとられ、神経系は無理やり人間の計画に協力させられる。…
野生動物追跡プロジェクトとはわけがちがい、サイボーグの昆虫やネズミを戦場に駆り出しても、
その動物のためになることはまったくない…
人間の目的のために動物を利用することをすべて禁じないかぎり、苦しみと得るものを秤にかけながら
ケースバイケースで判断していくしか方法はない。
…
〈世界初のサイボーグゴキブリ〉
(アメリカでは誰でも作れるプラモデルのように「サイボーグゴキブリ」のキットが販売された)
買った人がサイボーグを自作するために必要なすべてがはいっている-回路基板、制御装置、リモコン
昆虫手術の詳しい手順書-…
神経系について生徒に教えるために動物を利用すれば(子どものときから「サイボーグゴキブリ」の
キットを用いて身近に学ばせば、昆虫の体の構造や機能もよくわかり、将来の)…神経科学者を育て
られる可能性だってある。
(そういう将来の可能性を期待する教育は)鉱山事故や地震災害の生存者を見つけ出す(という
目前の非常事態に利用する昆虫ロボットの研究開発)より正当な理由に欠けるというのだろうか」
「⑧ 人と動物の未来
悩める中間域にいる(普通の)私たちは、動物を大切に扱うべきだと確信しながら、
医学研究への利用禁止は望まない。
家畜を人道的に飼育してほしいと気づかいながら、肉食をすっかりやめたくはない。…
私たちは「日和見主義」…
モラルの窮地に陥るのは、大きな脳と寛大な心をもつ種(ヒト)では避けられないことだからだ。…
悩める中間域に属する私たちの大半にとって、バイオテクノロジーがもたらす倫理的ジレンマに
簡単な答えは見つからない。…バランスをとるより仕方ない
…
現代の遺伝学とゲノム研究のおかげで、私たちは今、これまでイヌに与えた多くの病気を克服する
ツールを作り上げようとしている。…
「われわれが工場式畜産場をすっかりなくせないのであれば、最低限できるのは、そのような畜産場で
生きて死ぬことを余儀なくされる動物たちから痛みによる不快を取り除くことだ」(と誰も言うが)
実際は自分たち人間自身の不快感を軽くすることではなかろうか…
(それでも)大事なのは、細部に目を奪われて遺伝子組み換えの最も大切な部分を見失わないこと…
新しい科学の力を利用する倫理的な是非を問う議論に時間を使いすぎるあまり(アメリカなどでは
すでに承認され実際に使われているのに、日本では慎重になり過ぎて《いるように多くの国民には
見え》、特効性があるといわれている新薬が認められず、使えないのに似ていると思った)、それを
利用しないこと自体に倫理的問題があることを忘れる場合もある。
〈動物の知覚を高める〉
(最後に著者はある生物学者の言葉を紹介し、自分の考えを述べる)
「人間は運よく遺伝子に恵まれたからといって、
地球上のほかの動物に対する道義的責任や義務がないわけじゃない」…
彼(ある生物学者)が想像しているのは、「種のあいだの境界線」を完全に曖昧にすることによって
実現する…「全生物圏」の科学的向上…
人間がこぞって火星に移住し、地球が再び野生に戻るのを待つ計画がないかぎり、
人間がいるこの世界では私たちが毛皮や羽をもつ友の生き残りを助ける必要があるだろう」

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最後の「⑧ 人と動物の未来」だけ思ったこと、考えたことを書きます。
これまでの①~⑦の話
(①「水槽を彩るグローフィッシュ」②「命を救うヤギミルク」③「ペットのクローン作ります」
④「絶滅の危機はコピーで乗り切る」⑤「情報収集は動物にまかせた」⑥「イルカを救った人工ビレ」
⑦「ロボット革命」)
すべてに共通していることは、私たち普通の多くの人々は「悩める中間域にい」て
中途半端にならざるを得ないということ。
(つまり、動物へのもともとの素朴な思い・愛情と、科学技術(バイオ技術)の発展による
遺伝子組み換えなどが本当に動物のためになる《なっている》のか現在はまだわからないことが多く
動物福祉、倫理的な面からも心配や不安が入り交じって複雑な状態にあること。
《「ヒト」ではなく「人間」という全体を見る科学者の目線は「悩める中間域に属する私たち」と
同じか近い。けれど「専門バカ」的な科学者・技術者は新しいこと、何でもしたがるのだと思う》)
「簡単な答えは見つからない」。答え(結果)を急いで出すのではなく、
現実的には「バランスをとるより仕方ない」。
(AかB。さぁどっち? 〇か▢。さぁどっち?という原理主義《二項対立的な考え方》はよくないと
私はブログでもたびたび書いているけど、実際は特に歳を取ってから急激にそうなってきた。
頑固さが増し《平衡障害があるわが身同様に》「バランスをとる」のが難しくなった。
自分はそうであっても「バランスをとる」ことは本当に大切だと思う)

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とても強く胸に響いた。
「人間は運よく遺伝子に恵まれたからといって、地球上のほかの動物に対する
道義的責任や義務がないわけじゃない…
「全生物圏」の科学的向上…
人間がこぞって火星に移住し、地球が再び野生に戻るのを待つ計画がないかぎり、
人間がいるこの世界では私たちが毛皮や羽をもつ友の生き残りを助ける必要がある
だろう」
人種、国、地域、家、性別、顔かたち、素質、能力、性格…いわゆる「属性」と
呼ばれる、自分では選べないものを背負って人は生まれ、それで始まった人生も
生きておれば何が起きるかわからないので、また自分では選べない。
(いまは人間であること前提にしたけれど、自分はヒトではなく仏教でいう「畜生」だったかも…)
私は長い間ずっと個人の能力の違い(能力を伸ばす際、努力はあっても天性の影響が
大きいと思う。また「努力できるのも能力のうち」という)という考えても仕方がない
ものが気になっていたけれど、ある本に「倫理」について、「運よく
(優れた能力の)遺伝子に恵まれた」個人は、それを社会(自分だけではなく
みんなのために)のために使わなければならない、という意味のことが
述べられているのを読み、初めて知ったその考え方に衝撃を受け、感動さえした。
(つまり、その能力、才能はたまたまその特定の個人に「運よく(優れた能力の)遺伝子」が、
人知を超えた何か《宗教風にいえば神さま、天命》によって授けられたというわけ。
その本にはなかったが、この考えを広げると《先に書いたように》自分はヒトでなく動物だったかも
「運よく遺伝子に恵まれたから」ヒトに生まれた。
「といって、地球上のほかの動物に対する道義的責任や義務がないわけじゃない」のだ。
「人間がこぞって火星に移住し、地球が再び野生に戻るのを待つ計画がないかぎり、
人間がいるこの世界では私たちが毛皮や羽をもつ友の生き残りを助ける必要があるだろう」が強く
胸に響いた)

秋晴れや まつげの先の 松林 渡辺白泉