前回は肝心の本の話に移ろうという段になり、トランプの顔が頭をちらつき始め
そのつもりはなかったのに感情にまかせ吐き出すように、彼の悪口など書いた。
(アメリカ国民ではなくともこれからの4年間が気になる)
ーーーーー
著者のものは前にも読んだ。
(それがよかったのでまた読んだわけです)
専門は「公共政策」「科学哲学」とのことだが、社会のさまざまな問題を
生命、死など人生の視点から深く切り込む態度・姿勢に強く惹かれる。
(この本も期待にたがわず本当によかった。
日本の社会のあり方が、多岐にわたる観点からたくさん述べられていた。
どれも紹介したいのですが、いちばん感じたことだけに絞って書きます)

ーーーーーーーーーー
主題は「2050年、日本は持続可能か?」。
(自分は死んでるけど、安らか穏やかな日本、地球でありますようにと祈らざるを得ない)
「序論」で、本全体の基本的な問題点が三つ述べられる。
「①財政あるいは世代間継承性における持続可能性
②格差拡大と人口における持続可能性
(著者は「90年代半ばというのが日本社会のある種の転換期」という。
「1995年を谷として生活保護を受ける人の割合は増加の一途」とのこと。また、
「雇用の不安定」が始まり、「若者に対する社会保障その他の支援が国際的にきわめて手薄」)
③コミュニティないし「つながり」に関する持続可能性
(三点を挙げたのちに、著者は自分の考えだけではなくAIも利用して日本の未来を予測してみた。
そのAIによっても「2050年、日本は持続可能か?」という「日本社会の未来シナリオ」は、
「「都市集中型」か「地方分散型」が最大の分岐点」だとのこと。
つまりこのまま「都市集中型」を続けるなら持続は難しいということだ)
一般に、ヨーロッパの都市においては1980年代前後から、都市の中心部において大胆に
自動車交通を抑制し、歩行者が”歩いて楽しめる”空間をつくっていくという方向が顕著…
(いま話題の「スマートシティについて、「日本の「スマートシティ」構想は経済の効率化や
省エネといった視点」だが「ドイツの場合は”人間の顔をしたスマートシティ”」という)
地方都市の空洞化や、”シャッター通り”化、農村の過疎化といった問題は、…
「人口減少社会」それ自体が原因なのでは決してない。…政策選択や社会構想の問題
(続いて著者は、「日本の状況-アメリカ・モデルの信奉と帰結」ということで述べる)
(アメリカ社会は)まず街が完全に自動車中心にできており、
歩いて楽しめる空間や商店街的なものが非常に少ない。…
皮肉なことに現在の日本の地方都市の空洞化は、国の政策の”失敗”の帰結なのではなく、
むしろ政策の”成功”、つまり政策が思い描いたような都市・地域像が実現していった結果
という側面をもっている」
ーーーーーーーーーー
「持続可能性」という言葉を聞くと、私たちはほとんど反射的に、
世界・地球規模の環境変化や資源・エネルギー問題など、
「自然」の問題を頭に浮かべるけれど、
身のまわりの「人間の集まり」、つまり「社会」のあり様にも
目を向けなければならないと感じた。
(地球の「危機」とばかり、自然環境の方にばかり注意を向けらされ、もちろん根本的には
それに規定されるけれども、肝心の生活が営まれる現場「社会」のあり様・あり方、社会環境に、
私たちが疑問の目を向けるのが都合が悪いので、《「陰謀論」ではないが》誰かに意図的に目を
そらされている、あやつられているのではないかという気がしてくる)
「50年後」「100年後」(本では25年後)とよく言うが、
「○○年先」と言われてもねーという気持ちになる。
50年はまだしも100年くらい遠い先のことを言われるといつも感じてしまう。
「人類は続いているだろうか」と。
(続いてほしいが、世界の現状を見れば安心できない。
100年もあれば人間は賢くなれるかも…と楽観するけれど、
同時に100年持たずに自滅している気もし複雑…。
ごくごくごく…∞…一部の人間が「宇宙移住」によって生き残り…という筋書きもありはするけれど
そんなの実際どうでもいい話)

ーーーーー
私がいちばん気になるのは、「②格差拡大と人口における持続可能性」だ。
(『君はなぜ、苦しいのか-人生を切り拓く、本当の社会学』石井光太・著という本では
「日本の完全失業率は、近年2~3%台であるにもかかわらず、なぜこれほど相対的貧困率が
高いのだろう」と問い、「原因は雇用形態にある。…非正規雇用の人の割合が非常に大きい」
という。⇒「正規雇用者の平均収入 508万4000円 非正規雇用者の平均収入 197万6000円」
こういう現状に国が対策をしていないわけではないのに「グローバル化、情報化のスピードの方が
圧倒的に速い」とのこと。
つまり、希望者には正規雇用を義務づけるなど、現状の非正規雇用制度の根本にメスを入れるような
改革をしなければならないのに、法定最低賃金を少し上げるなど瑣末な制度改善に終始している。
「現在の日本では、年収2500万円以上の富裕層の割合は、0.3%だ。一方で、年収200万円以下の
ワーキングプアと呼ばれる人たちがはおおよそ5人に1人に当たる22.2%(2020年)」
私は数字や統計が苦手で本を読んでいても飛ばすことが多く、これまで読んだ本にも載っていた
筈なのに、初めて知ったようにこの具体的な数字を知って驚いた。
《この本は中学生向けで、とっても親切ていねい、わかりやすく書いてあるものだった》)
このブログで何度もなんどもしつこく書いているけれど、社会で暮らす、
生活する上での収入に、あまりに大きい経済的格差があり、
貧困が存在するのはおかしい。
(若かったとき、「革命」といわれるような急激ではなくても、社会の非は《緩やかにでも》
いずれ糾される、社会はよくなっていく、暮らしやすくなると信じていた。
いま振りかえれば間違ったやり方とはいえずとも、あまり効果がないやり方だったかもしれないが、
自分なりそれなりには社会改革「運動」に関わってきた。
ところがまさか、
日本全体、どこにいてもだいたい同じレベルのサービスが享けられていた国鉄がなくなり民営化、
郵便局も民営化されるなど夢にも思わなかった。
人間は材料ではあるまいに「人材派遣」という会社、昔のピンハネをこんどは国が合法的に復活させ
ようとは。
「参った」
とは言うものか!)
これもしつこく書いているけど、ヒトという動物が進化のピラミッド構造の
頂点にあるのは、生き続ける、生き延びるために仲間で力を合わせ、
「お互いさま」と助け合ったからこそ、ヒトは人間に進化した筈だった。
(自分の子孫を残そうと、続けようと、雌をめぐって死闘する普通の動物の雄に自分を重ねると、
私なんか他人《男》より能力が劣るから敗残、早々と戦線離脱の羽目になることは必至だ。
こんなことを考えていたら、またぞろトランプが頭を掠めた)

冬の水 一枝の影も 欺かず 中村草田男