今日は最後、⑤と⑥です。
私が「ベーシックインカム」という言葉を初めて聞いたのは、10年近く前。
このブログのある方の記事でだった。
意味を知り、正直、おどろいた。
(で、考えてみた。
「ベーシックインカム」というのは生活保護を全国民に徹底したようなものだろうか?
それはいいけれど、働かない人、怠ける人が大勢出るのでは?と多くの人が心配しそうなことを
《私は自分を顧みて》思ったが、以後、人間と社会について、それなりの本を読んで思うことは
《広い意味での》働くこと・労働は人の本性、本質ということ。
2割はいつも働かないというアリ社会の「働きアリ」にも、存在の意味があるという話があるけれど
人間にも2割のそういう人がいるのか、いないのかわからないが、それはどうでもいい。
「働かざる者食うべからず」というような《狭い意味での》働くこと・労働にとらわれない世の中に
なってほしい。
人間も生きもの。一人残らず老い、多くの人が病気となり障害を負う。生産的ではなくなる。
誰もが《狭い意味での》働くこと・労働はできなくなるのだ)

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「(著者は「なぜベーシックインカムが注目されいるのか」と問い、答える)
・厚生労働省によれば本来、生活保護を必要とする人々のうち、現実には二割程度しか受けていない
・ベーシックインカムは無条件に支給される
・(財源としては)年金制度や雇用保険などの社会保障制度の廃止
・(メリットは)自由な働き方を後押し ベンチャー企業を興すなどのチャレンジ 少子化対策にも
・(デメリットは)多くの人が働くなるというもの(心配、懸念があること)
・新自由主義者のなかにも「政府の効率化をはかれる」ので賛成という人が出てきた
、世界中で実験が始まっている
・コロナ時の日本の「特別定額給付金」もベーシックインカムに近い」
⑥ 社会的共通資本
「マルクスの『資本論』にもとづいて、資本主義を批判することはできても、
私有財産の撤廃という理想は、もはや共産党が政権を取っている中国でさえ歯牙にもかけていない…
(資本主義が勝利したといわれる時代、これからも資本主義が続いていく《ポスト資本主義》の
ためには、「資本主義の問題点を資本主義の枠内で解決していく術の模索」をしなければならない)
社会的共通資本は、大気や森林、河川、土壌などの自然環境と、道路や交通機関、上下水道、
電力・ガスなどの社会基盤、そして教育や医療、司法・金融などの制度資本から成り立ちます」

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⑤「ベーシックインカム」
本を読むと、「ベーシックインカム」は実現できそうな気がしてきた、
(著者の述べられることに触れたら、早い段階での実現が決して無理ではない気がしてきた。
本気でやろうとすれば、いますぐでもできそうだ。
初めに書いた「二割」は働かないアリの話だが)引用文での「二割」は
「生活保護を必要とする人々のうち、現実には二割程度しか受けていない」
という人間の話。
(これまで「生活保護」について書かれている本をいくつか読んだことあるけれど、
すべての本で、日本の生活保護の捕捉率がいかに低いかが述べられていた。
《「生活保護」という名称ではないけれど、ヨーロッパなど外国にも実質が同じような制度があり
比較すればだんぜん日本の「捕捉率」=「生活保護制度」の適用対象者に対する現実の受給者の
割合は低い》
最近読んだ『介護格差』《結城康博・著》には、「木造アパートに住むケース」という項目で、
「とりあえず預貯金さえなくなり生活保護を申請すれば、いまのような貧しい介護生活からは
脱却できるのにと、その社会福祉士は話す…生活保護受給とされば介護は安心」
「生活保護の「捕捉率」が低いということは高齢者層において格差問題はより深刻」とあった)
「必要とする人々のうち、現実には二割程度しか受けていない」というのは、
公的なお世話にはなりたくないので「贅沢は敵」とばかり、(客観的に見れば)
決して「贅沢」とはいえないのに(主観的には「贅沢」だと思い込み)いまの欲望を
満たす、楽しむことはせず、ひたすら老後の不安を少しでも解消しようと
お金は(消費を抑え)ひたすら預貯金に回す。
(人はさまざまだから、いわゆる「不正受給」のようなことしても余り感じない人もいれば
受給資格があっても「公的なお世話にはなりたくない」、「世間に申し訳ない」という社会への遠慮
中には「世間体が悪い」との理由で受給しない人もいる。
そもそも老後の生活、不慮の病気や事故、災害などに遭遇するかもしれないと心配になるから
預貯金で将来へ備えるけれど、《現行の生活保護制度では》預貯金が少しでもあれば受給資格がない
ことになるという「悪循環」。
将来の生活を心配しなければ、いまの日本経済の活性化にもつながるし、多くの人々が消費に
お金を回し、日本経済の活性化につながるのに…。
《私はもっとお金を使いたい。お金は使ってこそナンボ、で価値が出るモノ。
預貯金というのは、考えればバカみたい。
銀行や郵貯などは社会や国に大きな何事かが起これば、お金はただの印刷された四角い紙切れ、
丸いコインという銅やアルミの金属。
「金本位制」ではないので物的な裏付けは何もない。
「信用」という名の神さまを私たちはただ信じているだけだ)
「ベーシックインカム」で「自由な働き方を後押し…少子化対策にもなり」
日本経済を潤わせばいいと思った。
そう単純ではないだろうけれど、私はあるかないかわからない遠い先、
「未来」を想って悩むよりも、近い将来、やろうと思えばやれそうな
「ベーシックインカム」の社会を想像してみたい。

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⑥ 社会的共通資本
先日起こり、まだ解決していない埼玉県八潮市での 道路陥没事故は
他人事でないと多くの人が感じた。
(2月3日の「ヤフーニュース」では「地盤システム研究所」《初めて知った》の近久所長が
「アスファルトの下には、しっかり固められた土がある。
その上に薄いアスファルトがのっていて、…今回は土がなくなったのが大きな原因だ」
「道路の陥没は年間で1万件以上あり…」と述べておられた)
「道路や交通機関、上下水道、電力・ガスなど」の「社会基盤」が、
地震や台風、大雨などの自然現象による災害ではなく、(あたり前に「安全」を信じ
あたり前に「安心」して利用している)人が作った物が経年劣化などで破損し、
事故に至るという。
その「社会基盤」とともに、先に述べた個人個人がちゃんと生活していける
「ベーシックインカム」のような「制度資本」、それら人が作ったものに
「大気や森林、河川、土壌」などの「自然環境」を加えたものが、
「社会的共通資本」という。
(「ポスト資本主義」《ちなみにネットのAIによる概説によれば「ポスト資本主義とは、
資本主義の成熟・飽和という限界点を越えて、新たな価値観や社会像を模索する社会像」》
現時点では「資本主義」より優れた社会像は見つかっていないので、これからも地球という場での
資本主義社会を持続させるには、「資本主義の問題点を資本主義の枠内で解決していく術の模索」を
しなければならない。
そのことを強く思った)

ものゝ葉の まだものめかぬ 余寒かな 千代女