ここまで生きても、「あれっ?…」「そうだったのか!」と思うことが
新たに起きる。
知っていたつもりの大切なことが、実は間違っていたと気づく。
(訂正しなければならないのだから悔しいはずだけど《若いときだったらそうかもしれない》
こんな高齢になると逆に新鮮さを感じる)
「差別」もそう。
『「差別はいけない」とみんなはいうけれど。』 綿野恵太・著

(グーグル画像より)
「差別はいけない」と頭ではわかっていても、実際はどうなんだろう?
本には考えさせることがとてもたくさんあった。
(肝心の本の内容に関しては次々回に紹介します。
今日と次回は、「差別」についての私個人の思うことを書きます)
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「差別はいけない」とは、子どものころから当たり前のように言われ教えられ
大人になったが、その大人の現実社会は当たり前のように「差別」に満ちている
(と私は思う。
同等の仕事を同等にする労働者に「正規」と「非正規」がある現実は「差別」ではないのか?
「格差」という現実は「差別」ではないのだろうか?
何が「差別」で何が「差別」ではないのか?
人を見下すのが「差別」であり、そういう感情を持たなければ「差別」とはいえない?
「差別」とは主観、意識の問題なのか?
同等の仕事を同等にする労働者に「正規」と「非正規」があること、「格差」があることは
「区別」であり「差別」ではないと《資本主義社会の現実では》されている。
「正規」労働者が「非正規」労働者を見下しているわけじゃないし、「格差」の上にある者が
下にある者を見下しているわけじゃないという。…
わからん)

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生まれたら女だった男だった、というガチャの見本のような「出生」。
(まったくの偶然な、自然の生理的な生命現象だ。
だから運を天に任すしかないと、ヒトもほかの動植物と同じようにやってきたけれど、
科学技術の発達で「産み分け」という、私の知らない、興味のない出生のバイオ技術がある?)
女性か男性かは偶然で、自然なことなので、人権意識の高まりでやっと現代、
あからさまな男女差別は(意識はともかく、目に見えるものは)禁止、敬遠、遠慮され
つつある。
(これは「男女差別」とはいえないのかもしれないが、ニュースなどで日本各地の祭を見ていて、
その男性中心《女は穢れているとされる》に、私はおかしいと感じた。
いくら古くから受けついだもの、しきたりを守る伝統行事といっても、このままでいいのだろうか?
どこからも疑問の声が上がらないのだろうか?
《あれほどジェンダーフリーを叫ぶフェミニストからも日本の祭礼への疑問の声というものは
聞いたことない。
ネット検索してみたら「フェミニズム」について「性差別をなくし、性差別による不当な扱いや
不利益を解消しようとする思想や運動のこと… フェミニズムはその歴史から女性権利向上・
女性尊重の運動だと捉えられがちだが、
男女両方の平等な権利を訴える運動」とあった。
フェミニストの女性たちも祭礼のような伝統行事は日本文化として尊重しているのだろうか。
それに祭りに参加できないといって直接、被害を受けるわけではないからだろうか》

私の働いていたところは子どもの福祉施設で保育士さんも看護師さんもいた。
それに慈善やボランティア活動で訪問される女性も個人、グループ、団体を問わず多かった。
2000年前後、それまで「保母さん」「看護婦さん」と呼んでいたのが「保育士」「看護師」へ、
それだけでなく訪問の女性を《公的記録には》それまでの「婦人」から「女性」へと変えなければ
ならなくなった。
《私はひとり、これまで通り「保母さん」「看護婦さん」でいいのに…「婦人」を「女性」なんて…
バカみたい! 呼び方、言葉だけ変えるなんてどうでもいいのに…と秘かに思っていた。
が、自分ひとりだけが同僚を「保母さん」…呼ばわりするのもバカみたいでしなかった》
2000年過ぎたころから、男性保育士が増えた。子どもたちにとって望ましいことで大歓迎。
しかし、そのころよく聞いた「草食系男子」という感じがピッタリきた。
「草食系」はいいのだけど、私は古い男なので力仕事、汚れ仕事は体という自然のつくりに違い、
差があるのだから男性がすすんですべきだと思っていた《いまも変わらない》。
が、彼らにはしっかり「男女平等」が根付いているらしく、力が要ろうが汚れようが、頼まれれば
快くやるが頼まれもしないことには自らすすんで手を出そうとはしなかった)
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不合理な男女差別はまだまだ至るところに残っているとはいっても、
性別差は生物学的生理的な自然なことなのでわかりやすい(「人種」も)。
だが、社会の中でさまざまな属性を身につけて(身につけないわけにはいかない)
生きている私たちにとって、そこでの差別はわかりにくい。
(わからない、知らないままが本人にはいい、「幸せ」ということが、人生にはある。
生きるって、ほんとうに複雑だ)

何といふ ことのない日の さくら散る 桂信子