『君たちはどう生きるかの哲学』 上原 隆 著

(グーグル画像より)
どこにでもいる無名の(「庶民」という)人、しかし世界に一人しかない人間、
一つだけの人生を、その人の来し方、いまを当人の口から聞き、著者みずからが
書きとめ本に著す。
(ルポではありません。
こういうスタイルの本は初めてだった。昨年、上原さんの本を通じてだ。
こういうスタイルの本があるとは知らず、一読するなり気に入った。
《同じような本には著者以外、まだ出あわない》
本書はそういうスタイルではないけれど、上原隆さんの本だと知って読みたくなった)
ーーー
これは吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』という子ども向けの本を、
著者の視点で解説したもの。
上原さんが人としての在り方、生き方の原点を学んだと尊敬している鶴見俊輔に
とっても『君たちはどう生きるか』はとても大事な本だったようで、鶴見俊輔が
自著で『君たちはどう生きるか』について言及していることを踏まえ、
(鶴見俊輔の感想を紹介しながら)書かれている。
(『君たちは…』は中学生くらいの主人公、コペル君が成長していく中での心の悩みや葛藤を
叔父さんに相談するという形で、人間や生き方について考えるもの。
ちなみに2年前の同名の宮崎アニメの原作です)
強く感じた二つのことだけ書きます。
ーーーーーーーーーー
「〈勇ましき友〉
権力に抵抗したリリアン・ヘルマンにあったのは「まともさの感覚」…
「ドートク」(「道徳」)の手がかりは感動する心にある…
(現代の世は)欲望で満ち溢れている。昔ならば口にするのもはばかれるようなことだ。
一人ひとりが自分の欲望や欲望渦巻く社会とどう向き合うのかを考えなくてはならなくなった…
「なぜ、人を殺してはいけないのか」という問いにさえ向き合わねばならない」
「〈雪の日の出来事〉
(ある日のこと。コペル君は友だち三人と一緒にいるところ、上級生に難くせつけられた。
彼だけ身がすくんで何もできなかったが、三人はそれぞれ抵抗した。
そのことがずっと気になり悔やまれてならず、悩む)
コペル君が行動できなかったのは勇気がなかったから?
(伯父さんにも相談したが、納得できる「答え」は得られなかったが、あるとき、コペル君は
気がついた。自分なりに納得のできる「答え」に辿り着いた→)
不意の出来事には対応できない
行動の起動力となる「肉体の反射」
「反射」とは、日常的に反復することによって、肉体にしみついた反応の仕方のこと…
「勇気」がなかったというような精神的なことが主な問題なのではなく、
そのときに体が動かなかったという肉体的なことが問題だったのだ。
…
思想は身についた態度(反射)に表れる
(人の態度は、その人がいかなる「思想」を持っているからではなく)深いところからの
態度の形成の生活史から(生まれる)…
考えを(持つ、あるいは)変えるためには、本を読めば良いかもしれない。
が、態度を変えるためには、…生活史を変えなければならない」
注:〈勇ましき友〉、〈雪の日の出来事〉とは本の中のその部分の話です。

ーーーーー
〈勇ましき友〉
(リリアン・ヘルマンというのは、アメリカの劇作家で、戦後のハリウッドで激しかった
《いわゆる》「赤狩り」と闘った女性。最後まで左翼思想との関係を保った)
「まともさの感覚」
「ドートク」の手がかりは感動する心にある」
「まとも」をネットの辞書に調べたら、「真正面」「ちゃんとしているさま
まじめ」とあった。
「常識」とは書いてなかった。
「常識」といわれているもののように軽くない。重々しいのだ。
何が「まとも」かというと、(「正義」とされていても時代や社会により変わるように)
絶対的なものではないかもしれないけれど、私は現在の日本で生きてるのであり、
その自分の心の奥底の「まともさの感覚」を信じ、それに従って生きようとする
「まとも」な人でありたい。
(すぐ後には、現代は「昔ならば口にするのもはばかれるような」欲望が渦巻いているとある。
人間の欲望が現代になって急に増えたとは思わないけれど、「昔ならば《恥ずかしくて》口にする
のもはばかれるような」欲望が正々堂々と肯定され、口外されるのは「まともさの感覚」が減った
からだと思われてならない。
「昔ならば《恥ずかしくて》…」のようなことでも社会、人々の間で抵抗感が減り、平気になれば
NHKのような公共放送までもが画面を通して全国津々浦々に伝える。
そうして新たな「常識」「普通」が作られる)
ーーーーー
〈雪の日の出来事〉
ここの話を読んで、コペル君の悩みが自分ごととして痛感された。
(ドラマだとわかっていても、テレビで暴力場面が出てくると、理不尽な暴力男への怒りで
頭がブチ切れそうになる。でも私も《暴力でなく》難くせの前にコペル君と同じように
固まってしまうだろう)
自分には「勇気がなかったから」行動できなかったのか?と
コペル君は深く悩んだ果てに、人は「不意の出来事には対応できない」
のじゃないかと自分なりの答えを見つけた。
(「「勇気」がなかったというような精神的なことが主な問題なのではな」かったのだ)
そして「不意の出来事に」も「対応でき」るように
「行動の起動力となる「肉体の反射」」を身につけなければならないと思う。
(で、コペル君が空手や柔道などで肉体を鍛えたのかどうかはわからないけど、
肉体、体力に自信がつけば、そうでないのと比べて心構えからして格段に違うのだろう。
《ドラマで気持ちのいいほど悪をやっつけるヒーローたちのことを想った》
子どものようなヒーローへの憧れの気もちは大人になっても、年老いても変わらない。
しかし本当は、「行動の起動力となる「肉体の反射」」が身についていなく、
自分自身が痛い目に遭うかもしれなくても、「不意の出来事に」も「対応でき」る勇気がほしい)

ーーー
「思想は身についた態度(反射)に表れる」
「考えを(持つ、あるいは)変えるためには、本を読めば良いかもしれない。
が、態度を変えるためには、…生活史を変えなければならない」
自分のことを思い、頭が痛くなった…
(このことで、「態度を変えるための生活術」というのが、著者が敬愛してやまない鶴見俊輔の
実践が紹介されていて、何度もうなずいた。
「(鶴見さんは戦争のとき、反戦意識はもちながらも公然と意思表示しなかった、できなかった。
そんな自分のことを深く恥じ入り、毎年、軍隊へ入隊した時期になると坊主頭にした)
坊主頭になるなんてばかばかしいことだと思う…
坊主頭にすること自体が直接的に生活を変え、態度を変えることには結びつかない…
しかし、戦争中から、どれだけ自分や世間が変わったかを考えるきっかけにはなる…
こうした方法ならば、…意志が弱い人間だからと、あきらめなくても良さそうだ」
〈オマケの話〉
鶴見俊輔はとても著名な哲学者、思想家、評論家といわれているが、家族から歴史まで、
あらゆる物事を自分の身の周りから、自分に即して、自分ごととして考え、捉えていた。
そのことが上原さんにとって尊敬する第一の人になっており、上原さんの他の本を読んでも
そのことがよくわかる《そんなお二人を私も尊敬する》。

秋風を きくみほとけの くすりゆび 沢木欣一