今日で終わる朝ドラ『あんぱん』は、ほんとうによかった。すばらしかった。
幼い子どもたちの家代わりの小さな福祉施設に就職して何年も経たないころ、
子どもたちみんなと一緒になり(アンパンマンが飛んできてくれそうな)ボロい畳の
部屋に座り、テレビアニメの「それいけアンパンマン」を見た。
主題歌も一緒に歌っていたので、いまでも頭の中を
「♪なんのために 生まれて なにをして 生きるのか こたえられない なんて
そんなのは いやだ! …」がクルクル回る。
(幼児、子どもは意味がわかからんでも平気で覚え、口ずさむ。
幼児、子どもだからといってやなせさんはウソ、ごまかしは絶対しない。
いまはわからなくても大人へと成長していくうちにわかってくれると信じている。
スゴイことだと思う)
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やなせたかしさんご夫婦の人間像、人生の基本は本当でも、ドラマはドラマ。
より多くの視聴者の共感を呼び、楽しませるためにフィクションのところもある
のかなとは思うけど、最初に書いたように「ほんとうによかった、
すばらしかった」と声を出したいほどだった。
「逆転しない正義」
これがこの物語、やなせさんご夫婦を貫き通すカギだった。
それを求め続けてたどり着いたのが「アンパンマン」の話だった。
決まりきった(「常識」のような)悪をたおし正義と平和を守る(容姿端麗、金時あめ
のようなカッコいい)ヒーローでは決してなく、自分の顔を食べさせ(つまり自分が
犠牲になって)弱者、困った者を助ける。
欠けた顔は後には元に戻る(まるで「トカゲのしっぽ切り」。これは神さまの仕業かな
と思う。こんな不思議、奇蹟を使ってでも、神さま《もヒーロー?》は私たちを守ってくださる
のだろう)

(グーグル画像より)
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昔、子どもたちと一緒になって「アンパンマン」を楽しんで見ていたときは、
私もただ童心にかえって無邪気になり、彼ら相手の一日の仕事が終わればどんと
疲れていたので「アンパンマン」のことを思ったり、ましてや考えることは
まったくなかった。
仕事を退いてから、四国を旅したときに「アンパンマン」のラッピング電車を
目にし、懐かしさに浸ることはあったけど、懐かしさだけに終わった。

(グーグル画像より)
こんどこのドラマを見て初めて知った。
やなせさんは好きで得意な絵、それも漫画という幼い子どもでもわかりやすい
表現で、「アンパンマン」という作品として結実したわけだけど、
「アンパンマン」というキャラクターに、「逆転しない正義」という熱い思い、
人間愛が込められているとは知らなかった。
ドラマでは、戦争の悲惨さがいろいろな形で現れることが、しつこいくらいの
エピソード話が描かれた。
(とても悲しいけれども、無数の戦争で亡くなった人たちの上にいまの平和があることを思うと
「しつこいくらい」私たちはこういう話を聞かなければならないと思う。
生きている私たちは、戦争を他人ごとにしてはならないと思う)
やなせさんの戦争の悲劇から、「逆転しない正義」が「アンパンマン」
という形で生まれたと私は思った。
でも、やなせさん一人では決して生まれず、信さんとの「合作」に違いない。

どの子にも 涼しく風の 吹く日かな 飯田龍太