カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2025.10.3 まとまらない言葉を生きる(まえがき)

 前に荒井裕樹・著『障害者差別を問い直す』 を書きました。

 

 その本の印象があまりに強かったので、また同じ著者の本を読みたくなり

探していたら、

 

『まとまらない言葉を生きる』 

(グーグル画像より)

というのが見つかり、読んだ。

 これもとてもよかったです。

ーーー

 荒井裕樹さんは若い(45歳)文学者。

(「文学者」といっても日本文学や海外の「○○文学」ではなく、現代社会で使われている

言葉の特徴や、そのものの人生的な、社会的な意味、意義のようなことを研究されている

 

 一日中しゃべることなくても、自分のうちの自分と話すこともあり、

空気のような存在にまでなっている言葉。

 そんな大事な言葉が現代の日本社会ではいかにぞんざいに扱われていることかが

述べられていた。

(そのことを深く考えさせてくれた)

 

     

ーーーーーーーーーー

 まえがき

言葉の壊れを悔しがる

(現代は)負の力に満ち満ちた言葉というか、人の心を削るというか、…

「生きる」ということを楽にも楽しくもさせてくれないような言葉が増えて

言葉の役割、存在感が変わってしまったように思うのだ。

(「この本はそれに抗うため」と著者はいう)

 

憎悪」の言葉と出くわす場所

特に2010年代に入って以降、憎悪侮蔑暴力差別に加担する言葉が

やけに目につくようになってきた。

 

」としての重みがない言葉

いまは言葉の一貫性や信頼性よりも、その場その場でマウントを取ることの方が重要らしい。…

「言質」にもならない言葉で国や社会や組織が運営されているのって

考えてみれば怖くて仕方がない。

(「一億総活躍」や「女性活用」という言葉が使われたという事実は歴史から消せない)

 

      


ーーーーー

「うざい」という言葉がある。

 たまらなく(テレビで)よく聞き、聞くたび、私はたまらなくイヤな気分になる。

(テレビドラマはドラマが目的で見るが、場面のなかで、否応なく現代の世の中を知る。

言葉も現代を表わしている。

自分の周りの現実では聞くことがない「うざい」や「きもい」などを《知りたくなくても》

知ってしまう。

場面の前後の文脈から《どれほど自分が鈍くても》「うざい」「きもい」

言わんとすることはわかる)

 

 イヤでも、しつこく聞くからもう慣れた。

(ちなみにネットによれば

「うざい」とは、「うざったい」という言葉が短縮された俗語で、うっとうしい、

わずらわしい、うるさい、面倒くさい、邪魔、気持ちが悪いといった意味合い…

相手の言動が不快で気に障る、あるいは不快感を表明する際に用いられる若者言葉…

1980年代の東京多摩地区の方言から広がり全国的に普及

 

 もともとは東京多摩地区の方言とのこと。

 方言だから多摩地方だけでひそかに使われ続ければよかったのに…。

 この手の相手にダメージを与える方言は、日本全国どこでもある気がする。

(私の生まれ育った故郷には「うざい」よりもっと聞くに堪えない、ヤクザがケンカで相手を

罵倒するときの言葉がある《でも「死ね」には敵わないと思う》。

そういうのは、その地域、地方だけの言葉としてそおっと使われ続ければいい《と私は思う》。

だけど、「うざい」のように全国に普及し、標準語になるのは画一的でおもしろくない。

《「おもしろい」「おもしろくない」の問題じゃないけど》

ーーー

「うざい」は若者が(流行に遅れまいと意識的に)好んで使うみたいで許すとするか!

 

 しかし、大の大人が、それも政治の舞台に立つ人間が、

言葉の一貫性や信頼性よりも、その場その場でマウントを取ることの方が重要

「言質」にもならない言葉で国や社会や組織が運営されている」ことは

許しがたい!

 

ーーーーー

「生きる」ということを楽にも楽しくもさせてくれ」る言葉を探したい。

(あっ、そのために私は読書しているのでした。

 

本の紹介、感想は次回から3回に分けて書きます )

 

 

                      f:id:kame710:20171029114701j:plain

                          ちりとてちん

晴れかゝる 空も見ゆれど 秋の雨  田中田士英

 

<