カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2025.10.7 まとまらない言葉を生きる(前)

 今日は

① 正常に「狂う」

② 降り積もる 

 

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正常に「狂う」

(著者の仕事は、「この社会に存在する数々の問題について『言葉という視点』から考える」

だから、正常に「狂う」という言い方は、何らかの社会の問題を上っ面だけでとらえず、

深く掘り下げて考えてみること。たとえば、

ハラスメント行為を受けた人に対して、普通は)

やめてって言えばよかったのに(と言いがち。だが)それはかたちを変えた自己責任論…

こういった言葉に、どれだけの人が黙らされてきたのだろう。…

(被害者はやめて」と言えなかった自分が悪いと責め、何も言えなくなる)

ハラスメントというのは個人的な問題だと思われがちだけど、…

会社とか組織の在り方が問われる「社会的な問題

 

「〈降り積もる

言葉には降り積もるという性質がある

放たれた言葉は、個人の中にも、社会の中にも降り積もる

そうした言葉の蓄積が、ぼくたちの価値観の基を作っていく

 

     


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① 正常に「狂う」

 

正常に「狂う」いう言い方にドキンとした。

(ただの「狂うだけなら自分を思うけど、ここではカッコ付きでいわれている。

初めに書いたように何らかの社会の問題を、… 深く掘り下げて考えてみる」こと。

「常識」「普通」の見方でなく、ちょっと「」ったか?と人に思われるくらい、

社会を疑るくらいの目を持たなければならないということ。

そうしてみると、見えなかったことが見えてくることがある。

 

ずっと昔は「ハラスメント」という言葉がまだなかったので《自分が被害を受けていても

意識されなかったということではなく》、実際そういう嫌がらせを受けた思いがないので

私は自分の問題として「ハラスメント」を考えたことがなかった。

あくまで他人ごとだった)

 

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「ハラスメント」とは、

ネットによれば嫌がらせや迷惑行為全般を指し、相手に不快感や不利益を与え

尊厳を傷つける行為

職場おいてはパワーハラスメントパワハラセクシュアルハラスメント(セクハラ)

マタニティハラスメント(マタハラ)などが問題視されています

さらに、「被害者に精神的・身体的な苦痛を与え、就業環境を悪化させるだけでなく、

周囲の従業員にも悪影響を及ぼすため、企業は防止対策を講じる必要があります」)

 
「やめてって言えば…」「そんな会社なんか辞めればいいのに」と
私も思った。
やめて」がいいけれど、それが出来ないなら離れればいい、逃げればいい。
《いわゆる「いじめ」は「ハラスメント」の子ども版みたいなもの》
生きものとして人は生き続けるために絶対、わが身は守らなければいけない。
そのため「離れなければならない」「逃げなければならない」と私は思う)
 
 しかし、やめてって言えば…かたちを変えた自己責任論…
こういった言葉にどれだけの人が黙らされてきたのだろう」に、
深く反省させられた。
(自分はいかに他人ごととして受けとめていたことだろう。
正常に「狂う」」だけの本質に迫るような見方をしていなかった。
 
ハラスメント行為をする者は、そのハラスメント行為を受けても抵抗しない、
できない、「やめて」と言えそうにない気の弱そうな人だけを選んで狙う。
まるでヤクザの下っ端、チンピラと同じ。卑怯きわまりない。
 
そうなんだけど、人間、人間社会の複雑、多様な現実を思うと、ため息が出る。
人間は個別であり個性的な存在だから、何らかの被害を受けたとき、その被害が
「ハラスメント」であるないに関わらず、どんな被害に対しても人によって感じ方
受け取り方に差がある。
三者的には同等に見えるハラスメント行為であっても、被害者の感覚、感受性、
加害者との関係などにより比較はできず、はたからは同じように見えても
傷つき方は違う。
また加害といってもさまざまで、犯罪にはならない、加害者が悪気なく軽い気持ちで
行った《加害者本人も自分の行為がハラスメントに当たるとは意識していない》
場合もある。
そうだとしても、被害者の感覚、感受性が鋭敏だったら取り返しがつかない
 

     


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② 降り積もる 

 

言葉には「降り積もる」という性質がある。

放たれた言葉は、個人の中にも、社会の中にも降り積もる

そうした言葉の蓄積が、ぼくたちの価値観の基を作っていく

 

降り積もる」という表現にもすごく刺激された。

 放たれた言葉は、続けば降り積もる

降り積もる」という言葉を不気味に感じた。

いつもいつも「お前はバカだ!」「ダメな人間!」だと言われたら、真面目な人は本気で

自分はバカなんだろうかと暗示にかかったようになり、生きるうえでいちばん大事な

「自己肯定感」「自己尊厳感」が削がれていく。

自然は人に災害をもたらしても、降り積もってもいつか雪は消え、川のようになった道、

田圃の水も引く。

しかし、言葉は降り積もり、の傷は忘れない限り消え去らない

ーーー

 ある言葉に「何かオカシイ…」「ヘン…」と違和感を感じても

何故?と考えることもなく、ましてや何か言う(問題にする)のは

面倒くさく、その言葉にいつの間にか馴れっこになり、

意識されることもなくなる。

 

 そうして、「そうした言葉の蓄積が、ぼくたちの価値観の基を作っていく 

 怖いことだ。

(あの戦争の「チャンコロ」とか「鬼畜米英」とか「神国日本」とか「八紘一宇」とか

「一億総玉砕」…

言葉は「言葉」だけで終わらない)

 

 

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                          ちりとてちん

月を待つ 立待月と いふ名あり  虚子

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