カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2025.10.10 まとまらない言葉を生きる(中)

 今日は

  負の感情の処理費用

  相模原事件が壊したもの 

です。

 

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負の感情の処理費用

いろんな事情が絡み合っているから、「仕事と育児のどっちが大切?」なんて…決められない。

世の中には天秤にかけられないものがあるから、多くの人が「割り切れない事情」を

「割り切れないな…」と悩みながら、今日という日をやりくりしている。

「女性の社会参加が進んできた」とか言われるけど、女性が「母親らしさ」みたいなものを

試されたり、仕事か育児の二者択一で引き裂かれるような場面は、まだまだ

(これらの)社会の問題」であるべきはずのものを、自尊心を対価にして「個人の問題」に

変換させられるのは、たいてい立場の弱い人たちだ。

そもそも、こんな社会、自尊心を削ってまで支えてやるだけの価値があるのだろうか?

(この後、1970年代のウーマンリブ運動の代表的な女性、フェミニスト田中美津さんの言葉が

紹介される→いくらこの世が惨めであっても、だからといってこのあたしが惨めであって

いいハズないと思うの」)

当時は、「女性の価値は男性から与えられる」のが当たり前とされた。

それが「痛い」というのなら「痛いと感じる方がおかしい」とされた。

リブという運動自体、「モテない女のヒステリー」なんて揶揄された

 

「相模原事件が壊したもの

この社会は、特定の人たちの存在を拒絶する憎悪の感情を、露骨にあらわすことへの抵抗感が

薄くなってしまったように思います。…

この事件は「誰」の問題なのか(?と著者はとても強く問う)

この事件は「どこか遠くで起きたこと」として受け止められ

(しかし)この問題に無関係でいられる人など存在しません。

なぜなら、私たちは皆「様々な事情(その実態は人それぞれ)を持った一人」だからです。

「生きる意味」は言葉になんてできない

(「生きるとは)簡略な言葉でまとめられるような浅薄なものではない…

 

      


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 負の感情の処理費用

 

 仕事と育児を両立させようと奮闘する女性が現実社会の中で抱く負の感情

(ネットによれば怒り、悲しみ、不安、恐怖、恥、孤独などを処理、解消するために

払わねばならなければならない犠牲(費用)はどれほど大きいことだろう。

(昔と比べれば少しマシになったとはいえ、社会の「男性中心」は変わっていない。

 

本来は「社会の問題」であるべきはずのもの」なのに「《彼女たちの》自尊心を対価にして

個人の問題」にさせられている。

女性の生き方の選択肢が広がったといわれているが、実際は結婚しない、子どもを生まない

という選択が増えたくらいではないか。

 

「結婚や子どもを生み育てることが女性の幸せではない」という思う女性が増えたのは、

仕事か育児の二者択一で引き裂かれる」辛い思いをしてまで家族を持つことと、現代では

独身のままでも多様な幸せを追求することが可能となり、比べて《それは不可能だけど

後者を選ぶ女性が増えてせいではなかろうか。

そういうのは自己責任個人の問題とされる。

大きな目で見れば社会の問題なのに…

《そして結果として、「少子化」という社会の問題の原因にもつがっている》

 

少子化」そのものは、いつまでも「経済発展」など目指す必要はないので社会の問題

ではないと思うけど、子どもを生み育てる」「家族を持つ」というのは生きものとしての

ヒトが未来に続いていく、人類が存続していくために必要なこと。

とても大事な営みだ。

《他の生きものは子孫を残すために自分、個体が生きているように見える》)

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いくらこの世が惨めであっても、

だからといってこのあたしが惨めであっていいハズないと思うの

にハッとした!

 

 「私は私」、「自分は自分」。

 上の言葉は自分という個人が信念をもって生きることがいかに大切さかを問う。

 

 どんなに社会に惨めさを感じても、「その社会はその社会」であって「私は私」

ウーマンリブ」とか「フェミニスト」とは関係なく)

 

     


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 相模原事件が壊したもの 

 

この事件は「誰」の問題なのか」?

 

(さまざまな事件が日常茶飯事に起きているから、その多くを自分ごととして感じるのは難しく

自分には関係のない他人の、「どこか遠くで起き」ているものとして感じる。

 

しかし相模原事件は「「誰」の問題」?と問うと、誰も「無関係でいられ」ないことがわかる。

なぜなら、私たちは皆「様々な事情を持った一人」」であり、その「様々な事情」がいつどこで

相模原事件と入れ替わるかもしれない)

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「生きる意味」は言葉になんてできない

 

「生きる意味」と簡単に言う(私もよく言う)けれど、

「生きる意味」は人それぞれで、そういう人によっていろいろなものが

他人に簡単にわかろうはずがない。 

 

言葉になんてできない」のだ。

 

(今日の記事の引用・紹介では挙げていませんが、本の最後にALSという難病患者の生き様に

心を揺り動かされた著者の言葉があります。

「無意味」や「無駄」という形容がつく「生命」って何だろう…。

その裏返しで「意味ある生命」や「有益な生命」があるということになる」)

 

 

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                          ちりとてちん

月丸し 十六夜といふ 名にかはりけり 子規

 

 

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