カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2026.4.7 無力感

『僕たちの居場所論』  内田樹 平川克己 名越康文  対談集)

 

(グーグル画像より)

 

 この本は「居場所」がテーマですが、自由で楽しい対談になっていました

 いろいろな話がありましたが、どれもよかった。

 

(すごく心に残った一つの話題だけ引用、紹介します

 

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(内田)

自己努力とまったく無関係なファクターによって生活が根本から狂わされることがあるという

この無力感が、グローバル化した世界を覆っているような気がする。

自分たちの運命を自分たちが主宰できないことのもたらす無力感というのが、

現代人を虚無的にしているんじゃないかな。

極右の差別主義者たちを駆り立てているのはこの無力感だと思うよ。

何らかの全能感が欲しいんでしょう。

 

(内田)

中学生の女の子が”韓国人ぶっ殺せ”とか叫んでいるでしょ。

たぶんああいうことを口にすると、一瞬だけでもすごい全能感があるんだと思う。

あれ、ふだんなら絶対言っちゃいけないことでしょ。

そういうことはしちゃいけないって市民社会で常識になっていることを

今は人前で言っても処罰されない。そのことがわかった。

だって、上のほうにいる政治家たちが、平然とそういう差別的言辞を弄しているわけだから。

市民社会の常識を踏みにじることができるというのは、

無力感に蝕まれている層には強い全能感をもたらすと思う。

 

(内田)

人間たちが守っている無言のルールってあるじゃない。

そもそもそれを破るとことを想定していないから。…

法律ではなく、常識で制御したことは踏みにじろうと思うと踏みにじれる。

素手で熱いフライパンに触っちゃいけませんとか、十分な栄養を取りましょうとかいうことって、

法律で決められないじゃない。生きる上で当たり前だから

 

   


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無力感」。

 

 身近なごくごく小さな世界では自分の存在感を感じられ、

無力感」を思うこともない

(もっとも身近な人間関係ではそうではあっても、いわれているのは大きな世界、社会のこと。

社会のことを思い考えると「無力感」を感じるを得ない。

 

自己努力とまったく無関係なファクターによって生活が根本から狂わされる

ことからの無力感」は、私は「自己努力」をほとんどしなかったので感じない

けれど、社会からの自分たちの運命を自分たちが主宰できないことのもたらす

無力感」には、押しつぶられそうになる。

(感じたくない、押しつぶられたくないので「国、社会なんか…」と目をつぶるけど…)

 

    


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 前にニュースの特集やドキュメンタリー番組で、ヘイトデモ、

ヘイトスピーチを見たことがある。

 そこでも、本当に中学生の女の子が”韓国人ぶっ殺せ”とか叫んでい」た。

 見た瞬間、自分の目が信じられなかったし、信じたくなかった

 まだあどけない女の子が子どもっぽい顔をくしゃくしゃにしながら、

黄色い声を張り上げていた。

 

ふだんなら絶対言っちゃいけないこと」でもみんな、しかも大人たちと

いっしょなら平気で言える。

 しかも(ここが肝心なところだが、「ストレスを発散するように」

われを忘れ大声で叫んでいる。

(決して本気で「韓国人ぶっ殺せ」と思っているのではないと思うけど…)

ああいうことを口にすると、一瞬だけでもすごい全能感が」感じられる。

 

そういうことはしちゃいけないって市民社会で常識になっていることを、

今は人前で言っても処罰されない。そのことがわかった。

だって、上のほうにいる政治家たちが、平然とそういう差別的言辞を弄している

わけだから

 

 してはならないと「市民社会で常識になっていること」がまかり通る社会。

(子ども社会の「いじめ」も大人社会の忠実な反映だ。

トランプの姿がアメリカ社会に反映しないわけはない。

逆に病んだアメリカ社会がトランプを生み出しているのだろうか)

 

 

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                         ちりとてちん

桜散る あなたも河馬に なりなさい  坪内稔典

 

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