カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2026.4.17 目の見えない人は世界をどう見ているのか(後)

 今日は、本で感覚 読む手、眺める耳」と書かれているところです。

(これで終わりのつもりでしたが書き足りず、もう一回「最後」を書きます)

 

 これまで漠然とではあるけど、見えない」こと=「たいへん」なことだと、

自分が「見える」ので、その立場から勝手に決めつけていた。

(ここを読み、大いに反省させられた)

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「視覚は情報の約8割を占める」とはよくいわれることだ

 そうならば、見えない」人は聴覚など残された感覚をフルに活用し、

残り2の情報だけで生きておられることになる。

 

 ということは、視覚の8割の情報がなくても生きていくのに困らないわけだ。

(見方を変えれば、8割には無くてかまわないもの、不要なものが含まれていることになる。

そればかりか、不要なものがあるせいで、そっちの方に目をとられ、肝心なものが

見えなくなっていることがあるのかもしれない。

 

コロナのとき、どうでもいい、無くてもよい仕事「をブルシット・ジョブ」と言い、

反対に生きてゆくためには必要不可欠な仕事を「エッセンシャル・ワーク」と言うことを

初めて聞いたことを思い出した)

 

 そう考えると、見えない」人を「たいへん」と決めつけるのは

失礼なことではないかと思えてきた。

(中途失明の方は「たへん」では表現できないほどの苦難があったはずに違いないが)

 先天的な見えない」人はそもそも見える」という感じがわからない。

 きっと「見える/見えない」を(比較することがなく)超越した状態で、

見える」者のいう「たいへん」な思いはない(というか持ちようがない)のだと

思う。

 

    


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感覚 読む手、眺める耳

聴覚など視覚以外の感覚の使い方が、見える人と見えない人では違っているのです。

見えない人は「特別な聴覚や触覚を持っている人」(ではない)

確かに見えない人は、聴覚や触覚といった視覚以外の感覚を積極的に用いています。

見える人が使っていないような仕方で、それを使っているのも事実。

特別視見えない人聴覚や触覚が見える人より優れていると思うこと)がもたらす二つの問題

ひとつめの問題は、「すごい!」という驚嘆の背後には、見えない人を劣った存在とみなす

蔑みの目線があることです。

「すごい」は単なる「すごい」ではなくて、実は「見えないのにすごい」ということ…

(著者は)「面白い!」と言うようにしています。…

私たちはつい「見えない人」とひとくくりにしてしまいがちですが、実はその生き方、

感覚の使い方は多様なのです。…特別視は、この多様性を覆い隠してしまうことに

なりかねません。

耳で「眺め」、状況を把握する

眺める」は、すぐに必要のない情報をキャッチする働きだとしても、

状況把握には必須の認識のモードなのです。

視覚障害者は、「特別な聴覚」を持っているわけではなくて、

見える人が目でやっていることを、耳でやっているだけなのです

 

    


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聴覚など視覚以外の感覚の使い方が、

見える人と見えない人では違っている

 

見えない」人は特別な聴覚や触覚を持っている人」ではないことを、

ちゃんとわかっていなければならないとつくづく思った。

 

すごい!」という驚嘆の背後には、見えない人を劣った存在とみなす

蔑みの目線があ」り、「「すごい」は単なる「すごい」ではなくて、

実は「見えないのにすごい」と

思っていること、には考えさせられた。

 

 パラリンピックでの選手さんの活躍に単純に「驚嘆」しているつもりだが、

その心理の奥底には…「蔑みの目線」「差別心」のようなものがない、とは

断言できないと思った。

(最初に書いた「見えない」こと=「たいへん」なことという決めつけ、思い込みも、

裏返せば「蔑みの目線」とのなせるわざだといえないでもない。

 

客観的な人間の姿、社会の現実が「差別」に見ているので、心の奥底に「人を見下す」

差別的なものがあるのは当たり前だと思う。

大事なことは、そういう自分の中の差別心を自覚することだと思う。

自分の心の闇に向き合うのはイヤだけども…)

 

すごい!」を「面白い!」と言う著者の発想は面白い!

 これこそ言葉の力。

(言葉を少し変えてみるだけで、心が軽くなりそうな気がする)

 

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耳で「眺め」、状況を把握する

 

眺める」というのは、「見える」人にとっては確かに余裕のある行為で、

すぐに必要のない情報をキャッチする働き」だが、

見えない」人にとっては必須不可欠」の行為だから当然、

聴覚が鋭くなり、「情報をキャッチする働き」ということでは視覚に匹敵する。

耳で「眺め」、状況を把握する」ことになる

 

見えない」人にとって、耳で「眺め」、状況を把握する」ことは、

見える人が目でやっていることを、耳でやっているだけ」とのこと。

 そう、普通のことなんだ。

 聴覚そのものが「特別な」造り、出来をしているわけではないのだ。

 

〈オマケ〉

ずいぶん昔のこと。『名もなく貧しく美しく』という映画を見た。

それは聴覚障害の家族の物語だった。

すごく感動した思いを残したく、ちょうど産まれた季節がそうだったこともあって、

自分たちの子どもの名前を主人公からとって「秋子」にした。

 

 

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                         ちりとてちん

春愁や 眼鏡は球を ふけば澄み  上村占魚

 

 

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