カメキチの目
第3章 いのちをつくり変えてもいいですか?
■欲望がいのちをつくり変える
■あらゆるものになりうる細胞
■ES細胞の夢と課題
■拒絶反応を起こさない万能細胞を求めて
■クローン誕生の衝撃
■想像を超えるiPS細胞
■万能細胞が開く世界
■”いのちの始まり”への操作
■人のいのちをつくり出す
■遺伝子から始まる”人間の品種改良”
■そこから何ができてしまうのか
■見通せない未来を見定める
第2章は13節で成り立っています。
ここが本書の中核といってよいようです。本の題名のうち「つくって」が「つくり変えても」になっただけです。
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この章は、最初の節「■欲望がいのちをつくり変える」が核心を述べていますので、それを中心に、補足する形で最後の方の5節をまとめます。つまり、万能細胞について自体の説明は省きます。細かいことは本に直接あたるか、ネット検索してみてください。
2012年、山中教授がノーベル賞を受けたことによって「万能細胞」、「iPS細胞」の存在が日本中に知られることになった。私たちは、とくにそれが「再生医療」に実用化される可能性が大きく近づいたと聞き、喜んだ。
こんど、同じくノーベル賞を受けられた大熊博士の研究もすばらしく、それは山中教授の研究と同じく基礎研究ということですが、パーキンソン病など難病の治療にも結びつく期待が持てるとのことです。
難病などの治療にも役立つことではiPS細胞も同じですね。同じパーキンソン病でも治療へのアプローチの点で両者は異なっているようです。いい薬も開発されれば、患者さんの治療への選択肢がより広がり、一口に「患者さん」といっても人によりさまざまな「個人差」があるだろうし、その方にいちばん適した方法が見つかりやすくなりますね。こんな明るい、希望ばかり感じたいもんです!
ところが、
みなさんはご存じだっただろうか。
細胞というのは本来、元に戻るということはありえないということを。二度生きるわけにはいかない、死んだらオシマイということはわかっていましたが…
ところが、ところが、「再生」とは「初期化」「リセット」ができるということなのだ。0に戻せるということ。なんどでも、やり直せる、繰り返しがきく、とういうことだ。
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著者は危惧する。
傷ついたり衰えたりした細胞やからだの部分を、健康なもの、新鮮なものと取り換えが可能になる。
そのことによって、いっそうの健康や長寿が望まれるのではないか。
希望というより「欲望」と言うべきですかねはどんどん、フーセンのように膨らんでゆく。
問題は、再生医療が実現することが、人間の希望(欲求)を限りなくかき立て続けるだろうこと。
→行き着くところは「人間改造」
着床前診断がどんどん進み、何世代にわたって繰り返されれば、進化論的な意味で、いずれ「新人類登場」というSF小説にありそうな、それでも現実になりそうな話がありました。
そんな気の遠くなる先のことではなく、「再生」面から、つまりいのちそのもの、細胞や遺伝子に人工的な手を加えることにより、もっと手っ取り早く「新人類」製造、「人間改造」になるかも知れません。ああっ~クワバラクワバラ…
万能細胞の”いのちの始まり”への操作は、エンハンスメントの飛躍的な拡充という可能性が見えてくる。
(一) 病気やケガで、あるいは歳とって機能が十分ではなくなった臓器を、万能細胞からつくった臓器と取り換える
現在は肝臓や心臓は「臓器移植」しかない。
みなさんは「キメラ(キマイラ)」という言葉をご存じだろうか?
イノシシとブタをかけ合せて生まれる「イノブタ」がそうだ。「イノブタ」はイノシシ・ブタ双方の遺伝子を持っている(「異種交配個体」《ハイブリッド》)。
燃料のガソリンと電気は「異種」なので、どっちも使う自動車をハイブリッドカーというんですね。納得!
生物学では「一つの個体のなかに異なる遺伝情報をもつ細胞がまじっているもの」を「キメラ」という。
このキメラを応用して、たとえば心臓に病気や障害のある人の細胞からiPS細胞をつくり、それを(たとえば)ブタたとえ話ではなく、ブタと人間のゲノムはよく似ているのだそうです。の胚に入れ、ブタの体内で人間の心臓を育てる。そうしてできる(育つ)心臓は、その人の遺伝子をもった健全な心臓だから、拒絶反応もなく移植(元におさまる)できると考えられている。
これは実際に目指されているが、ブタのウィルスが人に感染しないなど、安全性の点だけでも多くの研究が必要で、実現はかなり先のことになりそうである。
生まれつき心臓に障害があるなどの治療に実現すれば、どんなにすばらしいことでしょう。一刻も早く安全な治療方法が出来てほしい。
しかし、
「安全性」の問題もさることながら、それ以上の倫理上の大問題がここにはある。
そもそも「ブタと人間のキメラをつくる」など、許されるだろうか。
そのブタは人間の心臓をもっている。人間の心臓で動いている。
著者はなにも、ブタの上に人間を置いてエラそうに言うのではなく、ブタはブタの「生を」、人間は人間の「生を」歩むべきではないかと問うているのではないだろうか。
生物の多様性の尊重ということがよくいわれるけれど、人間と他の動物との「合体」=キメラはそれにも反していると私は思いました。
研究と称し、さまざまにキメラをつくり出してゆくと、いったいどこまでが動物でどこからが人なのか、”種”の境界線が揺らいでしまう。
これはこれで、ヒトも動物の一種なので「自然」なことなのでしょうか。
ひいては「人間とは何ぞや」という根本問題を問わなくてはならなくなる。
これはこれで、だいじなことですね。
(二) 生殖細胞をつくってよいのか!
キメラの問題は、将来起こりうる可能性の問題であるが、今この時点でじゅうぶんに問わなければならない倫理的課題がこれである。
マウスによる実験では、すでにiPS細胞(ES細胞も)から精子と卵子(生殖細胞)をつくり、新しい個体を生み出すことに成功している。
マウスに可能なら、理論上は人間にも可能となる。
いまは、生殖細胞が関わる不妊症などの原因解明等が期待されているだけであるが、いずれクローン胚がつくられ、精子と卵子もつくられ、受精が行われ、”いのち”そのものが生み出さられる。
遺伝子から始まる”人間の品種改良”
(二)で述べられた生殖細胞への操作は、遺伝子への操作・遺伝子レベルでの「選別」(優秀な遺伝子を選び出し、劣等と思われる遺伝子は廃棄)と結びつき、ちょうど「遺伝子組み換え作物」のように、人間を「品種改良」するに違いない。
こんな「おぞましい」話を聞いて、いまはショックを受けても、(この「おぞましさ」がたとえ現実になっても、それは遠い未来)人間は慣れる。適応能力に優れている。その未来では「こんなもの」と平気になっているだろう。
そうならないために、著者は力説します。
遺伝子工学が飛躍的に発展しているといっても、
■そこから何ができてしまうのか できてしまわないのかわからないことはいっぱいある。
わからないまま、わからなくても「進める」「発展する」ことがたいせつとばかり行なって、大失敗にいたり
福島原発事故は大地震・大津波のせい、「想定外」と言い訳されていましたが、大地震・大津波の方は「想定ずみ」だったわけです。もともとが「神話」を作らなければならぬような「安全」だったのですね。
いまだ「安全」「安心」のめどは立っておらず、再稼働を始めた原子力発電のように、「あとは野となれ山となれ」にぜったいにしてはならない。