現代の日本で暮らしていると、当たり前のように便利で快適な「文明の恩恵」を
享受している。
(私の生まれは昭和20年代。時代が古いだけでなく生まれ育った場所が奥深い山村だった。
で、水は井戸から釣瓶で汲んでいた《「少年」といわれるほど大きくなると力もつき、
風呂の水運びをさせられた。それだけでなく、風呂水も沸かした》。
そのうち山の水をタンクに貯めて引くようになり、いちおう「水道」と呼べるものができ
蛇口の栓をひねると水が出た。「栓をひねる」だけで水が出る。感動した。
私は野山を駆けまわり、チャンバラごっこなどの遊びに興じてばかりいる《ちょっと前なら
戦争ごっこ》ガキだったから、自分と家族、隣近所、地域、学校くらいの狭い世界がすべて。
街、都会では上水道はおろか「下水道」まであり、排泄物を水で流すというということを
後に知り、驚いた。
この記事での「文明の恩恵」とはインフラ、とりわけ水道、電気、ガスなどエネルギーの
供給システム、「ライフライン」の確保、維持のこと。
ところが災害が発生すると、それが停止し、使えなくなることがあり、たいへんな思いをする。
この前の9月、10月は「線状降水帯」が千葉県など一部の地域に偏った集中的な大雨があり、
甚大な災害をもたらした。
私は幸運にも豪雨災害や地震などに一度も逢ったことがないので、被災された方々の辛苦を
実感を伴って味わうことができない。
想像するしかないけれど、喪ったことやものへの哀惜、ぐちゃぐちゃの現実からの復旧など、
抱える山積みの問題に向かうことは、どれほど辛い、苦しい、悲しいことだろう…)
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『人間なき復興-原発避難と国民の「不理解」をめぐって』
山下祐介・市村高志・佐藤彰彦 著
(グーグル画像より)
東日本大震災は地震そのものと津波という自然災害があまりに大きく、
それにより原発事故という人工的な災害まで引き起こした未曽有大災害。
15年が過ぎ去っても被害に遭った人々の心の傷は決して消えることはない。
目に見える外的な被害は新しいものが作られ、建ち、15年という歳月の経過も
手伝って、ほんの少しは人の内側、心、精神に力が与えられ、気力が回復し、
癒しの足しにはなったのかもしれない。
(いや逆に、長い時間の経過によって新たに将来への心配、不安が増え、苦しみ、辛さが
増した人たちもいるに違いない)
この本は、そのときの津波、それを引き起こした地震そのものではなく、
福島原発の事故を扱ったものだ。
事故の直接的責任は東京電力にあるが、原発を国策として強力に推進したのは国。
だから、日本国が真の責任者といえる。
(これが著者たちの基本的な姿勢)
つまり国は、被害の当事者、つまり原発が立地している大熊町、双葉町、
楢葉町、冨岡町などの自治体、そこの住んでいる(いた)人たちに対して
事故の責任があるということだ。
原発事故の被害者の声に真摯に耳を傾け、思い、気もちに応え、国民が納得し、
理解できるような人間味のある復興をしてきたかと検証する。
実際は、物が主体の「人間なき復興」が行われた。
(本には、避難された人たちの具体的な生の声が多く紹介されており、
実際は「国民の『不理解』」という実態に終わっていることがよく伝わってきた。
自分も「不理解」の一人だとつくづく感じ、反省させられることが本当に多かった。
ここでは最後の「「原発国家」の虚妄性-新しい安全神話の誕生」ということだけに
触れます。今日は①~③で、④~⑥は次回です)
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「① (原発事故が起きた後、日本中のあっちこっちで問われたことに、
原発立地は理解できるか?
なぜそこに原発はあったのか?
脱原発は、原発が突然目の前に現れたから?
なんで原発のそばに住んでいたの?
…があった)
② 原発を全部止めたらどうなる?-正義としての原発
原発はある言意味で、日本を支えるというナショナリズムと結びついていた。
それは一つの正義
…
③ エネルギー政策を考える
本来人間がやってきたことを電気が代替してその労力を担うことで、人々の暮らしを楽にする。…
すべてが(「国家政策」としての)エネルギー政策のなか(での「想定外の」出来事だった)
おいしいとこ取りだったはずの原発政策
…
新自由主義のこの20年間、…明らかに我々は、経済さえよければよい、効率がよいことが最善だ、
効率の悪いものは切り捨てればよいと、そういう発想に切り替わってきていた。
そのなかで切り捨てられていったのが地方であり、リスクへの投資であり、安全性だった
…
④ 安全神話から、新しい安全神話へ
(「事故以前の保安院の言葉)「安全を安全と言って何が悪い」…
責任は、こうして安全を信じ続けた一人ひとりの個人以上に、人々に安全を強要してきた
原子力産業体そのものにあり、…国家そのものであるはず…
(「普通の人々」)「俺らには原子力の取り扱いはできない」…
原子力の問題には、この専門性というものがつねにつきまとう。
…
マインドコントロールは東電のなかにさえあったはず
…
⑤ 原発立地の不理解
この安全の賭けは、小さな地域社会や地方自治体の賭けではなく、国家による賭けである。…
東京電力という一企業だけで行っていたものでもなく、それこそ国の政策として提示されてきた
「安全」なのであった。…
(原子力発電という国の政策の)構造上、事故の負担は、…責任ある人々にではなく、
責任を問えない地元の人々に押しつけられることになる。
…
⑥ 新しい安全神話へ
(事故が起きた)にもかかわらず、…中途半端な事故収束宣言と、
一方的な安全基準の押しつけで、避難の矮小化さえ始まっている。…
日本は民主主義の国だから、国民の意思が何にもまして重要とされている。
それゆえ国民の多くがこの事故を不理解のままに理解し、…
それがそのまま政策に結びつくのはむしろ当たり前…この国ではそれも自由なのだろう…
「自分の暮らしさえよければ他人の暮らしなんかどうなってもいい」」

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①
「なぜそこに原発はあったのか?」
「なんで原発のそばに住んでいたの?」
いくら大切な電気の創出という大事業でも、国が主導の大事業でも、わずかでも
安全が懸念されるなら、自分の住んでいるところに立地するのは、
多くの人々は反対するに違いない。
(地震大国日本での原発はわずかでも危険がある、心配だと主張する専門家はおり反対した。
しかし少なく、国の政策に影響を与えるには至らなかったのだろう。
私が子どものときの教科書には、「原子力発電は絶対安全」という前提で、
原子力の平和利用、「日本初の原子力発電 東海村《茨城県》」が載っていた。
私も単純に「日本はすばらしい!」と思った)
原発に「わずか」な安全性の懸念があったとしても、
電車や飛行機に乗っていても100%安全といえないし、
自動車事故は戦争と言われるほど頻繁に起きているものと比べれば、
それにまた自分個人の体の健康と比べれば、
原子力発電の方が比較にならぬほどマシなのだ。
「原子力発電」は産業となり、安定した雇用は確保されるし、住んでいる地域、
自治体に多額のお金が交付され、地域のみんなの生活、暮らしがよくなる。
それに、原子力発電という国の先端技術の見本市となる。
(地域、自治体の住民にとって、これが名誉、誇りでないと誰が言えよう。
まだ、スリーマイル島の原発事故、チェルノブイリ原発事故原発は起きておらず、
安全性が実際に疑われることはなかった。
福島原発事故が起きるまで原子力発電所の立地場所として私が知っていたのは
先の「東海村」の他には、福井県民であったこともあり「敦賀」、「大飯」、「高浜」、「美浜」
という若狭湾沿岸のものと、旅で行った四国の「伊方」、東北の「東通」。福島は知らなかった)
福島原発の1号機は1966年に着工、1971年に稼働されているとのこと。
1966年に着工されるまでに原発立地に賛成か否かの意思表示ができたのは
当時20歳以上だとして、2011年時点では65歳。
福島県双葉郡大熊町、双葉町、楢葉町、冨岡町の若い人たちにとっては、
生まれたときから原子力発電所は立っていた。
この事実はとても大きいと思う。
「なんで原発のそばに住んでいたの?」といわれても、イヤなら引っ越せばいい
けれど、そう簡単な問題ではないだろう。
「なぜそこに原発はあったのか?」
よくいわれるように、そこは専門家によれば地盤が安定し地震が起こりにくく、
大量の電力が必要とされる大都市圏に「つかず離れず」適当な距離にあり、
かつ原発を作るための用地を取得しやすいところ(だそうだ)。

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②
「日本を支えるというナショナリズムと結びついていた」
だから「 正義としての原発」
戦争も同じ論理、理屈から肯定され、始まる。進められる。
あの戦争においても、アメリカは急いで(原子爆弾を)開発しないといけない、
ナチス・ドイツに先を越されたらたいへんだ!多大な被害が出る、
と原子爆弾を先に作り、広島・長崎に落とし、「 正義」を実行した。
(日本も西洋列強の帝国主義の植民地となっているアジア諸国、諸地域の解放という名目、
「 正義」を掲げ、「大東亜共栄圏」構想の「 正義」実現を目論んだけど、
そっちの「 正義」は負けた。
「ナショナリズムと結びつい」た「 正義」同士が争った場合、どっちかが勝ち、どっちかが負け、
どっちの「 正義」も実現することはあり得ない。
原発は「原子力」の平和利用だというが、日本の科学技術の高さでは
いつでも爆弾への転化が可能という)
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③
「エネルギー政策を考える」
エネルギーとは
「本来人間がやってきたことを電気が代替してその労力を担うことで、
人々の暮らしを楽にする」
(記事の最初に書いたように、自分ごととして)
あらためて「エネルギー」というものについて考えさせられた。
「人々の暮らしを楽にする」電気は、生活の身近なところに「灯り」、「明るさ」
として登場した。
(子どものころ聴いた「明るいナショナル、…♪」と「パナソニック」の旧い社名時代の
CMソングを思い出し、電気の原点は「明るさ」だといま初めて気づいた)
便利で快適な生活の享受は、気の遠くなるような人類の歴史において
取るに足らない期間。
(ネットのAIによれば、「(人類の歴史において)現代(直近の約100〜200年)を見ると、
全体のわずか0.003%ほどであり、100cmの物差しに例えると「0.2mm〜0.3mm
(髪の毛2、3本分)」の極めて一瞬の出来事」
ちなみに電機は「19世紀末の1882年にアメリカのトーマス・エジソンがニューヨークで世界初の
発電・送電を始めてからです。日本では、1887年に初めて発電所が作られ、一般家庭への送電が
始まりました」)
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「経済さえよければよい、効率がよいことが最善だ、
効率の悪いものは切り捨てればよいと、…
そのなかで切り捨てられていったのが地方であり、リスクへの投資であり、
安全性だった」
そのような価値観がいつまで続くだろうか?
いま、現代が、気の遠くなるような長い人類史で、一瞬のことであっても
辿り着いた結果、進化した人間の姿というならば、
「地方」、「リスクへの投資」、「安全性」は
「効率の悪いもの」として「切り捨てられて」も仕方がない、のかもしれない。
(「価値観の転換」が起きる前に人類絶滅ということになるかもしれない。
しかし、それはそれで「アリ」かもしれない)

ちりとてちん
そよりとも せいで秋たつ ことかいの 上島鬼貫