私がいちばん求めているものがこの本にはあり、読んでよかったと
これほど強く感じたことはない。
ちょっと大げさだけど、自分に残された時間を思えば、これを超える本は
見つからないだろうと思った。
(もちろん自分個人にとってのこと)
『「死」を考える』 南 直哉・著
(グーグル画像より)
「あんたは何のために本を読んでいるのか?」と聞かれたら、
老いて仕事から退き、時間を自由に使えるから読めるわけであり、
そういう意味では「暇つぶし」ともいえないことないけれど、
ゴーギャンの有名な言葉、
『我々はどこから来たのか 我々は何者か我々はどこへ行くのか』
みたいなことを、やっぱり自分も知りたい。
読書はある程度意識を集中せねばならない、主体的にならないとできないので
ボウっとしていることの好きな自分にはホントは苦手だ。
苦手でも、「読んでよかった」と思えるような本との出会いは本当に幸運!
(もともと読書好きではない。
本がある家には生まれなかったので、読書の習慣はまったくなかった。
私が子どものころ、漫画の月刊誌『少年』『ぼくら』『冒険王』というのがあり、そういうのは
たまに「読む」というより「見た」。
高校生になり初めて図書館というものを知った《小中学校もあったのだろうが
利用したことなかったので知らなかった》
そのとき読んだものはちゃんと覚えている。
井上靖の『しろばんば』、ヘッセの『車輪の下』『デーミアン』。
物語の詳細は忘れたけど、だいたいの内容は覚えている。なんせたったの3冊だから。
社会に出てからは仕事に疲れ、指を折って数えられるほどの本しか読んでいない)

ーー
ずっと前にも書いたことだけど、障害者になって休職していたとき、、
「これからどうしようか?…どう生きようか?」と、それなりに悩んでいたとき
(目が見えなくなったなど重い障害を負ったわけではなく、あまり深刻にはならなかった)
たまたま本屋で目立つところに並べられていた禅語の文庫本を見つけたのが
仏教との出会いであった。
禅の精神、心を短い言葉で表した禅語は、生きる上での心構えのようなものを
教えてくれた。
(ともかく短いから覚えやすかった。
受験じゃないのでもちろん覚えればいいというものではない。
しかし、覚えやすいというのは、私のような記憶力も劣っている者にはとても大事なこと。
身につけやすくなる。
禅語が浮かぶと「ああ、そうだ!そうだった…」ということになり、自分の姿勢を反省する。
そんな禅語を広めようと思って、そもそもこのブログを始めたのだった)
そのうち禅語だけでなく、仏教そのもの、またキリスト教など他の宗教のことも
気になり、宗教だけではなく、「信ずる」という点では宗教と共通する風習など
古くからの民俗的なもの、アニミズム、神道のことも知りたくなった。
自分としては、何より「愛」とか「慈悲」などを説く宗教が
どうして、どのように公的な殺人、戦争と結びつくのか未だに全然わからない。
命をいちばん尊ぶはずの宗教が、いちばんの「反戦」でなければならないはず。
(不思議だ。解けない謎…。
本の内容は次回から5回分けて抜粋、引用し、紹介します)

ちりとてちん
晴女 集へど今哉秋雨かな 関口房江