kame710のブログ

2006年7月10日高所から転落、障害者となり、オマケに胃ガンで胃を全摘してなおかつしぶとく生きています

2019.3.19 プラビータ!

           カメキチの目

 

  NHKのBSで『世界ふれあい旅』という15分番組がある。

 そのときは、(朝ドラ)まんぷく』のあとにやっていたから、続けてみた。

 

  たった15分でこの地球の各地とふれあうことができ、世界じゅう、どこの人もみんな温かいなぁと朝っぱらから思わせてくれ、いい気もちになる。

 番組スタッフが出あった人々に話しかける(が、それは画面には映らない)たまに相手が仕事などで急ぐ用があって無視されることもあるが(「やらせ」番組でないのでしかたない)たいていは笑顔で応じられる。

 

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 先日は中米のコスタリカだった。首都のサンホセをぶらりと散歩。

 

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            グーグル画像さんからお借りしました。

 

 コスタリカといえばウチではコーヒー豆の産地。

 身体に障害がのこったケガの退院後、リハビリで近所を歩いていたとき、仕事していたとき車の運転中によく缶コーヒーを飲んでいたからかよく飲みたくなり、自販機をみつけては飲んだ。 

 ある日、私がリハビリ散歩ごとに飲むのでツレが缶コーヒー代が「バカにならない」「そのぶんのおカネがあれば本格的なコーヒーを淹れて飲めるのに」「それなら私も飲める(缶コーヒー苦手)。コーヒーだけ贅沢しようか」と提案。

 言うだけでなく、さっそく実行し、とても親切なあるコーヒー豆輸入業者をネットで見つけ、定期的にそこから買い、自分で豆を挽き、淹れるようになって久しい。

(いまも飲みながら書いてます)

 その業者さんが厳しい目で選ばれる(「今回は〇〇の理由で、◇◇国産、◎◎農園の豆をお届けします」とていねいでおもしろい、こぼれ話のような便りが毎回ついてくる)世界各地のコーヒー豆の産地にコスタリカがある。

(「違いがわかる」ほど私の味覚は繊細ではないので、いまだにそれがブラジルかジャマイカかニカラグァかインドネシア…かは判別できない)

 

 ここに私が書きたかったのは(コーヒー豆のことではなく)「プラビーダ(素朴な人生を)!」という言葉である。

 言葉をまちがっていたらいけないのでNHK番組HPを調べていたら、あった。

【引用】 

サンホセは、国際的な統計で“世界一幸せな国”に選ばれたコスタリカの首都。20世紀半ばに激しい内戦の舞台となるが、その後、国は軍隊を廃止、以来、非武装中立を貫き続けている。道端では、見知らぬ男女が楽しくダンスしたり、靴磨き屋さんで音楽家や警備員が談笑したり。「プラビーダ(素朴な人生を)!」を合言葉に 、職業や立場を超えて、仲良く陽気に暮らす人々とふれあう。

 

 前々から、コスタリカが軍隊を廃止、非武装中立の国になったとは聞いていたが、今日の姿は知らなかった。

 スイスが永世中立国とは学校で習っていたが、自分たちの国は自分たちでまもるということで、軍隊はあるようだ(要するに「敵」は想定しているわけ)

 しかし、コスタリカはちがう。まったくちがう。

 

日本国ではないのに、コスタリカ憲法の条文は知らないが)日本国憲法を体現しているのには驚く。

「…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、…」

 番組スタッフがサンホセをぶらりと散歩しているとき、たまたま出あった人々が「私たちはよその国を信頼しているからね。信頼している相手が攻めてくることないよ」と笑顔で話していたのがとっても印象的だった。

 

 そして 「プラビーダ(素朴な人生を)!」

 

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 思えば「プラビーダ!」武装の真反対。

「自衛」とはいっても、自分を武器でかためるというのは「心やすらか」ではありえない。「素朴な人生」というわけにはいかない。

 だって、他人(他国)は「すきあらば」といつ攻撃をしかけてくるかわからないと戦々恐々していなければならないわけだから。

(まっ、「他人を見たら疑え」、監視カメラが欠かせない日本の現状は、毎日が「戦争」かもしれない。と思ったら、2年前に書いた宮尾節子さんという方の詩を思いだした)

 

【引用】

明日戦争がはじまる
まいにち
満員電車に乗って
人を人とも
思わなくなった

インターネットの
掲示板のカキコミで
心を心とも
思わなくなった

虐待死や
自殺のひんぱつに
命を命と
思わなくなった

じゅんび

ばっちりだ

戦争を戦争と
思わなくなるために
いよいよ
明日戦争がはじまる 

 

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                            ちりとてちん

 

2019.3.15 禅語「応無所住而生其心」

       カメキチの目 

 

 

    応 無 所 住 而 生 其 心

 

「オウ・ム・ショ・ジュウ・ニ・ショウ・ゴ・シン」と、いかにも禅の言葉らしく音よみできますが、

 意味は訓よみ、「応(まさに)住する所無(の)うして其(そ)の心を生かすべし」です。

 

金剛般若経]という経典にあるというから「オウムショジュニ・ショウゴシン」と(「ナム・アミダブツ…」のようにリズムをつけ)自己暗示するように唱えるのがきき目ありそうです。

 

 説いていることは、「空」や「無」、つまり予断、偏見をもつことなく、またひとところにいつまでも「住む」「とどまる」「執着する」のではない、そんな新鮮な心でいたい。

 要は『般若心経』の有名な「色即是空」「空即是色」を具体的な行動にあたっていかした言葉という感じ。

 

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 生きているといろいろなことがあり、「喜怒哀楽」にとらわれる。

 とらわれまいとして目を瞑っていてもダメである。

 つねに自分が周囲にはたらきかける側、一方的な立場にあれば別だが、そんなことはありえない。

 周囲(広い意味での「環境」)から常にはたらきかけられる。

 

 いつまでもひとつの感情・考え(それらはすでに「過去」のもの)などにとらわれているのはよそう。

 

【オマケの話】ーーーーーーーーーー

初めて読んだ禅語の本に次のような噺が載っていました。

 

若い坊さんたちが修行の旅をしていると川に出た。渡ろうにも橋がこわれており、腰まで水につかって渡るしかない。こわれた橋の前では娘さんが困っている。向こうまで渡りたいのだが…。

ひとりの坊さんが彼女を背おって渡った。

あとで、ほかの坊さんたちが若い女の人を背おってどうだったとかワイワイからかったが、この坊さんはこう言いはなしただけ。

「それはそのときだけのこと、もう忘れた」

 

「それが人情」といえばそうなんですが、私も自分にとってイイことは長つづきしてほしい(できれば永遠に)、イヤなことは早くおわってほしい。

しかし、こんな禅の心、態度というのに強くひかれました。

 

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 道元禅師の「前後裁断」という禅語もこの本に載っていました。これは、過去と未来が火花を散らす『今』一瞬を、前も後も断ち切って、つまりなんらかの想念にとらわれることなくだいじに生きるということで、「応無所住而生其心」に通じます。

 

ふーむ  らかんさん 

 

 

 

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                            ちりとてちん

 

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