今日は
第2講「ブルトシップ・ジョブってなんだろう?」
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第1講では「ブルトシップの宇宙」ということで、世界中の声を五つに分けて
具体的な分類例が示されたが、第2講ではそもそもBSJとは何?と問われる。
それは「無意味」、「テキトー(適当)」、「ウソ」。
自分のやってる仕事はそうじゃないかと気になる。
「仕事ごっこ」している気分がする。
(だから「とりつくろわなければならない」。
「仕事ごっこ」参加者はお互い「空気を読み合う」必要がある。
「ヤクザは自分が「ごくつぶし」であるという認識があるが、BSJは認められない、
《お互い同士》そういわない約束《暗黙の了解》になっている」)
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ここでとても重要なことが述べられる。
原著者のデヴィッド・グレーバーは経済学ではなく人類学が専門であることから、
そもそも人間、人類にとって何が大切なのか、という根本的・普遍的な価値観に
立ち戻って考えようとする。
グレーバーが人類学にたずさわる者として地球上のさまざまな人たちに直接訪ね
調査・研究(フィールドワーク)すると、経済生活という不可欠の大事に、近代人の
私たちには理解、納得しにくい不合理なことが見られる。
それらを「不要な仕事」というと、そういう「問題設定」自体が間違っている。
グレーバーがいう「ブルトシップ・ジョブ」とは「不要」「無用」な仕事ではなく
「「働きすぎ」という問題」と著者、酒井さんは言う。
「働きすぎ」というより働かなくてもすむ。
その仕事は「無意味」であり、その仕事は「テキトー」にやっておけばすみ、
「ウソ」のようなもの。
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「経済学の「市場価値論」から人類学の「社会的価値」」とグレーバーは言う。
どういうことか?
いちばん大事なものは「お金やモノを持っている」ことではなく
「愛とか友情とか連帯など」
葉桜の 中の無数の 空さわぐ 篠原 梵