kame710のブログ

2006年7月10日高所から転落、障害者となり、オマケに胃ガンで胃を全摘してなおかつしぶとく生きています

2018.8.17 毒蝮三太夫さん

                                                  カメキチの目

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 毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)さんをご存知だろうか。

ウルトラマン』最初のシリーズで、「科学特捜隊員」で活躍されていました。観た方なら(一度きいたら忘れないような名前を知らなくても)「あーぁ」となります。

 

 終(敗)戦記念日の少し前、テレビの『報道特集』に出演されていた。

 もう82歳である。

1945年にあの戦争が終わり、2018年のことしは73年目。

つまり82歳の毒蝮三太夫さんは敗戦当時、9歳の少年だったわけです。

 

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 東京生まれの毒蝮さんは、「東京大空襲」の惨劇をなんども生き延びた。

 焼け焦げることなく、生き延びた。

 しかし、死んでいたかもしれない。

 生きているのは

 ただただ、運がよかっただけ

 

 生まれたかぎりは、生きつづけたい。自然に死にたい。

(植物であれ動物であれ、生きものはみんなそうつくられている)

 

 

「戦争は絶対いけない」ということは、

だれもがわかっている。

 だが、「わかっていてもやってしまう(くり返す)」。

 

人間の「性(サガ)」「業(ゴウ)」なのだろうかと思ってしまいそうになる。

 

「死ぬまで語り続けなければならない」

 そうすることが、あの時代、ここで生まれ、ここまで生きてきた自分という人間の「つとめ」であり、

「生きがい」とも82歳の毒蝮三太夫さんは言っておられた。

あの戦争の体験を覚えている方は、「記憶に残る」「知る」ということが(個人差はいろいろだろうけれど)4歳くらいから可能なら、1941年生まれ、つまり現在77歳の人より歳上の方だけ。

 

■『報道特集』は、あの戦争に関わる膨大な公文書類を、(当時の日本政府が「これ以上は戦争を続けられない」つまり連合軍に負けを認め、敗戦を受けいれることを決めた15日の少し前)すべて焼却することを決め、「燃やせ!」と指示・命令したことに深く切りこんでいた。

貴重な記録(たとえそれが残したくないものでも)を消そう、燃やそうとすることは、(番組が強い言葉で述べていたように)歴史を変えようとすることに等しい。「隠ぺい」はいずれ暴かれる可能性があるが、燃やされ灰となったものは元に戻すことはできない(今はどうだか?)。

そうそうこんな場面があり、思わず失笑した。

当時、上に言われて燃やしていた方が苦笑いしながら、こういう意味のことを言っておられた。

マッカーサーが来日。公文書を出せと言ったけれど、われわれはすでに焼いていた。ないものは出せない。でもどうしても出さなければならない。それには「偽造」するしかない。(「モリカケ」のひな形は)このときからあったよ」

 

 

 

                  ちりとてちん

2018.8.14 加川 良

                                                  カメキチの目

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あしたは73回目の「終戦(いや正確には敗戦)記念日」です。

 

■この国のエラ方は、「侵略」を「進出」、「敗退」を「転進」と言いまわすなどさきの戦争時だけでなく、平常時の現代でも「改ざん」を「書きかえ」など(あげればキリがないほど)実態・本質を言葉で覆いかくしてきた(すばらしい日本語を冒とくしてきた)。たとえば「忖度」

 → 本来ならば、相手の心などを推しはかり、そのうえで考慮することなのに、「モリカケ」の登場を機に、そんな相手への気遣いとは真反対の「自分の利益・自己保身」のために相手を利用する「おべんちゃら」の同義語に変わってしまった。

(このごろ《気づくのが遅いですが》私は、安倍やトランプ…より、彼らにときには「叱咤」に甘んじながらも《ということは忠実な「番犬」ぶりを演じ》、ときには気づかれないよう、じょうずに彼らを「コントロール」しているかのような取りまき連中、高級官僚のほうが「いちまいウワテ」を行っているように思えてきました。それにしてもいまの自民党、なんと腐り切っていることだろう! 安倍や麻生のようなウソつきトップを引き下ろせない時代がかっての自民党にあっただろうか。こんどの自民党総裁選で安倍は楽勝しそう。「勝てば官軍」「負ければ冷や飯」…情けなくてしかたない…トホホ)

 

■前に加川良の歌『教訓1』をのせました。

この人のほかの歌もそうですが、21の歳に、初めて聴いていっぺんに好きになりました。

(老体のいまになるまで、折りにふれて思いだされ、頭の中をクルクル回るのは、「うさぎ追いし…♪」の唱歌みたいです)

 

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いくら個人的には幸せに生きようとしても、ズカズカと侵入してくる社会や国家の前ではまったく無力な私たち。

加川良の歌が、クルクル頭のなかを回るほど好きになるのかと考えてみたら、庶民、一般市民、小市民、民衆、凡人とよばれる私たちへの応援歌ではないかと思うようになりました。

理屈ぬきに戦争に反対するから反戦歌ともいえますが、いちばん身近なだいじなもの(家族や生活など)をだいじにすることがだいじなのだと訴えていると強く感じています。

 

■『できることなら』と『戦争をしましょう』も『教訓1』とともによく頭をかけめぐる歌です。

『できることなら』は『教訓1』の続き、『教訓2』です。1は「青くなって逃げなさい」、2は「女々しく生きましょうよね」という歌詞が出てきます。ともに、社会や国という大きなところに「こうせよ!」と命令されても、自分自身と家族をいちばんだいじにしようと言っています)

 

二つをくっつけると「できることなら戦争しましょう」となるけれど、これはまったくの偶然で、意図されたものではありません。

 

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