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kame710のブログ

2006年7月10日高所から転落、障害者となり、オマケに胃ガンで胃を全摘してなおかつしぶとく生きています

2017.2.27 ご〇さんガンバレ! 

 

                                                  カメキチの目

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 おそらく、自分の人生の予定(といったら大げさですかね)になかったことを先日やった。

 と仰々しく、大きく出たが、なんのことはない。

 

京都マラソン」という市民マラソンに、私がこのブログを始めたころにとっても励ましてくださった「恩人」みたいな方、ご〇さんが出場されるので、その応援に行ったのだ。

 

「応援」したいと思ったのは、さく年、住んでいる近くでの有名なマラソン大会を見に行って、選手さんたちが必死に走っている姿に身震いするほどの迫力を受け、感動したからだ。

 ご〇さんのブログ記事。

 参加された市民マラソンでの走りのようすがとても魅力的に書かれている。

「ご〇さん、スゴイなあ!」と感心しても、じっさい、お姿を拝見させてもらっていないので、「感心どまり」だった。

 

「ご〇さんの走っておられるところをみたいなぁ。そばで応援したいなぁ」

 これ見よがしに言ったわけではないのだが、神さまに声が届いたらしく、しばらくたって、ご〇さんから「京都マラソン」というのがあって、参加の抽選に当たったとの朗報があった。

 これも、「これ見よがしに…」ではないのに、ツレは着々と応援のための一切の準備をしてくれていた。

 

当日

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 ヒェ~! 1万6000人。当日の参加者数。

 コースの道路を駆けぬけるのは1万6000人という私たちはみたことのない多数。

 ではあるけれど、目あてはご〇さんお一人だ。

 1万6000人の中から一人を探すのはむずかしいらしいが、道路の幅なんて知れてる。そこを駆けぬけるランナーの中にご〇さんを見つけることくらい、不確かな自分の目でもわけないとタカをくくっていた。

 が、とんでもない間ちがいだった。

 ツレはとても細かな性格(同じ血液型なのにぜんぜん違う)だ。

 ご〇さんがこっちを見つけやすく、本人はわざわざ赤いつば帽子をかむり、ご〇さんのアイコンマークの応援団扇まで用意し、私に渡した。

 われわれは目立つところに陣取った。

 

 ランナーのみなさん。必死だ。真剣だ。

 どの人にも「ガンバレ!」と声をかけたくなる。

息が続かないのでときどきだけだが、声をかけた。彼女は「しんどくなるのでやめたら」となんども言ってくれるが、ランナーの姿は沿道の人々が応援したくならざるをえないという感じです。

 

 ギョッ! 気がついたときには目の前にご〇さんがおられるではないか(自分としたことが…あんなに目を凝らしていたのに…)

 こっちは二人とも応援に「真剣」なので、ときどきは「ご〇さん、まだか…」「(上の帽子から)青・白・黒・オレンジ(下は靴まで)だったな」「アレっ?ご〇さんと違うかな」

たまに情報交換するが、基本的に黙って道路を一心不乱に見つめている。

だから、とつぜん現られビックリ! お化けにあったみたいだった(ゴメンなさい)。

 こっち近づいたら満面笑顔いっぱい(それは精いっぱいの気づかい。どんなに辛いことか…)にハイタッチして、即座に去っていかれる。

 ちょっとしんどそうに体を曲げている後ろ姿のなんとカッコよかったことか…! 

 その背中に祈りたくなった。

おそらく応援に来た数えきれない多くの方が、自分の目あてのランナーに同じ思いをされていたのではあるまいか。

  

 ご〇さん。ありがとうございました。

 

この10年。走れないが、身体を動かせることがどれほどすばらしいことなのか、痛感します。それが何であれ、できなくなって、うしなって、なくして、初めてその何かの価値、ありがたさに気づくのですね。

それにしても、いっしょうけんめいな、真剣な、必死な…姿。姿勢・態度というのは、真実、人間を感動させるもんなんですね。

まったくそうでないような私なんかもどんなに奮い立たせてもらえたか。

重ねてご〇さん。ありがとうございました。

 

                  

                  ちりとてちん

2017.2.24  レガシー

 

                                                  カメキチの目

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(笑わないでください)私は「レガシー」ってスバルの自動車名かとずっと思っていた。

 東京にオリンピックが決まってからよく聞くようになった。

 

 先日、テレビ録画しておいた『マチュピチュミステリーに迫る』を観た。世界文化遺産である。本物のレガシーである。

 NHKなのにナレーターが抑揚つけたしゃべり口調で視聴者をあおるスタイルだったので初め、民放のバラエティーかといぶかった。その口調が少し気になったけどすばらしい番組だった

 たくさんのミステリーの「問い」と「答え」にすっかり魅了された。

マチュピチュのインカ文明といえばアンデス地方インディオの人々。そしてフォルクローレというボリビアやペルーの民族音楽を連想します。

なんでも音律が日本に通じるものがあるとのこと。若いころ、私はいっぺんに気に入り、ケーナという竹で作ったような笛を買ったほどです。

 

 ミステリーの全部がおもしろかったけれど、そのひとつに、なぜ山のてっぺんに「天空の城」、「天空の街」のようなマチュピチュが築かれたか?ということだ。

 答えは隣の国の動きを見張るため。戦いに備えてのこと。

 ナレーター氏の答えの解説を聞き、すぐに変わった画面のどこまでも広大なアンデスの山々をみて、ツレはため息ついた。

「人間というのは…」

 何番目かのミステリーでは、インカ帝国がスペインに滅ぼされたことを聞いて、またため息ついた。

どこでもいっしょだね…」 

彼女のその嘆息に私はひそかにほくそ笑んだ。

これだけの歳月をともに暮らしておれば多少はお互いが影響し合う。

私は連れそったころから、(そのつもりはなくても)自分の在りようは棚にあげて、社会がどうの、人間がどうのと言っていた。今も言っている。

 

 このごろは「トランプ」「アベ」と気に入らない人物を私が呼びすてるのを注意するどころか、彼らがテレビに映ろうものならば、パチッと消すのも認めてくれた。

 ただ、やむなくテレビに現れた彼らの姿を認め、画面に向かっての言動はあまりに子どもじみて品がないので、「やめてね」と言われている。自分の選んだ伴侶がこんな人間だったのかと老いた今になってまで思わされるのはイヤだと言う。

 ごもっとも。

 

 話がそれた。

 他の番組でも、原住民といわれる人々とそこの自然とのかかわりを見聞きする。 

 マチュピチュなどの文化遺産に思いをいたらせていたら、考えてしまった。

「現代はどんな遺産をのこすのかなぁ?」

 

それより、東京は何をのこそうとするのでしょう?

「東京」にこだわらず、世界の選手のみなさんたちに福島や三陸を見てもらえばいいのに。

 

                 ちりとてちん

 

ローアングルの風景(情景?)写真

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