kame710のブログ

2006年7月10日高所から転落、障害者となり、オマケに胃ガンで胃を全摘してなおかつしぶとく生きています

2017.10.20 『内田樹の生存戦略』④

 

 安倍自民党政権が掲げる政策で日本はどうなるんでしょう

 

A

日本は今「縮み」始めています。ですから、国民的資源のフェアな分配方法について根本的な議論を始めるしかない。でも、政治家も官僚もメディアも、誰もそんな話をしようとしない。分配方法のことはとりあえず忘れて、「パイを大きくする」ためにはどうすればいいのかという話ばかりしている。そして、パイを大きくするためには、「選択と集中」しかないというものです。…でも、誰が考えても、沈みゆく社会で「選択と集中」戦略を採用すれば、超富裕層と貧困層への二極化が亢進するしかありません。

 

注:このQは、いま発せられたものではありません。したがって、こんどの選挙とは

  関係ありません。

 本が出版されたときも北朝鮮からミサイルは発射されていたが、「国難」と言って、Jアラートで国民に危機感をつのらせることはまだなかった。

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ところで、

私はメディアが与党大勝と予想しておりウンザリしてます。

が、これはたぶんに野党のふがいなさ、あわてぶり、芯のなさ(前に流行語のようになった「ブレ」)に多くの国民がガッカリしていることの表れだと思います。

それに、安倍首相と官邸は与党が大勝利するよう策略した「ミサイル脅威」「国難」。この作戦はおそらく大あたりのようです(野党の右往左往と合わせて、ここまで見越していたとすれば、悔しいですが「敵ながらアッパレ」というほかありません)。

若い方たちは、あまりにお粗末な日本の政治にはゲンナリし、棄権する。与党にとっては自分たちに有利な選挙制度のもとでは、棄権が多いことはだんぜん有利です。よって政治に幻滅し、無関心な若者が増えることは望ましい。これも、敵の(失礼しました「自民・公明の」)戦略なんですね。

 

 あちこちで(内田さんだけでありません)経済成長は

もう頂上をきわめてしまったので、望めない(望むとしてもごくちょっと)。いわゆる「ゼロ成長」、維持が精いっぱいだそうです。

ここらあたりでやめ、「国民的資源のフェアな(ということは「公平な」)分配」をするにはどうすればいいか?と真剣に話しあう時期にきているといわれている。

 資本主義経済はいまやグローバルに発達し、私たちの日常生活にも、早くからなじみとなったコーラやマクドナルドのファーストフードなどだけでなく、ウィンドウズやアップル、アマゾン、ヤフー、グーグル…にいたるコンピュータ(それが集積した「人工知能」といわれるものまで。必需じゃなくても、あれば「便利」で「快適」)に生活そのものが支配され、慣れてきている。

 国民みんなが願う長寿のためにガン撲滅やアルツハイマー根絶に向けての薬の開発など医療面だけでなく、ロボットやドローンの活用、スマホでできることの無限の発展など、便利で快適な生活を目ざしてまだまだ科学技術は、とくに技術は進化していかなければならないのだろう。

生産、提供する側にとってはさらなるカネ儲け(いや、「経済成長」)のために。

 

 しかし、これからはとくに、というか同時に著者の言われるように「国民的資源のフェアな分配」に軸足を据えていかなければならないのではないか。

 誰もが科学技術の恩恵に浴されなければならない。

 パイを太らせること、「選択と集中」はもうウンザリ!

 

 国民総生産が上がれば、「トリクルダウン」で放っておいても(自動的に)誰もが豊かになるという大ウソっぱちを垂れ流した張本人はマスコミ・マスメディア。

もちろんみんなそうではありません。すばらしい報道番組もあります。

たった一つの事件や出来事の本質を掘り下げようとする記者さん。長年にわたって一つの問題を追う記者さん。深く頭を垂れざるをえません。

しかし、新聞社・通信社・テレビ局などの幹部連中が政府のおエラ方と高級料亭とかで定期的、コトとあるごとに歓談、「交流」するということは、腐っているとしかいえません。メディアが政治と結託するなんてことは自らの首を絞めるようなこと。

この手の「広い世間ではあたり前。よくある話」が私は大嫌いです(政治家個人の「モリカケ」のような不正疑惑や不倫騒動や失言を問題化し追求するのは子どもっぽい、政治家本人の資質とは関係ないことの追求で国政のたいせつな問題を遅らすなという議論もあるようです)。

 財界、その代理人である政治家が国民をダマすのは、自らの利益をはかることは当然のことなので(腹が立つけれど)「理解できる」が、それがあたかも「真理・真実」であるかのように伝えるマスコミ・マスメディアは許しがたい。

私が読者になっているあるブログの方は、「クソ」をつけられます。

私も「クソメディア」と心では叫んでいます。

こういうところでもメディアにはウンザリ!

 

「社会の木鐸」とは遠い過去の言葉だったのでしょうか。この本の別なところで著者は述べておられました。 

報道の自由度のランキングが世界11位から72位まで劇的に低下しました。僕の考えでは、それは具体的にある種のニュースや意見が報道されなくなったということではありません。そうではなくて、『ある種のニュースや意見が報道されなくなった』ということが報道されなくなったということです」

 

              

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                ちりとてちん

2017.10. 『内田樹の生存戦略』③

                                                  カメキチの目

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 Q

子どもにやらせるのなら、合気道と柔道、どっちでしょう? 

(じつは著者は古武術家で、長いこと合気道をやっておられ、達人の域に達しておられます)

                                                      「合気道」の画像検索結果

                      (グーグル画像さんから借りました)

ものを学ぶときは、学び始める前にあまり予備知識を持たない方がよい。これは僕の経験的確信です。…

(注 著者は大学の先生で、教え子のなかの)その学生たちは、効率よく有用で換金性の高い知識や技術を手に入れることよりも、自分が何者であるのかを知りたがっていた。自分の中には、自分自身も知らない、知的可能性が眠っていることをぼんやり感じとっていた。

 

 もちろん、内田さんは「合気道(もしくは柔道)がいいです」なんてことは言わない。

 スポーツではない「習いごと」のQでもいっしょだろう。

 

(モノになってほしいと高望みするのは別にしても)やってよかったと満足できるくらいにはなってほしい、と親ならだれでも願う。わが子のことだもの。私だってそうだ。月謝もバカにできないらしい。

私の場合は、(子どもたちがウチの経済状態を察して遠慮していたのか)習いごとも学習塾も「…したい」とは言わなかった。

「なんかあるだろう。言ってみぃ!」と言った(ような気がする)が、なにも返ってこなかった。

 

(これは別の話ですが、歳とってから初めてマイホームに住みました《庭つきはムリだったし、いずれ老いた母の世話‐もう死にましたが‐のためバリアフリーのマンションにしました。自分が障害者になることを予想してのことではありませんでしたが、結果的によかった》。それまでずっと、アパートか借家。マンションに住むようになったころは、子どもたちは成人していました。

成人した娘たちがそろって帰省していたあるときのこと。ひとりが言ったのです。「子どものとき、友だちをウチには連れてきたくなかったわ。だって、ウチはみすぼらしいもん《そんな意味のこと》…」ほかのふたりが相槌うった。「そうそう…」

ちょっとショックだった。アパートや借家ぐらしがではない《子ども部屋を与えられなかったからではない》。子どもたちの親には言えない、言ってはならないという思いを想像しようともしなかった自分に対して。

もっとも何かの習いごとをしたいとはほんとうに思わなかったようで、こっちは救われた)

 

 習いごとにしろ何にしろ、学ぼう、身につけようと思う前には、内田さんが言うように私も事前の情報を含めて予備知識なんか持たないほうがいいと思う。

 旅の途中で分かれ道に出あったとき、足から履物を投げて落ちた方に近い道を選ぶように決めるのは(ひょっとして自分の人生を左右するくらいの重い意味を持ってくるかもしれないので)どうかとは思うけれど、基本はそんな「偶然まかせ」でいいのではなかろうか。つまり、(迷っているなら)合気道でも柔道でもいいのではないか。やれるのなら両方ともやればいい。

「努力」「練習」「鍛練」嫌いの怠惰な私が言うのは気がひけますが、きっと、柔道も合気道も剣道も…やる人の心構えがどうあるのがたいせつなのか、ということなどに行きつくのでしょう。

行きつくところ、目的はいっしょでも、そこにたどり着くまでの道は人によりさまざま(個性)なんですね。

だから、やってみる前に、どっちにしようか、どっちがいいかと、瑣末なことで悩むのはつまらない。

 

「自分さがし」がはやり、「アイデンティティ」という言葉がよくつかわれたときがあった。

(「合気道、柔道、…?」とは直接には関係ないけれど)ただ頭の中だけで自分というものを問うてもわからないときはわからない。そういうとき、身体を動かすことによって何かたいせつなことに気づくことがあるかもしれない。

ほかのQAのところで、著者は教え子たちのボラティア活動などを例にあげながら、「やりたいことがわからなくても」、身体を動かして何かをやってみたらわかることがあるかもしれない(ないかもしれない)と述べておられました。

 汗を流してみて初めてわかること。

 

話が大きく飛躍しますが、たとえばカネ儲け。

マネーゲーム」という言葉があります。

‐投資とは本来、社会にとって必要、たいせつだと思う企業を育てるために資本金となる資金を自分の手持ちからその企業に提供すること‐

ところが、現代では単なるカネ儲けの手段となっている感があります。

資金さえあれば、手軽に気楽に(はずれるリスクもあります)できるカネ儲け。

しかし、こんなのでいくら儲けたって、汗水たらして働いて(身体を動かしてする社会貢献)手にしたカネと格がちがう。

(「品格」という言葉がやったことがあります。時代や地域を越える普遍的にだいじなものだと思いますが、ひょっとして「おカネはおカネ」。「品格」なんて幻想かもしれないですね)

 

                  ちりとてちん