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kame710のブログ

2006年7月10日高所から転落、障害者となり、オマケに胃ガンで胃を全摘してなおかつしぶとく生きています

2017.4.23 いのちの洗濯

                                                  カメキチの目

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 大げさだが「いのちの洗濯」と称し、ある温泉地に行った。

死ぬまではいのちは続いているのだから、いのちも更新しなくてはいけないです。

 

 そこは「日帰り湯」もしており、泉質がすばらしく、しかも源泉かけ流しなので、銭湯代わりに地元の方々もけっこう来られていた。

 リラックス、「いのちの更新」が目的なのに、最近の世のなか事情は気味わるく、ぶっそうなできごとが続いているので、そういうことが脳裏をかすめ、湯はすばらしくても、半分しか楽しめなかった。

 心までは「洗濯」できなかった。

 

 が、ちょうど桜が見ごろで、ほかにも春の花々が美しく、天気もよかったので、「半分しか楽しめなかった」というのは帳消し。

 それをじゅうぶん補ってもなお余るほど楽しんだ。

泉質は、いわゆる「ツルツル」「スベスベ」になるPHが高いアルカリ性で、私がなってもしかたないけれど、「お肌美人」になった。

 

 風呂での想いは、激しやすい、感情に流されやすい自分の気質についてで、トランプや安倍と私も同列であるということだった。

 声を張りあげるばかりか、指を立ててまで記者を制止した(というか、逃げた)就任直後のトランプ大統領を、先日の、激怒して会見を途中でやめ退席した(というか、逃げた)今村復興大臣が思いださせた。

「今は昔」にしたい安倍首相は、国会で森友の問題を野党から追及されると、声を張りあげ、「私も妻も関係いっさいないです」と子どものように叫んだ。疑惑釈明に必死だったので「忖度(ソンタク)」の一件を犯してしまった。

 まあ、その前に被災地の「長靴」も件もあるが、その後も今村だけじゃなく、「学芸員はガン」発言、不倫議員と線路は続く、どこまでも。

 話にならん!

「うっかり…」の問題ではない。

 注目のフランスの大統領選挙の報道で、私の好きな『報道特集』のキャスターはきのう伝えていた。トランプの女性版みたいな人が2位につけているようだが、フランスでは「日本では青くさい」とバカにされるような理想を掲げる政治家が大勢いるそうだ。大勢いても、民主主義は多数決という現状の前では、ポピュリズムの前では力が出せない。悲しい…

あとに書きますが、激情に走りやすい私のような「熱しやすく冷めやすい」者とはちがい、地道にコツコツと世の中をちょっとでも理想の方向に進めようとされる方がおとといのブログに書かれており、私は感動してその記事を読みました。ぜひともみなさんもお読みください。 → 

 よんばばつれづれ 4月21日 憂いの源

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私はもちろん上記国会議員のようには名がないので知られてはいませんが、ウチでは感情的になって、同じ失敗、ミスをなんども繰り返しては沈んでいます。

彼らも私と同様、自己嫌悪におちいればいいのですが…いえ、断じておちいるべきです。

 

「オマエは、個人的な資質(いまの場合、感情的になること)安倍やトランプと同じだ」と言われるのは私には最大の侮辱である。

 で、これからは彼らをテレビで見聞きしても「クソッタレ!」(ほか、ここで書くにはあまりに下品な言葉がとび出し、私という人間《カメだからかまわないかもしれませんが》の品格が落ちるのでやめます)と感情をあらわにする、動揺することはやめようと思った。

 まだ、「誓う」まではいかず「思う」の中途半端な段階だが、ガンバろう。

 

 私が感情的になっても、日本やアメリカ、世界の政治は微動だにしない。

 感情的になってもしかたないが、「怒り」だけは持ち続けよう。忘れまい。

たった今、19時のNHKニュースをみていると北朝鮮の核実験が近い、アメリカ空母が日本海に近づいているといい、どうやら日本の軍隊と合同訓練をして北朝鮮を脅かすらしいと聞き、あまりに情けない人間の姿に人なんか地球からいなくなればいいと本気で思いました。

でもいなくなるのは歳とった自分のようなものだけでけっこう。若い人たちはまだまだ十分に人生を楽しんではいないので絶対いけないと思いなおしました。

これは感情的になって思ったものではありません。いや、やっぱり激情したか。死ぬのはイヤだ。

 

オマケに 

「天国」「地獄」があるのかないのか、わからないけど、あってほしい。「輪廻転生」もあってほしい。生まれ変わるなら、人間以外ならなんでもいいと思った。こんな思いにを持ったのは生まれて初めてである。

 

                  ちりとてちん

2017.4.20  「任運自在」

                                                  カメキチの目

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 きょうは禅語です。

たまには社会から隔絶(ムリでも)し、気分だけでも仙人になり、じっくり内に向きあおう。

 

      任 運  自 在
             
       
(にんうん じざい)

  
その通りに読めば、

「運(命)」に任せば 自由自在ということ。

 「宿命」といえば一方的に与えられっぱなし、選択の余地がなくなるイメージが強くなります。自分の無力感におしつぶされそうになります。

ところが、「運(命)」といえばちょっと自分でなんとかできそうな気配がします。

あくまでちょっと、ちょっぴりですが…

 

 その「ちょっと」が、ややこしい。

 問題は、どこまで精進するか。

 どれほど努力したら満足、なっとくするのか。 

「努力」や「精進」したからといって、成功、成就するとは限らない。

 

そんなことはわかっているのですが、それでもなお目的達成しないのは努力が足りないのだと自分を責める方がおられます。それはそれで立派な態度とは思いますが…

 

「運(命)が悪かった」としかいえないことは人生で避けられません。

(私は身体障害になったり胃をうしないましたが、ただ「運が悪かった」とだけ思っていいる。でも死ななかったこと、胃がなくてもおいしく食べられるのは「運が良かった」と思っています)

 

「自分で自分をほめてあげたい」。

こう言った有森選手は一流のアスリートですが、彼女のように有名ではなくとも、一人ひとりが自分の人生では立派な一流のアスリートだと思う。


「運(命)」にあえて抵抗せず、あきらめ、任せることも必要。

望むようにはいかず、「失敗」に終わっても、「探せばまだ他の道があるかもしれないが、ここまでやった自分に満足、納得」できたなら、それでいいと私は思うのですが。

もちろん、その事態を「運(命)」と受けいれず、納得できず、もっと精進・努力しなくては…と思うことだってあります。そう「思う」なら、そうすればいいですね。

 

「自力本願」もいいけれど「他力本願」もいいです。

 人生に勝ち負けなんてない。

 人生は比較できない。

 

この禅語が載っている本には、自分へのこだわり、執着(我執)を断ちきるのは容易ではないが、ちっぽけな分別、損得勘定をすて去ってみようと書かれてありました。

自分のことで選択したことは自分や家族にはね返ってくるだけで、それが「悪い結果」にしても(よくはありませんが)、自分や身内のことなのでいちおう納得できます。が、他人のウソ・イツワリ・サギ・口先・ソンタク(もともとの「忖度」の意味は違います)…が平気で通用する世の中では、「任運自在」とは納得できません。

                  
ちりとてちん

 

4月の課題 「一本の木」がある風景写真

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