kame710のブログ

2006年7月10日高所から転落、障害者となり、オマケに胃ガンで胃を全摘してなおかつしぶとく生きています

2018.2.20 どうでもよくない話 

                                                  カメキチの目

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 子どものころの私は(自分で言うのはすごくオコガマシイことですが)すなおな人間だった。なんでも「ハイハイ!」(ハイは一回でよろしいと叱られるほど)だった。

 しかし、成長とともに変わった。

「成長」のしかたがよくなかったのだろうか?

 いつごろからか反抗的、世の中をハスにみるようになった。(それを「ヒネくれる」というなら)「ヒネクレ者」になった。

あくまで「社会」に対してです。

自分では、(どちらかというと)人にはやさしく振るまってきたつもり。その証拠に(いや、「証拠」とはいえないか)人にぞんざいな態度をとった(と思う)とき、ましてや相手にイヤな思いをさせたときはとても後悔し、自己嫌悪におちいる。 

 

 自分とはまったく関係ない話で、「どうでもいい」と言ってしまえば「どうでもいい」のかもしれないが、どうでもいい気もちにはなれない。

 そのニュースを聞いて不快になった。

        ↓

■ 東京銀座の公立(「公立」です。「私立」ならわかる《「納得」しなくても》)小学校が、標準服(「制服」とは違うのだろうか)をイタリアの高級ブランド「アルマーニ(私は初耳)社製の、最大80000円(8000円ではありません。服だけなら40000円くらいですむのだそうです)もするものに来年度から変更しようとするらしい。

その公立小学校は、学区にとらわれない「特殊」な学校らしいです。裏がえして言えば、80000円出すのに抵抗があれば入学しなければいいことでしょうが。

(イヤなら入学せんとすむことでしょうが、そんな問題ではないと《私は》思った)

そもそも標準服を導入する学校というは、私服では家庭ごとの暮らしの差が子どもたちに現れ、とくに貧乏な家の子どものイヤな思いを解消しようとのことらしい(個性の画一化という弊害もありますが)。ですから当然、どの家庭でも気軽に出せる値段のものが選ばれるのでしょう。 

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 聞いたとき、こういうことを提案したオトナ、決めたオトナ、支持するオトナはどんな人で、どういう感覚で生活しているのかな?と、せんないことを思ってしまった。

 まっ、オトナは「成長した」人間なので、自由謳歌の世の中ではどう振るまってもかまわないけれど、まだ「教科書どおり」を旨とする義務教育の段階でこれはないでしょ、と私は思った。

 

「せんせい、ぼく(わたし)のいえは、8まんえんはきびしいので…」という教え子に、先生は何とこたえるのだろう?

「道徳」という科目がある。道徳と「標準服」は矛盾しないのだろうか?

 

 強制ではないので、その「標準服」を買うか買わないかは「自由」だそうだ。

 だが、買ってもらえなかった子どもは、どんな思いで「標準服」を着た友だちをみるのだろう(逆に、「標準服」を着た友だちは…)

 ランドセルのように、1年生のときの服を6年生までもたすわけにはいかない。成長にしたがって着替えなくてはならぬ。

親の負担はたいへん! バカみたいです(いや「親バカ」はいいか)。

 

「自由」とか「個性」とか「選択」というけれど、それらの前提にあるべきはずの「平等」があるのでしょうか。

絶対的「平等」は「理想」と同じで、求めても求めてもぜったいに到達しないと私も思いますが、「こんなもん…」とあきらめたくはない。

少なくとも「機会の均等」という平等は現実的で、義務教育の原点であるべきはずなのに、あの「標準服」はそれに違反しているのではないでしょうか。

 

 

                 ちりとてちん

 

2018.2.17 雪から思った二つのこと

                                                  カメキチの目

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① 男女によって感じかたなどが違うということは、世間でもよく聞くし、実感でもある。

 もちろん、それはあくまでも大雑把なくくり。個人差が大きい。

理屈をこねたがるのは、やっぱり男が多い(と思う)。最近こんなことありました。

 

 福井の大雪ニュースの陰で忘れてしまわれそうだけど、その前のできごとに、

1月11日午後7時ころ、新潟県三条市を走っていたJR東の信越本線の電車が雪のせいでとまってしまい、多くの乗客が車内に閉じこめられた。それも15時間。

というのがあった。

 たいへんな事態が発生

乗客のみなさんの状況・状態を想わずにはおられなかったです(私としては、とくにトイレのことが気になった)。

 

 老いて怒りっぽくなったせいか、思わず雪に怒りを向けようとしたが、すぐに自分のバカさに苦笑い。

 

 しかし後に、三条市がマイクロバスを出そうという支援があったのにJR側は断ったということを知ったときは、本気で怒りがわいた。

JRが断った理由はわかりますが、非常時・災害時に治療の必要に優先度をつける「トリアージ」的な考えが共有されておれば、妊婦さんとか病弱な人、お年寄りだけでも…と思いました(そのときは平日で通勤からの帰りなどの若い方ばかりで、大丈夫と判断された?)。

 テレビ画面で頭をさげるJR東幹部。

 

 長い時間がかかったけれど、乗務員さんたちの必死な奮闘、努力で電車は走れるようになった。

 

 それを知り、ツレはただ「よかった、よかった…」と言い、こっちに同感の相槌を求めてきた。

もちろん、私もほんとうによかったと思い、相槌をうったが、…

「それにしてもJRは、この前の西。新幹線の台車亀裂といい…」。(関係はあるにしても)飛躍したことを言いだした。

 それに対し、呆れたように彼女は返した。

「やっと動きだしてよかったのに…そうくる(言う)かな…」

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② 大雪の被害は毎年くり返されている。

 こんどは福井など北陸地方が酷いことになっていた。

若いときの一時期、住んでいたこともあってかとても身近に感じられました。

 被害のようすはさまざまだった。

 住民のみなさんだけでなく支援の自衛隊の人たちも、人海戦術しか打つ手はないとばかりにスコップを握り、大勢の人たちが汗だくになっておられた。

 生活に不便が生じたというだけでなく、積雪で隠れた溝にはまり、あるいは屋根の雪かきで落ち、あるいは不休不眠の除雪車運転で死ぬ人がでている。

 

 そういう状況に、いつも思う。

 この技術大国日本で、なんで発熱して雪をとかす、誰でもが手軽につかえるような、簡便な融雪装置・機械が作られないのだろう?

いまだに除雪車がはいれないところではスコップでかき、スコップで(屋根から)おろさなければならない。

 雪は水だ。とかせば水になり、流れる。

かいたり、おろせば(あたたかくならないかぎり)わきに壁のようにたまるだけ(こっちの雪があっちに移動するだけだ。トラックで遠くの空き地に運ばぬかぎりは移動距離なんて1㍍そこそこ)。

 

豪雪はめったにない。あっても日本海側だけ…。

カネを使って開発しても、経済的にワリに合わない、「費用対効果」がない、もうからないということなのでしょうか。

 

                  ちりとてちん