本は八つの項目に分かれていますが、大事なことが述べられているので
最終の第8講「ブルトシップ・ジョブとベーシックインカム」まで、本に沿って
みんな触れたいと思います。
今日は第0講
「クソどうでもいい仕事(ブルトシップ・ジョブ)」の発見
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「〈ある観察者が見た世界〉
(その100年前のある観察者たちの)要求と予言をあわせるなら
(現代では)一日4時間、週3日働けばすむ。…(であるのに、何でそうならないのか?)
…
仕事はそれだけで尊い、人間は放っておくと…楽してたくさんのものをえようとするろくでもない
気質をもっている…(という考え方が当たり前のごとく世の中にはある)
…
じぶんたちの仕事が穴を掘って埋めているだけだ、とか、だれも読まない書類を書いているだけだ
と、仕事に就いているかなりの人が気づいていて、しかも、それに苦しんでいる…」
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読み始めたばかりから、頭をガーンと殴られたような気がした。
人々は現代社会で、100年前の社会と比べてどれだけ働かなくなっただろうか?
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もちろん科学技術の進歩のお蔭で(この半世紀は目をみはるほど)私たちの生活は
飛躍的に便利で快適、楽なものになった。
そうでなかった時代と比べると、ものすごい「幸せ」になった。
(けれどもそのお陰はなければないですんだだろう。
エアコンがなければ扇風機やうちわだけで暑さをしのぎ、スマホがなかったときはガラケーで満足)
しかし、人々はいまでも昔とだいたい変わらず、同じくらいよく働いている。
100年経っても働かなくていい、ボケーっとできる時間はどれだけ増えただろう?
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毎年11月23日は「勤労感謝の日」。
子どものころに学校で教えてもらった。勤労は尊いことであり、
それは人間と同じように貴賤もないと教えられた。
「貴賤」の方は、子どもだったから先生が言うのでそういうものかと思ったが
反面、子ども心にそうではなかろうと、うすうすは感じていた。
だが、「勤労(自体)は尊い」という方はそうだと、いままで思っていた。
(土地を耕し、種を植え、実らせなければ、つまり働かなければ食っていけないから。
勤労は「尊い」というようなものではなく、そうしなければ生きていけないから。
その線で、流れで、仕事はみんな必要だと思っていた。
「クソどうでもいい」仕事など思ったこともなかった)
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「人間は放っておくと…楽してたくさんのものをえようとするろくでもない…」
とは私も思わないので、必要なだけ働き、あとは個人が思い思いに好きなことして
暮らせたらいい。
それは夢のような話ではないことを、本を読んで強く感じた。
青字の引用のような「クソどうでもいい仕事(ブルトシップ・ジョブ)」をなくす。
答えはそれだけ。
今日の一句
家々や 菜の花いろの 燈をともし 木下夕爾