kame710のブログ

2006年7月10日高所から転落、障害者となり、オマケに胃ガンで胃を全摘してなおかつしぶとく生きています

2017.7.31 『動物のいのちを考える』1

                                                  カメキチの目

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 『動物のいのちを考える』(朔北社)という本にであった。

この前から「つれづれ…」という自分の昔話を書いていますが、きょうはこっちを書きます。ゴメンなさい。

 本は、

①伴侶動物(ペット)

②産業動物(牛や豚など)

③動物園動物

④実験動物(マウスなど)

⑤野生動物

の順で、さまざまな立場の人が書いている。

ブログを始めて広がった私の世界の一つに「動物福祉」というものがあります(カフェインさん、ありがとうございます)。

恥ずかしながら、人間の福祉には携わっていたのですが、「福祉」を動物に広げて考えたことはありませんでした。

 

ただ、歳をとり人間とか人類を相対化し、空間に広げれば「生き物の一種」、時間に広げれば「生命発達の一段階」と思うようになってきた。

ロボット、人工知能、バイオ…と科学技術万能、その身勝手さを嘆かわしいと思うようになってきたので、「動物福祉」という言葉がとてもよく心に響きました。

 

幼いころには、(当時はそういう家が多かった)4坪ばかりの小さな鶏小屋で数羽を平飼いし(母に内緒で生んだばかりの卵をドラキュラみたいに吸ったのをよく覚えている)、かわいがったかどうかは定かでないですが猫も飼っていました。

少年時代。人間の勉強とはいえ鮒や蛙の「解剖」という名目で切り殺した。内臓がどうのこうのより、瞬間ピクッと動いて死んだときの感情の方が心に残っています。

いまは生きた動物(人間以外)とは、犬や猫、ハトや野鳥、虫、泳いでいる魚、動物園でふれ合うくらい。

ブログでは、愛情ぶかくペットを飼育されているみなさんの記事にいつも頭をさがります。なかには、かわいがっていた犬が亡くなってからもずっと悼んでおられる方。障害のある犬と家族のようにごく普通に暮らされている方。小鳥たちに限りない愛情を注いでいる方がおられます。

また、実生活でとっても長く親しく、よくしてもらっている〇〇さんには彼女が愛してやまない△▽というインコと〇というイヌがいます。そのかわいがりっぷりには笑わせてもらうと同時に頭を下げざるをえません。

 

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  まだ読みはじめだ。だが早々にショックを受けた。

 

 散歩ではもとより、いま住んでいる集合住宅は「ペット飼育可」なので、イヌを(ネコは家の中)よく見かける。

 朝は早くから夜は遅い時間まで、飼い主さんたちの愛情あふれた姿は微笑ましい(ときどき服を着せられたりするのもいて、「そこまでは…」と感じないのでもないのですが、いろいろ事情があるのですね)

 ペットを飼っていない者には、イヌたちを見かけ「かわいいな」くらいは思っても、彼らの生活がどんなものかは細かいところまではわからない。

 ましてや、「現代ペット事情」の深部はわかろうはずがない。とくに暗い闇など知ろうとしない限り、わからない。

 

 まだ勤めていたころ、家族のように猫をかわいがる生き物だいすきの若い女性がいた(彼女は私が突然の事故に遭ったとき、援けてもらった「いのちの恩人」です)

 彼女はそのペットだけでなく、職場には子どもたちがいたので「いのちの重さを感じる」目的もあり、金魚を飼育していたが、重い水槽をまめに掃除して、金魚たちが気もちよく泳げるよう、気もちよく子どもや職員が鑑賞できるようしょっちゅう水の交換、掃除をしていた。

 また11年前、入院していたときたいへんお世話になった「病友」は、家に7匹も飼うほどの猫ずきの人だ。

退院してからのある日、(車に乗れなくなっていたのでわざわざ迎えに来てくださり)7匹の面々にもあった。

 私はお二人からそれぞれ尿や糞の処理に使う専用の敷物(布ではなく、砂みたいなもの)、「ネコタワー」などネコのおもちゃがあることを知った。

 昔、スーパーで酒のオツマミのようなものがうまそうだったので買おうとしたら、ペット用のものだった。

 いまはスーパーに食料品、百貨店にペットコーナーができ、DIY店などはペットそのものが売られている。生き物展示エリアは広い位置を占め、人気を呼んでいる。

 

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 本にもどる。

 

  

 

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 6年前の資料によれば(2011年度)日本国内で飼われている犬は1193万匹(子どもより多い)で、2013年の動物愛護法改正で不徹底ながらも業者への規制が進み現在は大幅に減ったであろうが、それまでは飼い犬(ということは野犬いがい)の150匹に1匹が何らかの形で自治体に持ち込まれているとのこと。

①は朝日新聞記者の太田匤彦さんが担当し、彼は日本の「犬ビジネス」には大きくわけて二つの問題が存在すると指摘する。

 一つは業者による遺棄

 他の一つは幼齢犬を流通させること。できるだけ幼い犬のかわいさをアピールし、消費者(つまり飼い主)に衝動買いを促す(業者の間では「商品(いまの場合は犬)としての旬」といわれている)。幼く、かわいいほど需要が高く、高い値がつく。

              

・8週(56日)齢規制という常識

これは、犬のかわいい盛はより幼いときにあり(「旬」)、欧米での8週齢規制は(むこうは大型犬が中心だからと)小型や中型が多い日本の実情に合わないとペット関係業者、その団体は自らに都合のいい理屈をいい(本音は「儲け」「利益拡大」)、2013年の動物愛護法改正はこれが骨抜きにされ不徹底に終わった。

1年後、2014年9月の施行後、市町村は犬猫等販売業者からの引き取りを拒否できるようになり、行政による、いわば合法的な刹処分(動物殺し)は大幅に減ったが、業者による犬の大量遺棄事件が多発するようになった。

また、虐待的環境で飼育され(繁殖業者については届け、ましてや資格、免許も不要な野放し状態)、最低限8週は親や兄弟で別れることなく愛情をかけられてこそちゃんとした社会性も備えた犬に成長すると獣医師など専門家にいわれていても、40日前後でペットオークションなど「ブラックボックス」のなかで「生体が競(せ)られる」。

・売れなかった生体は成長するばかり、成長のためだけでなく、いのちを維持していくために「食わねばならない」(あたり前)。食費と手間代は赤字なので遺棄するにかぎる。殺すつもりなくても(「殺すつもりはなかった…死ぬとは思わなかった…」)遺棄するのだ。

 

これを「手前勝手」といわずして、なにを手前勝手といえばいいだろう。

 

これは政治的な問題ではない。だから2013年の動物愛護法の改正で、与党であるとか野党であるとかは関係ない。私は「なんでも反対」ではないですから、改正案をまとめる上でのリーダー役のある自民党議員には感心しました。反対にある公明党議員にはガッカリした。この公明党議員の働きで、せっかく「8週規制」が実現しかかったのに、ペット業者団体のロビー活動に「屈伏」せざるをえなかったようです。

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おととい、ふだんは観ない動物番組を、ほんとうにたまたま観ることになった。私のこの記事のためにというタイミングに驚いたくらいだ。

そこでは、虐待や遺棄、放置などによってかつての飼い主だけでなく、人間一般にまで怯え、クルクル落ち着きなくいつまでも回るという異常な行動を繰り返し、(私のような者でもはっきりわかるほど)とっても悲しそうな目をした犬が映しだされた。

そこは愛犬活動を目的とするのNPO法人主催の「譲渡会」というもので、酷い目にあった犬たちを、愛情ぶかく接してくれそうな、最後まで責任を持って飼ってくれそうな、信頼できそうな人たちに託そうとすものである。

ある方が、クルクル…の犬を「だいじょうぶだよ…あんた(この犬)が大好きだよ…」と心の奥底からやさしく語りかけているのがだれの目にも明らかなように、必死になって(「高速」で)さすってやると、なんと犬は落ち着いてきた。回らなくなった。

これには番組スタッフ、関係者もビックリしていた。

もちろん、私も感動した。

 

 

                   ちりとてちん