カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2021.2.12 イカの哲学①

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退職してから時間が好きに使えるようになったことは、これという趣味や特技が

なくてもとてもすばらしい。

退職後、「予定」ではボランティアする、料理を覚える、車に鍋釜つんで各地を

旅するはずだったが、思わぬ事故でオジャン、狂った。

しかし、狂わなかったら、予定どおり進んでいたら、これほどの(もちろん自分に

とって)散歩と読書はできなかっただろう。

(1日24時間。何かをすれば別の何かはできない。

 自分の人生。何かをすれば別の何かはできない)

 

ところで、ひと口に読書といっても本は多種多様で、何を読むか迷う。

これを読めばあれは読めない。

何を読むのか、選ぶ行為はたいせつだ。

たいせつだけども、私は「当たるも八卦 当たらぬも八卦」を信条とするので、

たぶんにウン任せ、先に読んだ本のイモづる式で選ぶことが多い。

(相手が人ならばむずかしいが本なのでイヤなら途中でやめればいい。簡単で気軽なことだ。

そうなのだが、人と同じように人生に大きな影響を与えてくれる出あいもある。

たとえ残り少ない人生であっても、そういう本との出あいは貴重で、おもしろい) 

 

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イカの哲学』  中沢新一・波多野一郎 

もそんな本だった。

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                        (グーグル画像より)

前に記事にも書いた中沢さんの本がよかった。同じ新書にこれがあった。

イカ」と聞いて、「蛸烏賊」のイカしか思いあたらなかったが、読むまで

イカと哲学のつながりが見えてこなかった。

 

波多野一郎さんというのは共著者ではない。

学徒出陣で特攻で死ぬところが生き残り、戦後(渡米して)また学生をやっていて

アルバイト先でイカをみつめていたとき、突如、閃光のように走った「思想」

その人生、平和についての思いや考えを、自身を一匹のイカにみたてて

イカの哲学』という小さな書物を著した。

 

中沢さんはその本の存在を知り(あまり知られていないようです)、出身地まで訪ねた

ほどのあつい思い入れようで、波多野さんの人生や平和への思い、思想を解説し、

深められる。

 

3回に分けて書きます。

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著者は「はじめに」で述べる。

【引用】

この世界はおたがいにめぐりあう人間や、

めぐりあわないけれどどっしりとひとつの場所に存在している山や、

おたがいに呼びかけあう動物や、…おたがいが呼びかけあっている植物や、

人間や動物や植物の中に融け込むことで大きなサイクルで世界を流動している

鉱物など、世界をつくっているすべてのものの統一の中で生きています。

 

そこでは人間は自然と対立する存在ではなく、世界の一部として、

自然と深く関わりながら生きています。

私たちの世界に科学があるように、存在論的世界」を生きる人々の間には

呪術があります。

呪術は、動物や植物や鉱物に人間の生命力が働きかけることによって、

それらの自然物がかえって人間に協力して働く状態を生みだそうとしてきました。

そこでは、動物も、植物も、鉱物でさえ、生命をもった存在として、人間とともに

この世界をかたちづくっているのです

 

とてもしっくりくる。

万物に魂、精霊、神が宿るという宗教以前の素朴なアニミズム信仰古い日本人

にはなじみ深く、なんどもうなずいた。

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波多野さんは、本来は特攻で死ぬところだった。

ところが偶然、奇跡的に助かった、命びろいをしたという思いが強烈で、

以後の人生を、その体験を根源に据えて生きようとする。

アメリカを留学先(どこでもよかったがアメリカが行きやすかったに決めたのは

世界を見たい、感じたいということだった。

アメリカでは学びながら生活費を稼ぐために、イカを生簀からすくい上げる作業の

アルバイトに精を出した。

そこでのこと。

【引用】

「私はイカだ」

イカの哲学』の著者は、来る日も来る日も、イカと対面しながら労働の日々を

過ごすうちに、一匹一匹のイカの実存を直観するようになった…

彼はこのとき無意識の思考の中で、カミカゼ特攻隊員としての自分の体験は、

イカの生存そっくりだと考えていたのだと思う

 

漁師さんが獲ったイカを、生簀から食べるための処理加工を施すのに一匹一匹の

生きている、ヌルヌルしたそれを手でつかむとき「実存」を感じた。

ーーーーー

【引用】

人類のような知的生物を含めて、この地球上にある生物はすべて、

地球が生み出した。

私たちの知性も、その意味では地球が生み出した果実である。…

つまり、イカの中では、脳をこえた知性が働いていて、

その知性は地球的な規模の自然のネットワークにつながっている…

私たちの中にも、そういう「イカ的なもの」が働いていると考えると、

自然界における人間の孤独感は、いくぶん癒されるのではないだろうか。…

知として働いている「イカ的なもの」は、…「無意識」と表現されてきた

 

よく、「私(自分)が生きているということは奇跡だ」と感ずることがある。

その感じは人によって多少は異なるかもしれないけれども、ほとんど誰もが共有

できる感覚、感情に違いない。

その共感能力があれば戦争はもちろん、他を押しのけて自分が自分が…という

争いごとは怒らないはず。

「脳をこえた知性」とはそういうものだろうか。

それはイカにもあり、イカだけではなくすべての地球が生みだした自然がもって

いて、お互いがつながり合っているという。

 

たしかに自然を感じるとき、「私(自分)はひとりじゃない」と思う。

癒される。

 

〈オマケ〉

伊藤若冲という江戸時代の画家名前と身近な生きものを細密画のように描いた人くらいの

ことしか私は知らなかった)

イカの哲学』を読んだころ、たまたま若冲の作品を鑑賞するテレビ番組をみた。

若冲の絵を専門家がいちいち詳しく解説され、貫地谷さんという女優がこれまた

いちいち感動され、ホントよかった。

あまりによかったのでツレがすぐに若冲作品満載の本を図書館で借りてきた。

みていると若冲の世界に惹きこまれ、『イカの哲学』とまったく同じ心を感じた。

(絵の一つにはアオリイカがいた)

 

 

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                            ちりとてちん

 

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