カメキチの目
もうひとつ強く感じたことがあった。
そのアートは作品ではない。
いや、自然の作品。ありのままの「作品」というべきか。
それは「一本の樹木」。
アート祭りは、山の上の平地で行われた。そこはいちおうは街。
「いちおう」と言ったのは、芸術家と非芸術家のみなさんが住んでおられるが、軒数は少なく、買い物するところ(店)も見かけなかった。自販機はありました。
その樹木。保育園の庭(グランド)にはえていた
桑の木である。
みごとな幹と枝ぶりだ。
幹が立ち上がっているのはあたり前だが、目を引いたのは枝である。
太い枝が地面すれすれに真横にのびていた。
あとでその園の保育士さんに聞けば、昔、雷にあって裂け、いったんダメになりかけた枝がぶり返したとのこと。その生命力に感動し、そのままにしておいたらいまのようになったらしいです。
スゴイですね。自然は!
おとなたちが堂々とした木に目をみはるより先に、子どもたちは駆け幹に枝にと、取りついていた。まるでサル、なかにはオランウータンになる子もいた。
保育園はアート祭りの休憩所のひとつで、参加者に開放されている。
保育園といっても、ここは山のてっぺん。人の少ないところに何で保育園?
心配ご無用心配していません。ここはM保育園の分園。というか付属の別棟なのだ。本園は山の下、ふつうの街中にあります。
ここはあまりに自然環境に恵まれている。園庭にはこんな立派な桑の木が立っており、園児たちのかっこうの遊び場、木登り場所になっている。
だからメインは園庭で、桑の木と大きな土山がある。あとは、土山に駆け上るだけの助走がゆうにラクなけっこう広いグランド。
園舎といえば、掘っ立て小屋と言ってすみませんみたいな平屋の、床だけのプレハブハウスだけだ。
私は思った。この樹木は人が作った芸術作品ではないが、「アート」だなあ、と。
(前)で書いたようにアートの原義は「間接的に社会に影響をあたえるもの」である。
続けて思った。私はアート作者にはなれないが、アート発見者にはなりたいなあ、と。