私はおカネはほどほどにあればいいと思い、実際そうだったので満足している。
(「豪遊」という人生の楽しみもあるらしいが、余分なおカネはないので客観的に「できない」
というのが当たっている。だからその魅力を知らないのだろうが、知りたいとは思わないし、
「したい」と望むこともない)
一度は持った家も手放し、今はまた若いころと同じくアパート暮らしだけど、
不満はない。
そうは言え、「おカネでは買えない大事なものがいっぱいある」とはわかって
いても、「いまの日本」で暮らしている限りは年寄りでも欲望はそそられるし、
おカネはあるに越したことないので、やっぱり多ければ多いほどいい。
そうは言え、詐欺を働く才覚はないし、強盗するエネルギーもない。
凡人の自分にできるのは宝くじを買うことくらい。
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『NHKスペシャル マネー資本主義-暴走から崩壊への真相』 NHK取材班
(グーグル画像より)
現代の資本主義は「カネがすべて」の「金融資本主義」という「高度な」段階と
いわれている。
(「カネがカネを産む」資本主義の原理に誰もがアクセスできるようになり、詐欺が一般化した。
おカネのことでは《私は人を信用しないけど》詐欺被害に遭う人が後を絶たないのを見聞きすると
世間には《その人物をよく知らなくても》軽く他人を信用する人が多いことに驚き、感心する。
人が好いと言われるような信用の仕方なら感心するが、金欲で騙され、被害額〇千万円、〇億円
と聞くと呆れるしかない。
こういう多額被害は「投資詐欺」に引っかかった場合だけ。
同じ詐欺とはいえ「オレオレ詐欺」と同列に見るには私は抵抗を覚える。
息子、孫が大変だと家族への情愛で騙されるとカネに目が眩むのとはちょっとどころか、質が違う
と私は思う。
投資というのも一種のギャンブルだと思うので、そのギャンブルを行わず、カネだけ騙しとるのは悪い
けれど、被害額が桁外れに多くても少しも同情心が湧かない《という自分は冷たい人間だろうか》)
その金融資本主義の実態について、多くの人々が一度はいつかどこかで目にし
耳にしたことのある(バブルなどの)経済の出来事や現象、世界の金融取引の中心地
ウォール街を牛耳った金融トップの姿勢や、世界中に影響を与えるアメリカの
金融政策を中心に語られる。
(私の心に強く響いたのは、最後の方で述べられていた宇沢弘文さんという高名な老経済学者の
言葉でした。それだけ紹介します。
引用文ではいつもは小文字にしますが、今日は初めから普通の大きさで書きます)
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「人間の心を大事にした社会へ立ち返る」 宇沢弘文
■金融工学の本質とは何か
基本的にはすべてを確率的な現象としてとらえます。
■経済学の真の役割
近代経済学では、人間を損得の計算をする機械とみなします。
そこに一人ひとりの人間の心はありません。…
たとえば、国民総生産という重要な基準があります。
市塲で取引される様々な財やサービスを市場価格で評価して足し合わせたものです
しかし実は、市塲で取引されるものというのは、人間の営みのほんの一部でしか
ありません。
経済学の原点は、人間の心を大事にすること、一人ひとりの生き様をどのように
考えていくかなのです。
そのために必要なのが、「社会的共通資本」です。…
具体的には ①自然環境、②社会的インフラストラクチャー(電気・ガス・水道・
交通など)、③制度資本(教育、医療、金融、司法、行政などの諸制度)
蝶蝶の 翅の付け根の 筋力よ 池田澄子