経済産業省のまだ20代の官僚二人が「コロナ給付金」をだまし取り、自分たちの
遊興に使ったというニュースを聞いたとき、唖然とした。
同時に、
「拝金主義」、カネ、カネ、カネ…の世(NHKニュースの終わりで必ず「きょうの株価は…」と
報じられるようになったのはいつからか?)、政府では、おおいにあることだと思った。
(「あり得る」ではありません)
反射的に、
「赤木ファイル」の赤木俊夫さんを想った。
(ポケットにはいつも「国家公務員倫理カード」が入っていたという。亡くなれたときもポケットに
あった。よく見ておられたのだろう、ボロボロになっていたらしい)
若い二人も赤木さんと同じく国家公務員。20代でも二人は「官僚」(「役人」)。
赤木さんより「偉く」て、国の政策に影響力を与える身分らしい。
(どこから「官僚」と呼ばれるのだろうか?つまらぬことを思っていたら、とつじょ気がついた。
警察組織でよくいう「キャリア」と「ノンキャリア」の違いか。「キャリア官僚」というではないか)
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赤木さんの次に、犯罪の幼稚さ、捕まらないための「脇(詰め)の甘さ」を思った
サスペンスには犯罪者の知能のすべてを注ぎこんだかのような「完全犯罪」が
よくある。そんなのに比べれば吹けば飛ぶような軽さ。
(「官僚」になるほどだから学校で求められるような知識には長け、知能は高いのだろうが、
「知性」のほうはまったくないので、すぐ捕まるようなドジを踏み、ボロを出す。
もっとも真の知性があればそもそもこんな犯罪はおかさない)
「甘ちゃん」として育ったからこんな犯罪をおかし、そしてだまし取ったお金の
使いみち・使いかた、高級外車を乗りまわすような「甘ちゃん」らしい 遊興しか
思いつかなかったのだろうか。
これもサスペンスによくあるが、「命がけの(やむなき)犯罪」ではないのだ。
(二人にとってはこんどの犯罪自体が、遊び感覚の軽いものだったのか)
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赤木さんは命を賭けて正義を貫いた。
(命を賭けるほどの「正義」があるだろうか?《命をなくすこと自体が「正義」に反するのではと、
健康な精神にあるときは誰でも考える。私もそう考える》しかし、…
上司・佐川の改ざん命令・支持には従えない、国民を裏切ることになると強く抵抗したが
押しきられた。
国家公務員はただ憲法のみを遵守することが求められる。上司の命令・支持が憲法に違反しているとき
決して従ってはならない。
その倫理を破ることになったご自分を恥じ、鬱になるほど責めた、赤木さん。
どんなに苦しく、辛かったことか…
(グーグル画像より)
赤木さんは、佐川という上司ではなく、日本国民の利益をいちばんに唱える日本国憲法に従い、
国民の利益を守ろうとして死んだわけで、その死は「自殺」という形になったが、本質は「殉職」。
本質であろうがなかろうが、殉職はむごい、悲しい)
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上に書いたようなことにとらわれているとき、宇沢弘文さんという世界的に高名
らしい経済学者(もう故人となられています)の本を読んでいた。
新書本で、経済の細かな理論についてはぜんぜん述べられておらず、一種の
「自叙伝」ふうな中身で、おだやかでやさしいお人柄が随所に感じられた。
『人間の経済』 宇沢弘文・著
書名のとおりズバリ、「経済学は人間のためのもの」でなくてはならないと
説かれており、先の経産省官僚の「自分のふところを肥やす」ことがいちばんの
人生とは「真逆」。
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たくさん書きたいところがあるのですが、一文の引用だけを。
(本の終わりのほう、「生物多様性」という項目で述べられていました)
【引用】
「ブラジルの優れた研究者ユージニオ・ダ・コスタ・エ・シルヴァの論文
『生物種の多様性と知的所有権』には、次のようなことが書かれています。
アメリカの製薬会社が開発する新薬の75%は、次のようなプロセスでつくりだされている。
製薬会社が数多くの専門家を、アマゾンの熱帯林で暮らす少数民族の集落へ送る。
彼らは集落の長老あるいはメディシンマンを訪ねて、伝承的に受け継がれてきた医療技術を聞く。
長老やメディシンマンのなかには一人で五千種類にもおよぶ治療法を知っている人もいて、
彼らにアマゾンに生息する動植物や微生物、土壌や鉱物について、どのような症状や疾病、障害に
どう使えばいいかを尋ねる。専門家はこれらのサンプルを本国へ持ち帰り、
ラボラトリーで化学分析をして、人工的に合成して新薬として売り出す。
近年、アメリカの製薬会社の多くが莫大な利益を上げているが、そのかなりの部分が、
このような形でおこなわれる新薬開発によってもたらされている。
そこでブラジル政府は、アメリカの製薬会社がアマゾンの長老たちに特許料を支払う制度をつくったが
長老たちはこぞってその受け取りを拒否するという。
その理由は、自分たちのもっている知識が人類の幸福のために使われることぐらいうれしいことはなく
その喜びをお金に代えるようなさもしいことはしたくない、というものであった。
…
アフリカのある種族のあいだでは「自然」「文化」「宗教」が同じ言葉だといいます」
(注:〈〉、太字太字はこっちでしました)