カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

カメキチの目(2014.3.17 春に思う その①)

 

  ♭ おたずねくださり、ありがとうございます 

  

 (ブログパーツUL5人目の方)

 

 

「国破れて山河在り。城、春にして草木深し…」杜甫 

 

 フッと、学校の教科書に載っていた一節がよみがえってきた。まだ中学生のころだったと思う。授業で習った。この漢詩には子ども心にも、なにかしらうったえてくるものがあったのだろうか。

 

  3月7日。近くを電車で走っていたとき、窓から外の景色を眺めていた妻が「花を見る(また春がめぐってきて)と嬉しくなってくる」と言った。そのときは帰りだったが、往きに見つけた桃色の花(たぶん梅)の咲いていた場所を覚えていて、教えてくれた。

 3年前、被災地に芽吹いた草花や樹。残った植物はまた、立ち上がった。

 前回ここで書いた『ごちそうさん』では、戦争という人間がしかけた作為で焼け野原になったなかで残った人間がまた、立ち上がった(そうだわな。「立ち上がれる」うちはいいのだ)

 

 西暦で2014年。紀元前をふくめれば気が遠くなる人類の歴史ではあるが、いつそれが客観的にとまるかわからない(主観的には毎日〈眠りによって〉とぎれている)。

 私もまた車窓から花の咲いているのをみて嬉しくなった。

 そういえば、まだ仕事をしていた3,4年前、休み休み他の人の3,4倍もかかって歩いて通勤中、付き添いの妻は民家の庭・畑の中に花を見つけ、それを手でハサミをつくり切るまねをし、「ソーレ、うちの花びんに飛んでけー」と声をかけていた。そのとき、そういうの、なかなかいいなぁ・おもしろいと思った。

 

                                ちりとてちん




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