カメキチの目

2006年7月10日が運命の分かれ道、障害者に、同時に胃ガンで胃全摘出、なおかつしぶとく生きています

2024.6.28 『断片的なものの社会学』①

(先の記事にも書いた)「人間の無限の可能性」ということ。

漠然としているが、人生への勇気を与える言葉であることはあっちこっちで聞くし

間違いない(と思う)

(しかし、この言葉に勇気をもらったということは《そもそも自分の可能性を確かめる試み、

挑戦のような努力を必要とすることをやったことないので》私にはない。

それに昔は、「自分の可能性を確かめる試み、挑戦のような努力を」しようにもモノや情報が少なく

「可能性」「自分探し」どころではなかった

 

いまは、それなりに長く生きてきてわかったことがある。

「人間」とひと口にいっても具体的にはいろいろあり、「無限の可能性」を信じて

努力する人間もいれば、自分のようにそうではない人もいること。

 

「無限の可能性」信じて努力するのはすばらしいけれど、希望は叶わず、

挫折することもある。

(結果がどうだろうと「過程」が大切というのもわかるけど…)

 

いちばん大事なことは、思うようにならなかった物事、叶わなかった希望に

折り合いつけ、「自分の人生はこれでよかった!」と納得することだと思う

ーーーーー

AIの本と同じころ、

『断片的なものの社会学』  岸 政彦・著 という本を読んだ。

 

 

AIの本の方では個人的な感想でそういうことを思ったのだが、ここにはズバリ、

直に述べられていた。

 

辛いときの反社的な笑いも、当事者によってネタにされた自虐的な笑いも、

どちらも私は、人間の自由というもの、そのものだと思う。

人間の自由は、無限の可能性や、かけげのない自己実現などといったお題目とは

関係がない。…勇ましい物語のなかにはない

 

    

 

    


ーーーーーーーーーー

この本は題名に「社会学」がついているように社会学を専門とする岸正彦さん

という大学の先生が書いたものだが、ちっとも学問の本という感じがしなかった。

 

「社会」を外れては生存できない「人間」ではあるけれど(そういう意味で

「社会的存在」)、現実は「個人」として存在し、ある特定の社会、集団の中でしか

生きてはゆけない。

そういう具体的な個人の人生に焦点を当ており、随筆みたいな感じの本だった。

(3回に分けて書きます。

上述引用の部分は次、②で触れます)

ーーーーー

著者は最初にこう述べられる。

 

人生は、断片的なものが集まってできている

私の手のひらに乗っていたあの小石は、それぞれかけがえのない、世界にひとつしかないものだった。

そして世界にひとつしかないものが、世界中の路上に無数に転がっているのである

 

断片的なもの」の内にはダイヤモンドのような稀で貴重(と社会から評価される)

なものもあるかもしれないが、ほとんどは「ありふれたもの」で成り立っている。

そうなのだが、「ありふれたもの」の無限ともいえる組み合わせで、一人の人間が

出来ており、生きている。

まさしく「世界にひとつしかないもの」であるのだが

同時に「世界中の路上に無数に転がっている」。

ーーーーー

次にこう述べられる。

 

誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない

私たちが目にしながら、気づいていないことはたくさんある

 

私はどこかで、通りすがりの人と植木鉢について話を交わすことが、あるいは植木鉢そのものを

交換することが、なにかとても重要なことのように思える

 

誰にも隠されていないが、… 私たちが目にしながら、気づいていないこと…

には心当たりがあるととても強く思った。

よく「心の目で見なければ見えない」というけれど、ただ単に目を向けているだけ

では見えない。見ていても気づいていないのだ。

心、意識を向けないと見えない。

(私は障害を負ってから視界はボンヤリ見えるけれど、見たいものを意識し、焦点を合わせないと

ハッキリ見えない。そういう意味では障害者になってからは「心の目」が敏感になった気がする)

 

通りすがりの人と植木鉢について話を交わすこと…植木鉢そのものを交換する

ことが、なにかとても重要なこと…

「一人でじっと鏡を見つめていても自分はわからない」という。

人は(間に立つものは植木鉢でも何でもいい)他の人との交わりがなければ自分を知る、

わかることができない。

 

他者を通してしか自分という人間はわからない。

 

     

 

     

 

     


ーーーーー

世界にひとつしかないもの」が世界中の路上に無数に転がっている」私たち

一人ひとり。

誰にも隠されていないが、… 私たちが目にしながら、気づいていないこと…

に気づくために、

通りすがりの人と植木鉢について話を交わすこと…植木鉢そのものを交換する

ことが、なにかとても重要なこと…

 

三つのことはみんな繋がることに(遅まきながら私はいま)気がついた。

 

 

                   f:id:kame710:20171029114701j:plain

                       ちりとてちん

いにしへの そのいにしへの 杜若  京極杞陽

 

 

<